世界的な大ヒットとなった『イカゲーム』で1番利益を得たのは? IP(知的財産)ビジネスにおいて利益を得るのは作品を作る側ではなく、世界へ届け、キャッシュフローを増幅する「変換点」を押さえた者である。Netflix、ソニーを例に、AI(人工知能)時代のIPビジネスの勝ち筋を読み解く。『ゼロから創らない戦略』(野本遼平著/日本経済新聞出版)のフレームワークを基にIPビジネスに強い企業のケースを紹介する。

「Netflix」はなぜヒット作の権利を囲い込めるのか?

 『イカゲーム』は、韓国の制作陣が手掛けた作品でありながら、Netflix史上最大の世界的ヒット作となりました。その利益の大部分を手にしたのは、作品を生んだ制作陣ではなく、Netflixだと報じられています。ファン・ドンヒョク監督は契約の時点で作品のIPや再使用料の権利を手放しており、世界的な成功に見合う追加の報酬は得られなかったとの話もあります。

 なぜ、このような構造が成立するのでしょうか。前回「 『鬼滅の刃』『国宝』『ゴジラ-1.0』――ヒット連発の東宝、IPビジネスの秘訣 」の記事では、「変換」をIPの届くエコシステムを移し替え、消費者の裾野を広げる働きとして広く定義しました。Netflixが押さえているのは、まさにこの意味での変換点です。すなわち、コンテンツを一国の視聴者から世界190以上の国と地域・数億人の視聴者へと、届く範囲を一挙に広げる能力です。

 この変換ができるからこそ、Netflixは交渉力を持ち、IPそのものを含む広い権利を確保するモデルをとることができるのです。制作側から見れば、ヒットしなくても制作対価が保証される取引であると同時に、ヒットした際のアップサイドを手放す取引でもあります。ヒットの果実は、権利を持つ側に帰属するのです。

 前回の記事で見た東宝が、物理的なスクリーン網によって国内の観客の経路を押さえているのに対し、Netflixはオンライン配信ネットワークによって世界の視聴者の経路を押さえています。表面的なアプローチは異なりますが、「IPから生まれるキャッシュフローを増幅できる変換点を押さえ、その交渉力で権利を取得する」というメカニズムは、東宝とまったく同じです。

 ところで、アニメ業界では制作スタジオの不足が深刻化しており、制作現場の窮迫が続いています。今、制作能力が希少なのだとすれば、制作会社が交渉力を取り戻すのが自然な流れのようにも思えます。しかし、ディズニーの創業期とは異なり、過去の作品も含めて映像コンテンツが大量に存在する現代において、制作能力だけではキャッシュフロー増幅に直結しません。

 現在においては、制作機能よりも、ディストリビューション(流通)機能がキャッシュフローの増幅に直接的に影響を与えており、制作能力の希少性では権利の帰属を動かすことは難しいのが現実です。権利側に回れているのは、後述するMAPPAのように、自らリスクマネーを積んだごく一部の企業にとどまります。制作現場が窮迫しているにもかかわらず、逆説的に、構造はそう作用してしまっているのです。

IP経済圏を築き上げたソニーの戦略

 さらに、1つのIPが映画・ゲーム・音楽・ライブと複数のフォーマットで展開される時代には、フォーマット間を越境することが新たな変換の形となります。

 ソニーグループは積極的な投資を通じて自社IPをグループ内で多面展開する構造を築いてきました。そして、音楽、ゲーム、ライブなどの複数のフォーマットを越境する事業ポートフォリオを構築し、複数のエコシステムへの経路を押さえています。IPがこのエコシステム同士を相互に行き来することで、そのキャッシュフローが増幅することになります。これを実行できる能力は現代においては希少性が高く、これが権利取得の交渉力につながります。

ソニーグループは自社IPをグループ内で多面展開する構造を築いている(写真:JHVEPhoto/stock.adobe.com)
ソニーグループは自社IPをグループ内で多面展開する構造を築いている(写真:JHVEPhoto/stock.adobe.com)

 なお、こういった「横展開の変換点を自ら押さえにいく」動きは、ソニーに限りません。サンリオも自社パブリッシングによるゲームブランド「Sanrio Games」の設立を発表し、「キャラクターIP→ゲーム」という変換点を、自社で押さえにいこうとしていることがうかがえます。

「権利の購入代金」と化す製作費

 ディズニー、東宝、Netflix、ソニー。時代もテクノロジーも異なりますが、「IPから生まれるキャッシュフローを増幅できる変換点を押さえ、権利を確保する」という構造は共通しています。そしてその構造のもとでは、クリエイターに対して制作費など何らかの対価を払う代わりに、権利を手放してもらうという現象が繰り返されてきました。

 音楽業界でも、原盤制作費をクリエイターが負担できないほど高額に設定することで、本来クリエイター側が持ち得る原盤権を手放させ、レーベル側に権利を移転させる慣行があったことが、業界関係者によって指摘されています。アニメ業界でも、製作委員会方式のもとでは、権利を持つ出資社が利益の大半を得る一方、映像を実際に作る制作会社の取り分は限定的になりがちです。

 近年、MAPPAのように製作委員会を経由せず自社で100%出資する制作会社が出てきたのは、その非対称なリスクを自ら引き受けることで権利関係を反転させようとする試みですが、これはまだ一部の先進的な事例にとどまります。

AI時代の変換点はどこに出現するのか?

