「ウクライナの人々は独立精神が旺盛。とりわけコサックは民族のシンボルです」。キヤノングローバル戦略研究所研究員の吉岡明子さんが選ぶ、「ロシア・ウクライナ情勢がよく分かる本」。3回目は『ウクライナを知るための65章』『物語 ウクライナの歴史』『オデッサ物語』です。

第1回「ロシア戦勝記念日 なぜプーチンは「非ナチ化」にこだわるか」から読む
第2回「ロシアの「被害者意識」はどこから来ているのか」から読む

ウクライナの国土は欧州最大

 ロシアのウクライナ侵攻以来、その惨状が報じられない日はありません。ただ、そもそもウクライナがどういう国なのか、ロシアやヨーロッパとどういう関係にあるのか、日本ではあまり知られていないような気もします。例えば、国土面積はヨーロッパの中で最大で、人口もドイツ、イギリス、フランス、イタリア、スペインに次ぐ規模と聞くと意外に思われる方が多いのではないでしょうか。

 そういう話から始まり、基本的な知識を網羅的に教えてくれるのが『 ウクライナを知るための65章 』(服部倫卓・原田義也編著/明石書店)。地理や歴史、文化、芸術、そして現代の政治経済の話まで、それぞれ多数の専門家の方が執筆されている解説書です。その構成上、最初から順番に読まなくても、自分の興味のある章をピックアップすればまとまった知識を得られます。いわば“ウクライナ事典”のような読み方ができる作りになっています。

自然環境、歴史、民族、言語、宗教など各分野の専門家による『ウクライナを知るための65章』
自然環境、歴史、民族、言語、宗教など各分野の専門家による『ウクライナを知るための65章』
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 とりわけ面白いのが、歴史や文化にまつわる章です。ある程度詳しく、しかも読み物として魅力的に書かれているので、予備知識がなくても抵抗なく読めるのではないでしょうか。

 歴史については『 物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国 』(黒川祐次著/中公新書)の方がより詳しく書かれています。

元ウクライナ駐在大使が執筆した『物語 ウクライナの歴史』
元ウクライナ駐在大使が執筆した『物語 ウクライナの歴史』
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 こちらもお薦めしたい1冊ですが、触れられているのは1991年のソ連の崩壊まで。それ以降、今日までの激動の30年間について、特に現在進行形のウクライナ侵攻と関連付けて簡潔に知るのであれば、『ウクライナを知るための65章』から入るのがよいのではないでしょうか。

ウクライナ独立は長年の悲願

 今回の侵攻には、2004年の「オレンジ革命」(親欧米派のユシチェンコ政権が発足)、2014年の「ユーロマイダン革命」(親露派のヤヌコーヴィチ大統領の政権が、EUとの緊密化を望む野党などを中心とした勢力の街頭行動が激化する中で倒れ、親欧米政権が樹立)、その後のロシアによる一方的なクリミア半島併合、および「ドンバス紛争」が深く関わっています。これらについて『ウクライナを知るための65章』は詳しく述べているので、侵攻に至った直接的な背景がよく分かると思います。

 もう少しウクライナの歴史を遡ると、そのハイライトは15~17世紀ごろの「ウクライナ・コサック」の活躍です。コサックとは「群れを離れた者」を意味する軍事的集団です。当時、ウクライナはポーランド・リトアニア共和国の支配下にありましたが、彼らは時に反旗を翻しました。特に1648年に始まった反乱は、社会的、政治的大義を持つ大規模反乱へと成長し、ついにはポーランド・リトアニア共和国の支配から脱することに成功します(フメリニツキーの乱)。しかし、フメリニツキーはその後ロシアと手を組んだため、同国によるウクライナ支配が漸次確立していくことにもつながりました。

「歴史をたどればウクライナが徹底抗戦する理由が見えてきます」と話す吉岡明子さん
「歴史をたどればウクライナが徹底抗戦する理由が見えてきます」と話す吉岡明子さん
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 ロシアと手を組んだことの是非については歴史的評価の分かれるところですが、彼らが自由と独立のために戦ったことは間違いありません。だから今日でも、ウクライナの人にとってコサックは民族のシンボルであり、誇りなのです。『物語 ウクライナの歴史』は、そのあたりの経緯を詳しく紹介しています。

 見方を変えれば、それだけ独立は長年の悲願だったということです。先のオレンジ革命以降の経緯も、今日のウクライナが大国ロシアに対して徹底抗戦の構えを見せている理由も、ここからいっそう理解しやすくなるのではないでしょうか。

多様な文化が交錯するオデーサ

 それからもう1冊、ウクライナに関連してぜひ紹介したいのが『オデッサ物語』(イサーク・バーベリ著/中村唯史訳/群像社)。書かれたのは1920年代ですが、私が衝撃を受けた短編小説集です。

 私はロシア文学が好きで、モスクワに留学中はドストエフスキーなどの作品を原書でいくつも読みました。19世紀のロシア文学と言えば、ペテルブルクの薄暗くいてつくような雰囲気と、哲学的な議論を軸とする展開がその魅力の一つです。

 この本もその延長線上のつもりで手に取ったのですが、まるで違いました。タイトル通り、舞台は黒海に面した港湾都市オデーサ(ロシア語でオデッサ)で、さんさんと輝く太陽と明るい原色の情景がパッと飛び込んできたのです。私がそれまで知っていたロシア文学との違いに、ただただ驚かされました。

ロシア文学であり、ウクライナ文学でもある『オデッサ物語』
ロシア文学であり、ウクライナ文学でもある『オデッサ物語』
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 収録されている作品は4編。そのうちの2つは表題の「オデッサ物語」と同物語のその後を描いた短編で、ユダヤ人街のギャングたちの生態が戯画的に描かれます。日本語訳も素晴らしく、歌舞伎など舞台芸術にも通底するような独特の語り口調も、この作品の魅力の一つです。他の2編は「私の鳩(はと)小屋の話」など、ユダヤ人の著者イサーク・バーベリの自伝的な小説です。

 もともとオデーサは、ロシア帝国にとってサンクト・ペテルブルクに次ぐヨーロッパへの窓として栄えた国際都市でした。そのため街並みはエキゾチックで、一時はユダヤ人もかなり多く住んでいたようです。

 そういう環境で生まれたこの小説は、ロシア語で書かれたという意味ではロシア文学であり、ウクライナが舞台という意味ではウクライナ文学であり、ユダヤ人が書いたという意味ではユダヤ文学でもあります。つまり一口にウクライナと言っても、そこには歴史的、文化的な複雑さが内包されています。現在は古書店や図書館でしか見つけられないかもしれませんが、オデーサへの攻撃が報道される今、ぜひ手に取っていただきたい小説です。

文・取材/島田栄昭 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