東京・神保町にある農文協・農業書センターは日本唯一の農業専門書店だ。田んぼの生きもの図鑑、土作りや新しい農法の本、伝統的な食事を聞き書きした本、くだものマニアが作った同人誌など、農、食、自然、園芸、地域づくりに関わる本約2万冊をそろえる。同店は1994年、大手町にあった旧JAビルの地下にオープン。その後再開発のため、神保町に移転して11年になる。神保町に引っ越してからは農家や農業関係者以外の一般読者や外国人客が増えているという。3代目店長の荒井操さんに同店の特徴や売れ筋などを聞いた。
神保町に移転し客層に変化
農業書センターは神保町に移転して11年になります。お店が大手町にあったときには、『リンゴが教えてくれたこと』(木村秋則著/日経プレミアシリーズ)や『タネが危ない』(野口勲著/日本経済新聞出版)をたくさん売っていただき、感謝しております。大手町と神保町では客層に変化はありましたか?
荒井操・農文協・農業書センター店長(以下、荒井) 農業書センターは1994年に東京・大手町の旧JAビル地下で開業、その後再開発で移転した新JAビル地下を経て、神保町に引っ越しました。大手町時代のお客様はJAを訪問する農家や農業団体関係者が圧倒的に多かったのですが、神保町に移ってからは一般のお客様が全国からいらっしゃるようになりました。近年はインバウンドの外国人客が増え、とりわけ翻訳ソフトを使って日本語の本を読む中国の方が多くなっています。
農文協(農山漁村文化協会)自体は、80年超の歴史があるのですね。
荒井 農文協は、1940年に始まります。初代会長は農政学者で農林大臣にもなった有馬頼寧(よりやす)で、競馬G1レースの「有馬記念」は有馬頼寧に由来します。戦中は「産業報国」の色彩が強かったのですが、戦後は社団法人として再スタート(2013年からは一般社団法人)、戦争への反省から科学的な知識を農家に啓蒙する活動へと変わっていきました。
高度経済成長期は、近代農業への批判が高まるようになると、農家が持っていた伝統的な技術を掘り起こし、継承していこうという機運が高まりました。
日本の農業は、減反政策や自由化など政府の方針に振り回されてきましたね。農文協と国との距離感はどうなっていますか?
荒井 農文協は創立以来、農家の立場から事業を行ってきました。1977年に創刊した『人間選書』(現在は絶版)の発刊のことばには、「中央より先に地方があり、科学技術より先に労働があり、産業経済より先に暮らしがあり、政治より先に人間がある」とあります。
農文協は農水省の外郭団体の1つではありますが、助成金などは一切受け取っていません。だから、政府の方針とは異なる主張の本を出版することもあります。例えば1981年に『ドブロクをつくろう』を出したときには、「なんでこんな本を出すのか」と国からお叱りを受けました。本書の編者、前田俊彦さん(故人)は、「農家が自給のためにどぶろくを作ることを禁止している酒税法は、憲法の基本的人権に違反する」と、国を相手に裁判を起こしました。前田さんは結局、負けたんですけどね。
荒井さんは店長になる前はどんな仕事をされていたのですか?
荒井 私は1981年に農文協に入りました。当会では「普及活動」と呼んでいるのですが、全国の農家を一軒一軒回り、農文協が発行する雑誌『現代農業』や本を届けるとともに、農家の悩み事や課題を聞いて、編集に伝える仕事をしてきました。農業書センターの店長になったのは2011年です。普及活動では書店回りもしていましたので、職種転換という感じではありませんでしたね。
当店の売り上げに占める他社の出版物と農文協の出版物との比率はどれぐらいですか?