 ここまで、制作・流通・横展開といったさまざまな変換点を確認しました。いずれの場合も、その時代のテクノロジーを活用して、IPを新たな、より広大なエコシステムへと橋渡しできることが交渉力の源泉でした。ディズニーは制作技術を、東宝は映画館ネットワークを、Netflixはオンライン配信インフラを、ソニーはプラットフォームの横断性を、それぞれ活用してきました。

 では、AIの時代には何が起きるのでしょうか。そもそも、「変換」を通じて交渉力が得られるのは、そこを通すことでIPのキャッシュフローが増幅されるからでした。問われているのは「その工程が、キャッシュフローの増幅を左右するかどうか」です。

 そして、キャッシュフローの増幅とは、突き詰めれば「そのIPに触れる消費者の裾野と支払い意欲をどこまで広げられるか」という点に集約されます。前回の記事で確認した通り、映像化の本質は、認知的コストを引き受けられる一部の読者にしか届いていなかったIPを、数千万人、数億人へと届けることにありました。この裾野の拡張こそが、キャッシュフローを桁違いに押し上げる源泉です。

 確かに、AIは、脚本のたたき台、映像の編集や特殊効果の生成など、これまで膨大な人手と専門技術を要した工程を次々と低コスト化しつつあります。しかし、あくまでも制作コストの低下は、供給側の事情にすぎません。同じ物語をより安く、より速く、より多く作れるようになったとしても、それによって観客の可処分時間が増えるわけでも、これまで映像に触れなかった層が新たに触れるようになるわけでもありません。

AIは流通を加速させる装置

 むしろ、作品の総量が増えれば増えるほど、有限な観客のアテンションは薄く分散します。AIの議論を制作の効率化に閉じ込めてしまうと、ライツビジネスの本質を見失ってしまいます。

 AIが映像コンテンツの供給量を爆発的に増やすとき、価値を決めるのは「作れるかどうか」ではなくなります。作品が増えれば増えるほど、消費者を特定のIPへと運ぶ経路の価値が高まるのです。東宝のスクリーン網も、Netflixの配信ネットワークも、そして場合によってはテレビ局のチャンネルも、AIの時代にこそ、いっそう重要性を増す可能性があります。

 「そのIPに触れる消費者の裾野と支払い意欲を、どこまで広げられるか」という観点から見れば、むしろAIは、パーソナライズ/インタラクティブ化(ユーザーそれぞれの認知能力への最適化)、2次創作拡張、グローバル同時展開など、ディストリビューションを加速させるための装置として捉えるべきでしょう。これらの一部は制作工程の効率化のように見えますが、その本質はいずれも、IPにまだ触れていない消費者へと接続することにあります。

「スクリーンの外」に出現する次なる変換点

 アニメなどの映像は「コンテンツ消費のための摩擦を低減するフォーマット」です。だとすれば、次の「変換点」は、映像以上に「軽い認知的コストで、摂取できる情報量が増える」、あるいは、「身体感覚を通じて直接楽しめる」フォーマットへの越境だと考えられます。VR(仮想現実)デバイスにはそうした期待がありましたが、現時点のVRデバイスは視覚と聴覚の拡張にすぎず、本質的には映像の延長線上にあります。ハードウエア利用の手間を考えると、映像よりも摩擦が高いのが現状です。

 ここで、改めて、スクリーンの外の世界に目を向ける必要がありそうです。

 すでに、ライブ、イベント、グッズ(物販)などをどのようにIPと結びつけるかがコンテンツ業界において話題となっていますが、これは、映像の延長線上では到達できない消費形態の領域だといえます。認知能力の低い幼児でも楽しめる玩具(トイ)の発展系である、サンリオやPOP MARTなどが牽引(けんいん)するキャラクターアイテム、アート・トイ市場が成長しているのも偶然ではありません。また、ソニー・ミュージックエンタテインメントがZeppを完全子会社化し、イープラスを連結子会社化したのも、ライブ体験という「スクリーンの外の変換点」を押さえる動きだと解釈できます。

 変換点が動けば、王座も動きます。時代とテクノロジーによって交渉力の所在と権利の帰属は移り続け、東宝もソニーもディズニーも例外ではありません。しかし、IP/コンテンツ産業で最も利益を得るのは、IPを作っているプレーヤーそのものではなく、IPのキャッシュフローを増幅させる変換点に立ち、権利を確保できる主体なのです。

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野本遼平著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)