企業の優位性が事業活動の中のどの要素からもたらされているのか。それを突き止めようとしたのがマイケル・ポーターの『 競争優位の戦略 いかに高業績を持続させるか 』(M・E・ポーター著/土岐坤、中辻萬治、小野寺武夫訳/ダイヤモンド社)です。この名著を、岸本義之・武庫川女子大学経営学部教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。
優位性がどこからもたらされているか
マイケル・ポーターの『競争優位の戦略』は『 競争の戦略 』(マイケル・ポーター著/土岐坤、中辻萬治、服部照夫訳/ダイヤモンド社)の続編として1985年に出版されました。本書で最も有名になった概念は「バリューチェーン」(価値連鎖)です。これは企業活動を、購買物流、製造、出荷物流、販売・マーケティング、サービスという主活動と、それらを支援する全般管理、人事管理、技術管理、調達という支援活動に分解しています。
仕事内容を分解するだけなら誰にもできそうですが、ポーターはさらに持ち味である経済学的な分析の枠組みを適用しました。通常の経済学では、企業が分析対象となり、その内部の仕組みには立ち入りません。ポーターも『競争の戦略』では、事業単位で「ポジショニング」などの優位性の源泉を分析し、それ以上の内部には触れませんでした。
一方、『競争優位の戦略』では、優位性が事業活動の中のどの要素からもたらされているのかを突き止めようとしました。例えば、主活動のどれを内製し、どれを外注するかが、戦略上の重要な意思決定になります。テレビを生産する場合、液晶パネルの製造能力に競争優位の源泉があると考える企業は内製を志向します。逆に、製造については台湾メーカーなどに外注し、自社は別の活動(ブランド・マーケティングなど)に競争優位の源泉を見いだす選択もありえます。
企業が複数の事業部で同様の原材料を購買している場合、その強みが各事業部の競争優位の源泉になっている可能性があります。また、バリューチェーンの下流であるアフターサービスの分野で優位性を得ている企業もあります。アフターサービスを通じて顧客との接点に優位性を得ることができると、好業績を持続しやすくなるメリットもあります。
ポーターが本書で取り上げたバリューチェーンの枠組みは、今でも多くの企業が競争優位についての検討を深めるために用いています。
似たポジショニングでも異なる競争優位
Q 「バリューチェーン」って何ですか?
A バリューチェーン(価値連鎖)とは、端的に言うと、事業を行う上での活動を分解して「垂直」方向に並べた、分析用のフレームワーク、すなわち枠組みです。「垂直」方向の最も川上に来る活動が「インバウンド・ロジスティックス」(購買物流)という原材料や部品などを入荷するもので、その次が「オペレーションズ」(製造)、「アウトバウンド・ロジスティックス」(出荷物流)、「マーケティング&セールス」(販売マーケティング)、「サービス」という順に並びます。ポーターはこれらを「主活動」と呼んでいます。
企業の活動の中には間接業務と呼ばれるものもありますが、ポーターはそれらを「支援活動」と呼び、「ファーム・インフラストラクチャー」(全般管理)、「ヒューマン・リソース・マネジメント」(人事・労務管理)、「テクノロジー・デベロップメント」(技術開発)、「プロキュアメント」(調達活動)を含めています。ちなみに、前述のカッコ内は訳書で用いられている日本語訳です。
実際には、価値連鎖よりもバリューチェーンというカタカナの方が定着しています。
ポーターは、こうした主活動、支援活動と、「マージン」とを含めたものがバリューチェーンになるというフレームワークにしています。マージンとは、総価値と、価値をつくる活動の総コストの差になります。企業が様々な活動を組み合わせることによって、買い手に対する価値を提供し、対価を得ることができ、そこからマージンを得るわけです。その活動や組み合わせ方の巧拙によって、同業他社よりも高いマージンを得ることがありうるということです。その高いマージンこそが、競争優位の結果として得られるものなのです。
アップルとサムスンのスマホ事業を分解
Q バリューチェーンに分解すると何が分かるのですか?
