世界中の富が一部の国に集まるなか、米国のホワイトカラーは今や世界一の働き中毒となりつつあります。何かがおかしい、と気づいた人は、仕事にまつわる様々な「神話」に疑いの目を向け、労働とその価値が揺らぎ始めています。仕事人間からいったん降りた人々のストーリーから「適度な仕事」を問い直す『 静かな働き方 「ほどよい」仕事でじぶん時間を取り戻す 』(シモーヌ・ストルゾフ著/大熊希美訳/日本経済新聞出版)より、抜粋・再構成してお届けします。

お金を稼げばステータスが上がる

 ケイ・ハイは子どもの頃からずっと人生はゲームのようなものだと思っていた。ニューヨーク市で生まれ育った第1世代のカンボジア系米国人でオタク気質のケイにとっての最初のゲームは、周りに認めてもらい、居場所をつくることだった。小学生時代を過ごした1990年代初頭、ケイの名前は珍しく、浮いていた。マイケル・ジョーダンの最新シューズは買ってもらえず、厳格な両親には10代になってもデートをすることを禁じられていた。だから幼いケイはお金を稼ぐことにエネルギーを注いだ。

 ゲームのルールはシンプルだ。お金を稼ぐ。するとステータスが上がる。ステータスが上がれば仲間にしてもらえる。中学生時代はコミック誌や野球カードを集めた。特段好きだったからではない。いずれ価値が上がることを知っていたからだ。小学5年生頃からスタイタウンのフリマの常連で、カードを売って利益を得ていた。

 高校に入ると、ケイは当時盛り上がり始めていたインターネットに目を付けた。やがて地元の企業も自分たちのウェブサイトを持つ必要が出てくると踏んで、HTMLの基本技術を独学で習得した。そして両親の友人らに自分のスキルを売り込み、旅行代理店や花屋さんなどのウェブサイトを作成したのである。

 ケイには人生の目標が大きく2つあった。金を稼ぐことと、一流大学に入学することだ。ケイはそのどちらも達成する。アルバイトをしながら、UN(国際連合)インターナショナルスクールの高等部を首席で卒業し、イェール大学に入学した。

 大学でもゲームは続いた。専攻はコンピュータサイエンス(計算機科学)に決めた。卒業後の平均初任給が最も高かったからである。空いた時間は大学の図書館でアルバイトをした。勉強しながらお金を稼げたからだ。週末も引っ越し作業員として働き、飲み代を稼いだ。大学1年生の頃から卒業後の進路について考えていた。ケイの目標は収入を最大化することであり、イェール大学のようなところでそれを実現する最も簡単な方法は大学で実施される企業の新卒採用に参加することだった。

 将来に目を輝かせる高校生の大半は、大学の入学願書に将来の夢は金融やコンサルティング業界で働くことだなんて書かない。それでも、この2つの業界は一流大学の学生にとって最も人気の就職先である。その理由の一端は、学生が仕事に応募するのではなく、会社の方が学生を採用しに来てくれるからだ。

 毎年春になると、企業はブリーフケースとテカテカしたパンフレットを携えた採用担当者をキャンパスに派遣し、次世代のインターンやジュニアアナリストたちを熱心に勧誘する。そして、政治から詩まで様々な分野の単位を取得しているケイのような野心的な大学生は、トップ企業に入社することを目指して、タンクトップやスウェットから、スーツに着替えるのである。

ケイは企業の新卒採用に参加した(Nuthawut/stock.adobe.com)
ケイは企業の新卒採用に参加した(Nuthawut/stock.adobe.com)
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 一流大学と同じように、銀行やコンサルティング会社にもランキングが存在する。ゴールドマン・サックスとマッキンゼーが最上位に位置し、ベイン、モルガン・スタンレー、ボストン・コンサルティング・グループなどが続く。各社の採用担当者たちは会社説明会で独自の文化やインターンを通じて習得できるつぶしのきく能力について熱心に語る。

 だが、学生らはこうした企業の最大の魅力が何かをよく知っている。高い給料だ。ケイが就職活動をしていた1990年代後半、まだシリコンバレーの企業は魅力的な就職先としては見られていなかったので、特にこの傾向は強かった。

最年少で出世もストレス性脱毛症に

 多くの移民と同じように、ケイの両親は努力と謙虚さが大事だと子どもに教えていた。しかし、幼いケイは中流下位階級の両親にとってお金がどれほど悩みの種になっていたかを知っている。家族総出で数カ月間貯金してやっと買ったプリンターが、強盗によって父の手から奪われるのをケイは見ていた。その後ケイの家族が新しいプリンターを手に入れることはなかった。

 卒業が近づく頃、ケイは就きたい仕事を弁護士、銀行員、エンジニア、医師の4つに絞った。どれも年収が良いからだ。最終的に銀行員になることを選んだ。お金を稼ぎ、ステータスを獲得し、認めてもらうのにうってつけだった。

 採用期間中、投資銀行の採用担当者らは業界の華やかさをアピールした。黒いクルマが迎えに来て、ケイとクラスメートは大学のあるコネティカット州ニューヘイブンの町でも最高級のレストランに招待された。若いアソシエイトたちはケイに50ドルのウイスキーのショットを奢り、期末ボーナスの多さやクライアントとのディナーの豪華さを熱く語った。

 投資銀行での昇進の道筋ははっきりしている。インターンからアナリスト、アソシエイト、バイスプレジデント、ディレクターになるのだ。トップに上り詰めるには何をすべきかも明確である。

