一般の人には難しいと見られがちな経済学ですが、心理学と経済学の視点を組み合わせた行動経済学はとっつきやすい分野です。特に初心者でも読みやすいお薦めの本を、経済財政諮問会議議員など公職を歴任した経済学者、伊藤元重・東京大学名誉教授に挙げてもらいました。取り上げるのは 『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』 (ダン・アリエリー著/熊谷淳子訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)。

初心者もとっつきやすい経済学

 通販番組でよく、「通常は1万円ですが、割引価格で8000円! さらに、今回は特別に6000円で!」なんて宣伝していますよね。あれを見ていると、本当にお得だなぁ、と思えてきて、こんなに安くして採算取れるのか? などと販売元の心配をしながら財布のヒモが緩むものです。でも、もし最初から6000円で売られていたらどうでしょう? お得感を感じることができると思いますか?

 人は何かを選ぶとき、絶対的な基準ではなく、相対的な基準で決める生き物です。通販番組で財布のヒモが緩むのは、徐々に下がる値段を比較して安いと思えるからです。まったく同じ商品でも、割引価格だけでは比較の対象がないため、買う人は少ないでしょう。

 そんな合理的とは言い難い人間の経済行動を分析するのが、『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』のテーマである行動経済学です。心理学と経済学の視点を組み合わせた学問で、経済学に明るくない人にもとっつきやすく、これから経済学を学びたいという人にもお薦めです。

行動経済学を基に人間の行動を分析する『予想どおりに不合理』
行動経済学を基に人間の行動を分析する『予想どおりに不合理』
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 行動経済学は最近、注目度が上がっていて、そのため関連図書が増えています。ただ、書店に行くと、これは別に読まなくてもいいんじゃないか、と思うものもありまして……。ただ、学問的にしっかりした書籍を、となると難解になりがちです。その点、本書の著者、ダン・アリエリーは行動経済学の第一人者で、信頼できるしっかりとした内容でありながら、読みやすくてスーッと頭に入ってくるはずです。2008年にアメリカで刊行されて、ベストセラーになったというのも納得できます。

不思議なオークションの実験

 何より、実験例がすごく面白い。人間の行動のクセを科学的に分析するために、行動経済学では実験手法を使います。

 例えば、オークションをするという設定で、学生たちを対象に行った実験。オークションに出品されたのは、コードレスのキーボードやデザイン関係の本、有名店のチョコレート、年代物のワインなど。一通り商品の説明が終わると、紙を配り、自分のソーシャルセキュリティーナンバー(社会保障番号)の下2ケタの数字を書かせます。その後で、各商品に払ってもいい最高金額(入札額)を記入させます。すると、不思議なことに、社会保障番号の数字が88とか99とか大きい人の方が、高い値段を付けて落札したことが明らかになりました。

 だいぶ省略して説明していますが、この実験は世界各地で行っていて、いずれも同様の結果になりました。なぜそうなるのか? ダン・アリエリーは「刷り込み」という言葉を使って分析しています。つまり、値付けの前に書いた社会保障番号の数字が頭の中に残っていて、それが値付けに影響している、と。まったくもって、不合理で不思議ですよね。でも、人間の行動ってそういうものなんだな、と理解できます。

ホームベーカリーが売れた理由

 全然売れないホームベーカリーの実験結果には、思わず笑ってしまいました。アメリカでキッチン用品などを販売するメーカーが、ホームベーカリーを売り出したとき、消費者に見向きもされませんでした。まだホームベーカリーが一般的でなかった頃の話で、使い勝手がいいとは思われなかったのです。頭を抱えたメーカーがマーケティング調査会社に相談したところ、追加モデルの投入を提案されました。最初のモデルよりも大型で、値段が1.5倍のものを投入せよ、というのです。

 すると、飛ぶように売れ出しました。追加モデルではなく、最初のモデルのほうが。消費者はホームベーカリーの必要性をあまり感じていないのに、大きくて高いものと比べて、「安くて小さいものならいい」と判断して買ったというわけです。

「信頼できるしっかりした内容ながら、スーッと頭に入ってきますよ」
「信頼できるしっかりした内容ながら、スーッと頭に入ってきますよ」
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 もっと笑ったのは、イギリスのある経済誌の年間購読サービスを選ぶ実験です。値段は、印刷物だけだと125ドル、印刷物+ウェブ版でも125ドル、ウェブ版だけだと59ドル。どれにするか100人の学生に選ばせたところ、印刷物+ウェブ版の125ドルを選ぶ人が8割以上になりました。一番お得感がある選択で、納得できますよね。

 ところが、印刷物だけで125ドルという選択肢を外して、ウェブ版だけで59ドルと、印刷物+ウェブ版の125ドルという2つの選択肢にしたところ、前の実験では8割以上いた印刷物+ウェブ版を選んだ人が約3割に激減して、ウェブ版だけを選ぶ人が約7割に。印刷物だけで125ドルという選択肢がないと、印刷物+ウェブ版の125ドルがお得に感じられない、ということです。確かに、この二択なら、自分もウェブ版だけを選ぶな、という気がしますね。

 どれも共感せずにはいられない結果ですが、学問の視点は一般生活者とは異なるため、新しいものの見方や考え方を得られるはずです。それが学問に触れる重要な意味で、自分の消費行動を見直すきっかけにもなるでしょう。マーケティングや商品企画、営業に関わる人には特に参考になる内容です。

取材・文/茅島奈緒深 写真/小野さやか