「困ったら阿部久(あべきゅう)に聞け」。山形県鶴岡市の阿部久書店は、明治20年創業の老舗。1階と2階の店舗には古書や郷土史、地元出身作家の本が所狭しと並ぶ。この店には大川周明、藤沢周平、丸谷才一らが訪れ、文学サロンの趣があった。現在は、希少本や資料を探し求める、全国の研究者からの問い合わせが絶えない。鶴岡は、戊辰戦争でも太平洋戦争でも戦火を免れたことから、江戸時代からの文献史料がよく残っているという。阿部久書店5代目の阿部等(ひとし)さんと妻の恩(めぐみ)さんに聞いた。
古着や綿の卸からスタート
阿部久書店は明治20年の創業です。当初はどのような商いをされていたのでしょうか?
阿部等・阿部久書店店主(以下、等さん) すぐ近くに内川の船着き場があり、この辺りは江戸時代から旅籠(はたご)や問屋、米蔵、味噌蔵が並ぶ物流の拠点、いわば「駅前」でした。うちは江戸期から明治初めまで古着や綿の卸をしていましたが、明治20年以降、貸本や書店業を営むようになりました。大正期には一時「文華堂」と名乗っていたこともあります。現在は古書、郷土の本、雑誌を中心とした新刊を扱い、学校教科書や飲食店向けの外商も行っています。
鶴岡の街は、戊辰戦争でも太平洋戦争でも戦火を免れたため、江戸時代からの和本や古文書類がそのまま残っています。天井裏から刀がいっぱい出てきたなんて話もよく聞きます。蔵を壊したら紙くずがバラバラ出てきたけど、価値があるか分からないので、「阿部久に聞いてみようか」と連絡が入ります。
鶴岡市の中心部は、郊外や山間地と比べてもとりわけ人口流出が激しく、“家じまい”をするところが増えています。「本を処分してくれ」と依頼されて出向くと、「古道具も持っていってくれ」となり、最近は遺品整理も手伝うようになりました。
もっとも刀剣や壺、皿などはよそに任せ、うちは書画や掛け軸類に限っています。中小機構からも補助金をもらったので、店の1階にお茶を飲みながら古美術談義ができるスペースを作ろうかと考えています。
鶴岡では、神棚に西郷隆盛の肖像が飾ってある家があります。戊辰戦争の際、庄内藩は薩長の新政府軍と戦って敗れたのですが、西郷隆盛の指示によって庄内は無血開城となりました。だから地元の人は今も西郷さんに感謝しているんですね。酒田には西郷南洲を祭った南洲神社もあります。
この山積みになっている古文書のようなものは何でしょうか?
等さん これらは各村にあった文書や日記帳の写しです。昔は農民でも、役場の村長のような役職の人は読み書きができました。研究者はこれらの手書き資料を解読して、村史や町史などにまとめ、本にしていきます。
江戸時代から読み書きの土壌があって、その先に庄内文学や出版の文化があるわけですね。
等さん そうなんだと思います。鶴岡には多いときで26軒書店がありました。現在、地場の書店はうちと「和泉屋書店」「鶴岡書店」「ぶっくすプロ ほんの森」の4軒だけ、あとはチェーン書店となっています。
「困ったら阿部久に聞け」
お客さんはどういう方が多いですか?
等さん 一番多いのは研究者ですね。図書館にも神田の古書店にもない本でも、「困ったら阿部久に聞け」と、頼りにされています。京都の大学の先生から突然メールが届き、「庄内における松尾芭蕉の弟子がどんな句を詠んでいたか分かる資料はないか」と書いてあったので、「ありますよ」と答えたら「全部くれ」と返ってきました(笑)。先日もNHKのスタッフの方々が戊辰戦争についての番組を作るため、資料を探しに来られました。あとは物珍しさでやって来る若い観光客や、藤沢周平記念館で紹介されてやって来る方などでしょうか。
鶴岡出身の著名人というと、藤沢周平と石原莞爾(かんじ)が思い浮かびます。
等さん 私はまだ小さかったので藤沢周平さんにお会いしたことはないのですが、祖父が店主だった頃、しばしば資料探しに来られていたそうです。藤沢周平の作品には食事の場面がよく登場しますが、この『庄内の味』(伊藤珍太郎著/本の会)はその元ネタとなっています。この本の後に出た改訂版には、藤沢さんが寄稿しています。
石原莞爾が当店に来ていたかどうかは分かりませんが、石原は陸軍を引退した後、この近くにある高山樗牛(ちょぎゅう)の生家に住んでいました。実は、鶴岡の人は石原莞爾のことを語りたがりません。私は石原が右翼で、満州事変の首謀者だからなのかなと思っていましたが、そうではなかったようです。石原が陸軍中将に就任したお祝い会で、座る席をめぐり、伯爵だった酒井家の元殿様の家臣団との諍い(曙亭騒動)があったからと言われています。
鶴岡は江戸時代の風潮が今も残っているところがあって、酒井家のことを「酒井様」「殿様」と呼び、今でも庄内藩を「我が藩」と言ったりする人もいます。だから「殿様に盾突いた石原はけしからん」となるわけです。
酒田出身の思想家である大川周明は、鶴岡の荘内中学校に通い、当店で本を買ったと日記に書いています。また鶴岡出身の作家、丸谷才一さんも、学生時代うちにいらしていたそうです。
知られざる農民騒動の記録
郷土の本でお薦めはありますか?
