役員の椅子取りゲームに敗れ、忠誠心の行き所をなくし、なんのために働いているのか分からなくなった「働かないおじさん」たち。モラトリアム状態となった彼らはやがて結託し、強固な「ジジイの壁」を築いていく── 壁の内外で繰り広げられる攻防について、『働かないニッポン』の著者、河合薫さんに伺います。今回は2回目。(聞き手は、「日経の本ラジオ」パーソナリティの尾上真也)
新しい「働かないおじさん」誕生
尾上真也・「日経の本ラジオ」パーソナリティ(以下、尾上) 今回も、『 働かないニッポン 』の著者、河合薫さんをお迎えしています。前回は「働かされ感」「働きたくない若者」という話の流れから「働かないおじさん」がいるとのお話でした。でも、昨今は新しいタイプの「働かないおじさん」が出てきているとか。
河合 薫(以下、河合) はい。まず、「働かないおじさん」と呼ばれるようになるきっかけは、役職定年です。それまでは同期との出世競争を勝ち抜いて課長になったり、部長になったりできたけれど、50歳になった途端に同期がみんな集められて、肩たたき研修が行われる。そこでまず「なんであいつと同じ場にいなくちゃいけないんだ」とモチベーションが下がります。さらに以前は「課長、課長」と寄ってきた部下が声を掛けてくれないし、自分が何か意見をしても耳を傾けてくれなくなる。
実際にビジネスパーソンに取材すると、いったんモチベーションは下がるけれども「後進に道を譲ったほうがいい」「自分はサポートする側に回ろう」と切り替えることができる人も多いのです。ところが一方では、よかれと思ったアドバイスが周囲から「昭和的」と笑われたり、経験談が「昔話」「自慢話」と言われたりして、縁の下の力持ちとしての姿が評価されないという事態が起こるわけですね。
すると「自分は何をやっているんだろう」とさらにモチベーションが下がってしまいます。「地獄とは他人」というサルトルの言葉がありますが、私たちは他人を通してしか自分自身を知ることができず、つまり誰も自分に期待していないし、評価もしてくれていないと感じるわけです。ふと周りを見渡すと、いち早く役職定年になった先輩社員がスマホでメジャーリーグを見ていたり、定時にさっさと帰ってしまったり…それを見て「自分もあの人たちと同じなのか」と思っているうちに、だんだんと「働かないおじさん症状」が伝染し、本当の「働かないおじさん」になるのが、今までの典型的なパターンでした。
尾上 なるほど…。
減っていく、役員の椅子
河合 一方、新しいタイプの「働かないおじさん」は、ある程度、出世競争に勝ちヒエラルキーの上位にいて、あとは役員の道が待っていると思っていたら突然上司にはしごを外されてしまう。それまで上司や会社に義を尽くして頑張ってきたのに、いきなりそのような憂き目に遭って、忠誠心の行き所をなくしてしまうのです。
それまでは、上を目指しポジションを手に入れ、会社を変えていくということが一つのモチベーションになっていたのに、自分がなんのためにいるのか分からないモラトリアム状態、無気力状態になってしまう。私は「モラトリアム型働かないおじさん」と呼んでいますが、なぜそうしたことが起こるかというと、10年前に比べて明らかに役員の椅子が減っているからではないでしょうか。ですから、早く椅子に近づけた人はライバルをどんどんはじいていく。こうして最後の椅子取りゲームに敗れた人たちがモラトリアム状態になり、新型の働かないおじさんになっているのです。
尾上 そこに「ジジイの壁」と「ジジイゲート」が出現する、と。さらに「ジジイゲートが狭まっている」とか。
河合 「ジジイ」とは性別、年齢に関係なく組織内で権力を持ち、その権力を組織のためではなく自分の保身のために使う人たちの総称です。権力は、使い方によっては決して悪いものではなく、それによってさまざまな意思決定や行動ができます。でも、いったん権力を手にした途端、保身の方向に変わってしまい、それまでは改革を押し進めてきた人が一転、自分がそこに居座り続けることだけにエネルギーを注ぐようになってしまう。それがジジイ化現象です。
権力は人を惑わすものでもあるので、ジジイ化に足を踏み入れ、保身すればするほど実は不安感も高まるという矛盾があります。不安感がどんどん高まると、ジジイは結束力を高めていく。それが「ジジイの壁」になっていきます。
ジジイの壁の内側では無責任同盟が結ばれ、互助会があり、責任逃れできる都合のいい言い訳が考えられ、入り口にはジジイゲートもある。ただ、そのジジイゲートはどんどん狭まってきているのが現状です。
ジジイの壁を支える「粘土層」
尾上 ジジイの壁を支えるジジイ候補もいて、結束が強くなってしまうのでしょうね。
河合 ジジイの壁にへばりつく「粘土層」もいます。「いったいどっちを向いて仕事をしているの」という人たちが忖度して、ジジイを守るんですね。だからジジイの壁はチョモランマよりも高く、ベルリンの壁よりも厚く、強度は鉄をはるかに上回る。これは政治の世界を見ても分かりますよね。
尾上 確かにそうですね。
河合 現場の人はいろいろな責任を取らされるのに、いったんジジイの壁の内側に入った人はなんの責任も取らなくていいんだな、と思われてしまうのです。それと同じようなことが会社組織でも起きていて、「自分が闘っていた相手はジジイだったのか」と考える人も多いかもしれません。
尾上 組織の全員が粘土層というわけではなくても、そういう人たちの多い組織の中にいると「労働はしていても働いていない日本人」が増えてしまうのですね。
河合 補足すると、誰もがジジイ化するリスクを持っています。私にもあります。例えば、キャリアを重ねてそれなりのポジションになったり、周囲から認められたり、いろいろと手にするものが多くなると、壁の向こうに行きがちなのです。自分よりも属性が低い人を見下して「自分がやってきたことはすごいんだぜ」と思う心理は、多くの人が持っていますから。だからこそ、現場に戻り、謙虚でいる必要があるのですが、組織ではヒエラルキーが決まっていて、ついジジイの壁の向こうに足を踏み入れてしまう。
そして、壁の向こうの人たちは何を見ているかというと、働く人ではなく、お金。いろいろな不正や問題をひもといてみると、企業がもうかるため、生産性を上げるために人の能力の限界を超えたことを下に求めているという構図が浮かび上がります。下は無理を重ねなければタスクを成し遂げられず、それが常態化してしまったのだと思います。
また、「労働」と「働くこと」は違います。労働は「labor」の日本語訳で、laborとは奴隷がするものという考え方もあり、奴隷は企業や組織がもうかるためだけの労働力を提供する。そこに意思や自由はありません。一方で、江戸時代の日本人や職人はずっと、技を極め、自分を磨くために「働いて」きました。でも、労働が日本に入ってきて、今は労働ばかりになり、お金のためだけに働いている。報われないにもかかわらず、上に求められていることだけを一生懸命やっている状態です。
尾上 ちまたでいわれる社畜的な働き方ですね。今、働き方改革だとかいわれても、まだまだ根っこの部分では社会として、組織として、変われていない部分がある。では、脱「働かないニッポン」のためにはどうしたらいいのか。それには「有意味感」が大事だということですが、次回はこの話について詳しく聞かせてください。
文/三浦香代子 編集協力/山崎 綾
