『鬼滅の刃』『国宝』『ゴジラ-1.0』など数々のヒット映画を生み出している東宝は、それをどのように大きな収益につなげているのか? コンテンツ制作という文脈だけでは語れない、東宝のIP(知的財産)ビジネスの裏側を解説する。『ゼロから創らない戦略』(野本遼平著/日本経済新聞出版)のフレームワークを基に、IPビジネスに強い企業のケースを紹介する。
「作る能力」だけではIP事業としては不十分
『鬼滅の刃』や『国宝』などの大ヒットに関与し、『ゴジラ-1.0』は米国アカデミー賞で視覚効果賞を獲得するなど、東宝は日本のコンテンツ企業として躍進を遂げています。2026年の決算は純利益が517億円と過去最高を記録し、東宝はビジネス的にも大成功を収めました。
これだけの実績が続けば、「日本のコンテンツを作る力が証明された」と受け止めるのは自然なことです。しかし、残酷なことに、ここには「作品を作る力」そのものが収益をもたらしているとは言い切れない事情があります。これらのヒットを「収益」に結びつけた最大の要因は、作品から生まれる権利とキャッシュフローを捕捉する力、「ライツビジネス」の設計にあるのです。
ライツビジネスは極めて単純な仕組みで成り立っています。「権利を持っている者が、その権利から繰り返しキャッシュフローを得る」というものです。ソフトウエア産業がサブスクリプション料(ライセンス収入)で成立するのも、音楽がストリーミングで稼ぐのも、すべて同じ仕組みです。
このようなビジネスモデルにおいては、IP(知的財産)やコンテンツ(以下、総称して「IP」と表記します)に関わるビジネスには、「ヒットしたとき、そのキャッシュフローを誰に帰属させるか」といった問題がついてまわります。
また、IPが生まれるプロセスに関与したからといって、必ずしも権利を確保できるわけではないという課題もあります。原作を書いたのがクリエイターであるにもかかわらず、権利はコンテンツ配信事業者に帰属することもあります。
このようにIPの権利は、生まれた場所にとどまらず、別の場所へ移転していきます。これは、拙著『ゼロから創らない戦略』で論じた、知財の価値移転です。もちろん、作り手が正当に報われる仕組みをどう設計するかという問いは、コンテンツ産業に携わるすべての人が引き受けるべきものです。一方で、この権利の帰属先を決定づける「交渉力」は、どこに宿るのでしょうか?
活字よりも映像作品の収益が高くなるのはなぜか?
結論を先取りすれば、交渉力は、IPの価値を増幅する「変換」にあります。最も分かりやすい例が、「文字から映像へ」の変換です。
小説を読むには、読者が能動的に文字を追い、頭の中で映像や感情を構成しなければいけません。受け手の側に認知的コスト、すなわち消費のための「摩擦」がかかります。優れた原作小説が100万部売れたとしても、それは活字を追う認知的コストを引き受けられる読者にしか届いていません。マンガであっても、映像と比べればやはり読解コストを要します。
一方でアニメなどの映像作品は、視覚と聴覚に同時に訴え、受け手の認知的コストを大幅に低下させます。小説やマンガと同じ物語でも、それが映像化されることで、数千万人、場合によっては数億人に届く可能性が生まれるわけです。
映像とは「コンテンツ消費の摩擦を低減するフォーマット」であり、映像化の本質はIPが届く範囲(エコシステム)を広げることにあります。IPの届く範囲が拡大すれば、もちろん、キャッシュフローはその分拡大します。
これは、「文字から映像へ」に限りません。例えば、「ゲームから映像へ」も同じ構造を持ちます。ゲームは、能動的な操作を要求する、相応に認知的コストのかかるフォーマットです。ルールを理解し、考え、操作し、時間を投下しなければ物語は進まないので、少なくとも、映像よりは消費のための摩擦・認知的コストが高いものといえるでしょう。
本稿では、この「変換」を広く、IPの届くエコシステムを移し替え、それまで届いていなかった消費者へとIPを渡す働きとして定義します。IPの価値の増幅とは、突き詰めれば、そのIPに触れる消費者の裾野の拡大にほかならないからです。そして、裾野を広げる手段は1つではありません。「映像化」のようにフォーマットそのものを変えることも、後述するように、フォーマットはそのままでも流通網を工夫する施策で届く範囲を広げることも、いずれもこの意味での「変換」です。この変換が起こる接続点を、「変換点」と呼びます。

「ポケモン」の拡大の背景にあった変換とは?