A ポーターの前著『競争の戦略』は、事業の内部の活動に関しては踏み込んだ分析をしていませんでした。彼の理論的バックボーンである経済学では、企業(または事業部)の中身について分析することはあまりなく、企業(または事業部)の全体を分析対象とすることが一般的なためです。
一方、『競争優位の戦略』は、社内の活動のあり方(すなわちバリューチェーン)によっては、同じようなポジショニングの企業同士でも競争優位に違いがありうるということを解明しようとしています。
例えば、スマートフォンを生産している企業を見てみましょう。事業全体でのポジショニングとして見てみると、米アップルの「iPhone(アイフォーン)」、韓国サムスン電子の「ギャラクシー」、日本メーカーのアンドロイド端末は、利用者にほぼ同じような価値を提供しているようですが、業績面では大きな違いが出ています。事業全体を見た場合はアップルが差別化戦略、サムスンがコストリーダーシップ戦略、日本企業は中途半端という解釈をすることはできますが、そこまで明確に事業戦略が違っていたわけでもなさそうです。
そこで、バリューチェーンに分解してみると、アップルはマーケティング&セールスの分野に注力してブランド価値を訴求し、音楽配信サービス「iTunes(アイチューンズ)」などで顧客との関係性を強めている一方、製造に関してはアジアの部品メーカーにかなり依存しているということが分かります。
サムスンに関しては、グローバルな生産台数のスケールを達成して製造のコスト優位を追求する一方で、マーケティング面ではiPhoneとの差別化よりは、類似の価値を訴求している傾向にあります。つまり両社とも、バリューチェーンの異なる部分を競争優位の源泉にしようとしており、この違いは明確です。
これに対して日本の各メーカーは、製造のスケールも得られず、ブランド価値も高められず、日本国内を寡占している携帯電話会社の営業力に依存している姿です。これでは、競争力は高まらず、マージンもあまり得られないというわけです。
このように、バリューチェーンという枠組みを通して考えることで、自社が競争優位を高めるためには、どの活動を最重要視すればよいのか、という選択をしやすくなるのです。すべての活動を全体的に強化してもよいのですが、経営資源の総量に制約がある中では、他社に対して最も有効な違いを生み出せる分野を特定し、そこを強化する方が賢明です。
「ものづくり」だけでは危険性が高い
Q バリューチェーンの考えに基づいて戦略を立てられるのですか?
A ポーターは日本企業に戦略がないと繰り返し批判していますが、これは同質的競争で突き進むというポジショニング上の問題だけでなく、オペレーション効率という優位性に差がつきにくい領域だけを強調するという問題があるためです。メーカーが「ものづくり」を強調するのは自然なことではありますが、製造はバリューチェーンの中でも差がつきにくい領域であり、後発企業に追いつかれる危険性が高いということを認識すべきです。
では、バリューチェーンの中で優位性に差がつきやすいところはどこなのでしょうか。例えばマーケティング&セールスや、サービスの分野は差がつきやすい領域です。かつて松下電器産業(現・パナソニック)は、日本全国に「ナショナルショップ」というチェーン店を展開し、競合に圧倒的な差をつけていました。この強みは家電量販店の登場という「買い手」側の業界のイノベーションによって失われたわけですが、それまでは長期的に優位性として機能していました。顧客との接点に近いところを自ら押さえれば、製品に特長がなくても優位性を維持できたのです。
「川下」でも競争優位を築いたコマツ
建設機械などの分野では、「キャプティブ・ファイナンス(メーカー系列会社による金融)」というサービス業務が優位性の鍵を握っています。建設機械のユーザーである建設業者(実際の工事をする下請け業者)は、1台1000万円近くする建設機械を現金で買うことはなかなかできません。かといって、工事量の多寡によって毎年の業績が上下する会社には、銀行はなかなか融資をしてくれません。
米キャタピラーは、自社の建設機械を分割払いで買えるようにするだけでなく、必要な時期だけ機械を貸すというレンタルや、顧客の運転資金の融資までするという金融サービスをグループで展開しています。審査を通り、遅れなく返済したという記録が残れば、以降も比較的スムーズにファイナンスが受けられます。そうなれば、次回は別のメーカーから買おうという気にはあまりならず、キャタピラーの機械を利用することになるでしょう。
日本では、コマツが建機レンタル事業に注力してきました。国内では2000年以降、公共工事の削減によって下請け建設会社の経営が厳しくなり、来年仕事があるかどうかも危ういという状態になりました。こうなると、高額な建機を購入しても資金負担が過重になってしまいます。
そこで、工事のあるときにだけ機械を借りるというレンタルへのシフトが加速しました。建機メーカーから見ると、独立系の建機レンタル会社は多数の建機を購入してくれる大口顧客でもあるのですが、あまりレンタル会社に依存していると、エンドユーザーとの接点を失ってしまいますし、価格交渉力をレンタル会社に握られてしまいます。
そこでコマツは、以前から系列販社が各地で子会社として設立していた小規模のレンタル会社を合併させて、コマツレンタルという全国規模の会社に再編しました。そして「工事を止めない、遅らせない」というスローガンのもとに、レンタルのサービスレベル向上を行ったのです。
レンタル建機には「KOMTRAX」と呼ぶ無線機能をつけているので、機械の稼働時間数などをリアルタイムで把握し、適切なタイミングで(長期貸出中の機械は、別の機械と入れ替えて)メンテナンスに回すこともできています。
また、中古建機はアジアに高値で売却できる場合があるので、国内外の市場の状況を見ながらレンタル在庫機械を海外に販売することによる利益機会も追求できます。他社に先駆けてこうした体制を築いたため、市場が冷え込んでいた中でも、バリューチェーンの川下であるサービス分野での差別化ができたのです。
ポーターら巨匠の代表作から、近年ベストセラーになった注目作まで、戦略論やマーケティングに関して必ず押さえておくべき名著の内容を、第一線の経営学者やコンサルタントが独自の事例分析を交えながら読み解きます。
日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2640円(税込み)