人生100年時代、必然的に働く時間も長くなっています。その人生を仕事中心にするか、ほどほどに働くか。シモーヌ・ストルゾフ著『静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す』に登場する「仕事主義」な人たちは、どのような選択をしたのでしょうか。翻訳者の大熊希美さんと編集担当の三田真美さんを迎え、仕事と人生について語り合いました。今回は2回目。(聞き手は、「日経の本ラジオ」パーソナリティの尾上真也)  

仕事がアイデンティティーになっている人

尾上真也・「日経の本ラジオ」パーソナリティ(以下、尾上) 引き続き、『 静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す 』を翻訳された大熊希美さんと編集担当の三田真美さんをお迎えして、お話を伺います。

 この本には、世界最大の資産運用会社ブラックロックやグーグル、キックスターターなど、有名企業を辞めた方々が登場します。第1章「さらば、仕事中心の生活」に出てくるのは、ミシュランの星付きレストランのシェフだったディビヤ・シンさん。負けず嫌いで、会社を立ち上げるなど試行錯誤をするなかで、一生懸命に仕事に取り組んでいました。

大熊希美(以下、大熊) よくある話かもしれませんね。やはり仕事で何かを達成できればすごく楽しいし、のめり込んでしまいます。でも、ある程度自分が満足するところまでやって、それなりに達成したその先には何があるのか──というのが、この人が悩んだところなのかなと思います。

仕事をしていない自分に価値を見いだせず、苦しむ登場人物たち。彼らは新しいアイデンティティーを見つけられたのでしょうか
仕事をしていない自分に価値を見いだせず、苦しむ登場人物たち。彼らは新しいアイデンティティーを見つけられたのでしょうか
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大熊 ディビヤさんは、仕事以外の自分に価値を見いだせず苦しみ、やがて仕事を辞めてしまう。そしてタイを旅するなど、職場を離れた後の何もしていなかった期間のことが一番印象に残っていると、最後に話しています。結局、仕事をしていない自分を愛せるかどうかという話なのかなと思うのですが、どうでしょう。

三田真美・日経BP(以下、三田) そうですね。仕事中心に生きていると、自分が何者でもないと感じてしまう瞬間があるのが怖いですよね。音のない所で静かに過ごせば穏やかさを取り戻せるとしても、常に音があるなかでがむしゃらに働いていると、静かな方がおかしいという感覚になってしまうかもしれない。

尾上 ディビヤさんは仕事そのものが自分のアイデンティティーになっていて、仕事がなくなったとき、自分って何だろうと分からなくなっちゃったんですよね。でも、仕事がアイデンティティーになっている人は、たくさんいるのではないでしょうか。

三田 そうですね。私は新しい本が出ると自分のSNSで紹介するのですが、この本に関しては、周囲の友人からものすごくリアクションがありました。10年ぶりくらいに連絡をくれた人もいて、「この本で人生が変わった」と。

 その彼女は、この第1章のエピソードにすごく気づかされたそうです。それまで子育てしながら一生懸命働いてきたけど、ふと、このまま続けていく必要があるのかと迷っていたときにこの本を読んだと。それで、休職して学校に行こうと考えていると、お茶をしながら話してくれました。

大熊 すごい。素晴らしいですね。

三田 真面目に、一生懸命キャリアを築いてきた人からの反応が多くて、彼らがふと我に返って見つめ直すタイミングに、たまたま当たったのかもしれません。

仕事を辞めて、次の自分を見つけるには

尾上 第1章のディビヤさんは仕事以外のアイデンティティーを見つけられた感じがしますが、本書に登場するのは必ずしもそういう人ばかりではないようです。

 第4章「さらば、燃え尽き症候群」に出てくるジャーナリストだったメーガン・グリーンウェルさんは、ワシントン・ポスト紙に就職して、ウェブ版「WIRED」の筆頭編集者などもやっていたけど、燃え尽きて仕事を離れてしまいます。その後の話も書かれていますが、新しいアイデンティティーを見つけられていないようですね。