ポケモンはゲームボーイ用ソフトとして誕生しましたが、その後テレビアニメ化されたことで、ゲーム機を持っていなくても、操作方法を知らなくても、テレビをつけるだけでポケモンの世界に触れられるようになりました。ゲームのみの展開だと限られていたものが、アニメ化を経て、新たなエコシステムへと進出することに成功したのです。
もちろん、ゲームは今でもポケモンの収益の柱ではあります。しかし、その収益を支える認知の裾野を桁違いに広げたのは、映像化という変換でした。届く範囲の拡大が、その上に乗る収益の増幅を可能にするのです。
このように、「文字から映像へ」や「ゲームから映像へ」は、いずれも消費のための摩擦が高いフォーマットから低いフォーマットへの変換であり、変換点を通ったことでIPのキャッシュフローは増幅されました。
そして、この変換を媒介するために求められるテクノロジー、組織体制、専門性、投資能力を具備する事業者は2つの力を手に入れます。1つは、その変換点を通過するための「通行料」を、IPホルダーから徴収する力です。配信手数料やレベニューシェアという形で、IPが生み出したキャッシュフローの一部が徴収されます。そしてもう1つが、IPの「権利取得」の交渉力です。「私たちを通せば、あなたのIPはもっと稼げますよ」という交渉が、権利の帰属先そのものを動かします。
もちろん、変換点を押さえたとしてもヒットが保証されるわけではありませんが、権利の帰属を決める際に有利に話を進めることができるのです。また、変換点を押さえれば、他者の追随を許さない関所の構築にもつながります。
作る能力だけで「ディズニー」は優位に立てた
「文字から映像へ」の変換に関して言えば、映像制作そのものが困難だった時代には「作れること」自体がキャッシュフロー増幅に直結する希少な能力であり、それが権利の帰属を左右してきました。流通している作品自体が少ないので、制作さえできればみんなに消費された時代だったということです。
長編アニメーションを制作できるスタジオは、20世紀前半にはごく限られていましたが、ウォルト・ディズニーは、クリエイターであると同時に、この「作れる」という希少な変換能力を備えていました。制作能力が希少であるときには、制作者こそが交渉優位な立場を持ち、権利は制作者の手元に残ります。ディズニーは自社で制作したIPの権利を自社で保有し、それを映画館での上映、テレビ放映、キャラクター商品化と、マネタイズできるエコシステムを多面的に拡張していきました。
重要なのは、ディズニーがもうけられたのは、「作ったから」ではなく、「作れる者がほとんどいない時代に作れるという変換能力により、権利を保持できるという交渉力」を持っていたからです。
しかし、それまでと同じ「文字から映像へ」の変換であったとしても、映像制作の技術が普及して作品数が増えると、交渉優位性は別の場所に移動します。歴史を振り返れば、制作された映像の「流通(ディストリビューション)の支配」が、新たな交渉力として機能するようになりました。
IP事業の勝ち筋は流通の支配にかかっている
東宝が手にしているのが、まさにこの流通という「変換」を支配していることによる交渉力です。
映画やアニメの製作委員会には、配給・配信・商品化・海外販売といった窓口権が設定され、各出資社がそれぞれの得意領域で窓口を担当します。東宝はこの仕組みの中で、幹事会社としてのハブを握りつつ、自らも配給をはじめとする主要窓口を複数保有しています。作品ごとに差はあるものの、東宝は、主力案件では高い権利シェアを確保しているとみられます。
実際、東宝自身も決算説明資料において、共同配給作品から100%出資の幹事作品へと権利への関与が深まるほど、興行収入の変動が営業利益に与える影響が大きくなる構造を開示しています。
その基盤にあるのが、国内最大級の規模を誇るTOHOシネマズです。少なくとも過去数十年は、東宝の配給網とスクリーンを通すことで多くの観客に映画を届けることができました。「私たちのスクリーンを通せば、あなたのIPはもっと多くの観客に届きますよ」と言い切れることが交渉力の源泉であり、東宝の最大の資産なのです。
この交渉力を生かして、東宝は製作委員会での権利の確保にとどまらず、IPそのものの「所有」にもかじを切っています。「権利を持っている者が、繰り返しキャッシュフローを得る」という基本に忠実な打ち手です。中期経営計画ではコンテンツの企画・製作・IP創出に3年間で約700億円を投下するとし、また100%自社のIPであるゴジラにも約150億円を集中投資する方針です。
野本遼平著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)