 銀行員としての最初の10年間、ケイは着実に昇進を重ねた。大学の夏休みと卒業後の数年間はウォール街で働き、その後、世界最大の資産運用会社であるブラックロックに落ち着く。仕事は順調だった。

 だが、これは自分のやるべきゲームではないような違和感を抱くこともあった。ケイが背中を追い、いずれ同じ道をたどることになる先輩たちは、子どもたちが背後で遊んでいるなか、土曜朝の会議に電話で出席していた。ケイは週に70時間は働き、同僚のボーナス支給額が自分より高いと知ると悔しくなった。けれど、豪華なディナーや新しいスニーカーには以前ほど気持ちがたかぶらなくなっていた。

 靴の中に紛れ込んだ小石のような不安が胸の内にあった。しかしケイはそれを無視し、どんどん上を目指す。28歳でニューヨーク市にアパートを買った。30歳になるまでに年収は100万ドル(約1億4500万円)を超えた。そして31歳の若さでブラックロック史上最年少のマネージングディレクターに昇進したのである。

 目指すべき昇進やボーナスが必ずあり、それらは不安を一時的にかき消してくれた。しかし、何かを達成する度に物質的な成功に対して免疫が高まっているようだった。「成功は中毒のようなものだ」とケイは話す。「初めてハイになると幻覚を見る。でも、それが毎日続くと、朝起きて平常心を保つためだけに10回はクスリをキメなきゃならなくなる」

ケイは史上最年少のマネージングディレクターに昇進した(Nuthawut/stock.adobe.com)
ケイは史上最年少のマネージングディレクターに昇進した(Nuthawut/stock.adobe.com)
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 限界を迎えたのは33歳の時である。その日は親友の結婚式に行く予定だった。髪がごそっと抜け落ちているのをケイのガールフレンドが見つけた。後日、ストレス性の脱毛症が原因と知る。とはいえ、数時間後には結婚式に向かわなければならない。ケイはあわててなんとかする方法をググった。近くの薬局で脱毛症用のコンシーラーが売られている。露出した頭皮を覆い隠す髪用のスプレーだ。けれど、式が終わってトイレの鏡を見ると、スプレーが落ちて首に染料が垂れていた。

 そこには、これ以上ないほどの成功を収めた男の姿があった。高校の成績優秀者で、イェール大学を卒業し、世界最大の資産運用会社の史上最も若いマネージングディレクターだ。それにもかかわらず、あまりのストレスで髪が抜け落ちている。

 この15年間、銀行口座の残高がいつかすべての悩みを解消してくれるとケイは信じていた。しかし、鏡に映っているのは真っ白なシャツに黒いスプレーが飛び散った脱毛症を患う33歳の男である。これ以上、富と地位を得ても気分が晴れることはないことは明らかだった。

ピカピカの履歴書を追うコンサルの人生

 「誰彼が成功している」と言うとき、おそらくそれはその人が健康で幸せであるという意味ではない。米国人はあまり認めたがらないが、「成功」は大抵の場合、その人が大金を稼いでいることを意味する。

 2019年に実施されたアンケート調査は、「あなたにとっての成功はどのようなものですか?」と参加者に尋ねるものだった。回答者の97%は「その人にとって関心があることを追求し、才能を存分に発揮して、気にかけている分野で最高の自分になることができたのなら、その人は成功している」という説明文に同意した。しかし「成功とはどのようなものですか?」という質問に対して同じ説明文に同意した回答者は8%に過ぎない。

 92%の人たちは「その人が金持ちで、素晴らしいキャリアがある、あるいは有名なら成功している」という説明文に同意していた。つまり、回答者の大多数は、他者は「成功」を富や名声、地位で定義すると信じていたが、それが自身の思う「成功」の定義だと思っていたのは10%未満ということだ。

 たとえ成功の定義が富や名声、地位とは関係がないと主張する人でも、その人がその信念に沿って行動するとは限らない。米国人の多くは、作家のデイビッド・ブルックスが「履歴書の功徳」と呼ぶものによって駆り立てられている。つまり、履歴書に載せられる学校の成績や仕事の肩書、受賞歴などのことだ。履歴書の功徳は、他者に認められることに意味がある、野心の採点項目のようなものである。さらにこのソーシャルメディアの時代、短い自己紹介文や日々の個人的な投稿など、他人に自身の成果を見せつける機会はあふれている。

 ケイも履歴書の功徳を追い求めていた。
 中流下位階級の家庭から社会の上位1%まで上り詰めたのだ。ケイの得た地位、教育、資産は、どれもこの社会が成功と見なすものである。それでも、ケイは幸せではなかった。

 ケイが極めようとしたステータスゲームは成績上位を目指す学生、優良企業に就職したい求職者、昇給や昇進のために働く労働者が参加しているのと同じゲームである。このゲームは人類が集団を形成し始めて以来ずっと存在してきたが、多くの人にとっては苦しみの元凶にもなっている。

ジャーナリストで有名デザインコンサル会社IDEOのデザインリードを務めた著者が、自身の退職を機に、働き中毒となった米国ホワイトカラーの実態とその背景にある仕事の「神話」に疑いの目を向け、「適度な仕事」を問い直す全米話題作。

シモーヌ・ストルゾフ著/大熊希美訳/日本経済新聞出版/2090円(税込み)