大熊 次の自分を見つけるには、新しいコミュニティーで新しい人とつながることが大事だとこの本には書かれていますが、自分の価値と仕事を強くひも付けてしまうと、それが難しいときもあります。メーガンさんは身動きが取れない状況になっているのかな、という印象を受けました。

三田 強制的にでも環境を変えない限り、ずっと1人で堂々巡りになってしまうから、新しい人に会ったり、新しい場所に行ったり、そういうことが必要なのでしょうね。この本には「Eat, Pray, Love(食べて、祈って、恋をして)」という、かつてアメリカでベストセラーになった本のパロディーのような文章が出てきます。自分を見直すために旅に出るなど、そういう時間を経て切り替えられることはあるかもしれません。

 ただメーガンさんの場合は、上司が『プラダを着た悪魔』(ローレン・ワイズバーガー著)の編集長役のモデルになったといわれるアナ・ウィンターさんで、彼女はワーカホリックのスーパー女王様ですから、ガチガチの価値観のなかにいたのでしょうね。メーガンさん本人もスタージャーナリストで、そのポジションを崩すのは難しい。体と心が迷いのなかにいる感じがするし、現実でもそういう人は多いと思うんです。

尾上 かと思うと、第8章の「さらば、出世競争」に出てくる、優秀な大学を卒業して世界最大の資産運用会社ブラックロックで史上最年少のマネージングディレクターを務めたケイ・ハイさんは、途中で気がついてそのレールから降り、第2の人生を見つけています。

三田 アメリカで成功した人の典型的なキャリアですね。彼はカンボジア系アメリカ人で、本当に努力して30歳までに年収100万ドルを稼ぐという、誰もがうらやむ成功者になりました。でもある日、ストレス性の脱毛症で頭髪が抜けてしまいます。その日は友達の結婚式で、慌てて脱毛した所を隠すスプレーを買って使ったけど、式の後自分を鏡で見たらそのスプレーの染料が垂れていて、ワイシャツに染みができていて…と、複雑な気持ちを表す エピソード も書かれていました。

 すごく一生懸命やってきたけど、何のためにやっていたのか分からないという感覚があったかもしれませんね。

尾上 その後ケイさんは、メールでニュースレターを配信するなど、さまざまな情報を発信しているようですね。

三田 自己啓発分野で影響力のある人というポジションで、いい感じになっていますね(笑)。

見えないゴールへ走り続けるアメリカ人

大熊 本書の登場人物たちは、自分を幸せにしてくれるはずだった仕事に裏切られたような感覚を持っていて、これからどうすべきかという葛藤を抱えています。その葛藤に明確な答えがあるわけではないけれど、それぞれがワークとライフのバランスをどう取っていくか試行錯誤し、乗り越えようとしています。

尾上 日本では、仕事中心の人生を送ってきたけど、退職したらやることがない…というケースも多いです。この本に出てくる人たちは若くして成功していますが、行き着く先には似た部分も見えてくる気がしました。

三田 ただ、日本の場合は終身雇用がセットになっている場合も多く、会社にどっぷり漬かって仕事をし続け定年退職という、ある意味ゴールがあります。でも、他の国の場合は必ずしも終身雇用ではないから、将来どうするかという不安のなかで、とにかく稼がなきゃと仕事のペースを加速させてしまうところがあります。

 かつての日本のワーカホリックとは次元が違って、ゴールが見えなくても頑張り続けなければならないというストレスが、とても大きいのではないかと思います。

尾上 本書に登場するさまざまなタイプの人たちを見ていると、自分に近い部分や参考になる部分、全然違う部分など、読む人それぞれに感じるところがありそうですね。

大熊 答えがあるわけじゃないから、幸せになるためにはどうしたらいいか、読者一人ひとりが考えさせられるのではないでしょうか。

三田 幸せになるための自己啓発本は、無数にあります。ステップ1ではこれ、ステップ2ではこれ…と具体的なノウハウをうたう本はたくさんあるけれど、この本の著者はそもそもそういうノウハウに頼りたくない。そこが本書の魅力で、いろいろな人のリアルなエピソードには誰しもどこか重なる部分があって、それが共感を呼んでいるのだと思います。

文/佐々木恵美 編集協力/山崎 綾

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