等さん 『大地動く 蘇る農魂』(ワッパ騒動義民顕彰会編著/東北出版企画)は、明治初頭に庄内地方で発生した「ワッパ騒動」についての本です。庄内地方は明治維新の後も旧庄内藩藩士が役場に残り、新政府の方針と異なり、米で税を徴収していました。ところが、米の価格が高騰したため、その利ざやをめぐり、旧藩士層と農民の間で大きな紛争となりました。この本は、このワッパ騒動に関わった農民たちを顕彰するサークルがまとめたものです。
『日本の即身仏シリーズ 鉄門海の足跡を辿る』は、酒田市の地域史研究家である杉原丈夫さんが自費出版した本です。湯殿山注連寺で即身仏になった鉄門海上人の足跡をたどったもので、鉄門海上人は東北一円だけでなく、関西にまで旅をしていたことが分かります。
店内のイベントはどんなことをされていますか?
等さん 文学愛好家や地元作家が集まる「らくがき茶話会」を月に一度行っているのと、不定期で著者を招いたイベントを行っています。昨年は『共感覚の魔女 カラフルな万華鏡を生きる』(現代書館)の著者、蜜猫コノミさんに登壇いただきました。蜜猫さんはルーマニアで「魔女」の修業をしてきた本物の魔女だそうです。
ここで等さんの妻、阿部恩さんがいらっしゃったので、恩さんにもお薦め本を聞いてみた。
阿部恩さん(以下、恩さん) 夫の祖父、阿部久書店3代目の阿部整一は大泉散士(さんし)という筆名で、たくさんの本を出しています。自費出版の『随筆 鶴岡の人々』は、鶴岡の市民の暮らしや当時の街のにぎわいを書き残しています。阿部整一らが始めた文学サークル「らくがき倶楽部」は今も続いています。
『てんさらばさら てんさらばさら』(わたりむつこ さく ましませつこ え/福音館書店)は、鶴岡出身の絵本作家、真島節子さんによる絵本です。真島さんはこの近くにある真島医院がご実家です。東京・日本橋にある百貨店のデザイン部出身で、90歳近い今も現役で活躍されています。
今年8月刊行の『汚しんぼカラスのねぐら騒動記』(後藤三千代著/カラスの国)は、カラスと人間が共生する方法を論じた本です。著者の後藤さんはカラスの生態を研究している方で、本書には鶴岡のカラス出没マップも付いています。
最後に、阿部久書店に来たついでに立ち寄るといい、近所のお薦めスポットはありますか?
等さん ここから5分ぐらいのところに、昭和初期に作られた木造の綿織物工場をリノベーションした映画館「鶴岡まちなかキネマ」があります。建物の所有者は鶴岡市社会福祉協議会、運営は商店街の店主たち。全国でも珍しい形で、映画好きが集まってやっているミニシアターです。約10年閉館していたのですが2023年に復活、おかげさまで3年連続黒字になりました。当店でも、まちなかキネマにかかる映画とコラボしたイベントを行っています。
恩さん 南銀座商店街にある「寿司・天婦羅 柴楽」という店をお薦めします。若旦那が日本酒のマイスターで、料理に合わせたお酒を選んでくれます。
取材・文/桜井保幸 写真/向田幸二
参考サイト 阿部久書店【フォトギャラリー】





