荒井 7:3ぐらいでしょうか。農業技術に関する本は、農文協のものが圧倒的に多くなっています。
『田んぼの生きもの図鑑』は定番のロングセラー
これまでの売れ筋や最近の売れ筋を教えてください。
荒井 戦後しばらくは肥料作りなど、科学に基づく農業の技術を解説する本がよく売れました。その後は省力化の本や簿記など農業経営についての本、TPP(環太平洋パートナーシップ)の議論が高まった時にはTPPの本、近年は自然環境になるべく負荷をかけない農法を紹介する本がよく売れています。
当店は毎月、売れ行きベストテンを集計しています。これは2025年9月のランキングです。1位は『田んぼの生きもの識別図鑑 ポケット版 2025年改訂版』(地域環境資源センター)、2位は『ポケット版 田んぼの生きもの図鑑 動物編 改訂版』(岩渕成紀編著/生物多様性農業支援センター)。いずれも定番のロングセラーで、主に小学生の田んぼ観察用に使われています。
3位の『新版 土づくりと作物生産』は、土壌医検定試験のテキストです。土壌医検定というのは日本土壌協会が行っている民間資格で、4100人の資格者がいます。農家だけでなく、農家と取引のある農機具会社や肥料会社の方も、営業に生かそうと資格を取るそうです。
7位『農家が教える 耕さない農業 草・ミミズ・微生物が土を育てる』(農文協編)は不耕起栽培の入門書です。不耕起栽培は以前からありましたが、近頃は生きた草を地表にかぶせることによって土を育てる技術が進化しています。『図解でよくわかる菌ちゃん農法』(吉田俊道著/家の光協会)もよく売れています。土の中の微生物の働きが解明されてきて、達人技の世界だった自然農法が少しずつ広まっています。
『稲の多年草化栽培 小規模自給農への新たな道』(小川誠著/地湧の杜)は、冬に田んぼを湛水し、刈り取った後の稲を育て、何度も収穫をする、革命的ともいえる農法の本です。稲の多年草化栽培の考え方自体はあり、日本以外のアジアでは見られますが、日本で安定的に収量を上げることができたのは小川さんが初めてかと思います。残念ながら小川さんは、今年亡くなられたのですが、関心を持った方々が毎年発表会を行っています。
こちらは米の本の特集コーナーですね。
荒井 米不足騒動を受けて、各出版社からさまざまな切り口の本が出ています。『現代農業』8月号の特集は「米の適正価格」。消費者は少しでも安い米が欲しい、農家は再生産ができる価格で売りたい。では、両者が納得できる米の価格とはいくらなのかを議論しています。
くだものマニアによる同人誌
農家以外の一般読者向けの本で、お薦めはありますか?
荒井 こちらの『マスカット大全』と『おいしいいちごの本 東日本編』(いずれも花マル農園)は、農産物評論サークル「花マル農園」が制作した同人誌です。『マスカット大全』を作ったのは「少年B」さんというライター・編集者で、自称「日本で一番ブドウを食べているブドウマニア」。『おいしいいちごの本』を作った「匠」さんも、いちごマニアで、本業はシステムエンジニアだそうです。あるとき当店にサークル仲間5、6人でいらっしゃって、おしゃべりをしているうち、じゃあ店に置いてみましょうか、ということになりました。お二人には当店のイベントにも登壇いただきました。
『日本の食生活全集 聞き書き○○の食事』(全50巻/農文協)は、日本各地の食文化について聞き書きをしたシリーズです。食生活というのは県や江戸時代の旧藩、山や海との距離などによって大きく異なります。この全集は和食がユネスコの世界遺産に登録される際の基本文献になりました。
とりわけ興味深いのが、岩手県と新潟県と静岡県の巻です。岩手県は雑穀を生かした食文化の県で、日本の食文化の原点ともいえます。新潟県は米どころだけあって、お米の食べ方が多彩です。静岡県は大井川の東と西で、食文化も食生活も大きく違っています。このシリーズは、料理屋さんがお店のメニューに生かそうと買っていかれることもあります。
店内のイベントはどんなことをやっているのですか?
荒井 イベントは出版社や著者からの提案で行うことが大半で、最近1年間のイベントの模様はYouTubeでも公開しています。「路上園芸鑑賞家」の村田あやこさんと「ガードパイプ(防護柵)収集家」の岡元大さんの対談や、『島の暮らしを支える漁業と生業』の著者で、日本の有人島をすべて訪れた、乾政秀さんによる島の暮らしについてのトークショーなど、かなりユニークな催しが多いと思います。原則、参加費無料で行っています。いい企画があればご相談ください。
最後に、お店を訪れたついでに立ち寄るといいお薦めの場所はありますか?
荒井 ここから50メートルほど行った所にあるビルの地下にある「郷酒」(ゴーシュ)をお薦めします。宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』から付けた店名で、店主の奥様が岩手県出身。岩手の郷土食やお酒がおいしく、音楽のセンスもいいお店です。
取材・文/桜井保幸 写真/木村輝
参考サイト 農文協・農業書センター【フォトギャラリー】





















