「科学に関する本」と耳にしただけで、伸ばしかけた手を引っ込めてしまう人は少なくないのではないでしょうか。
今回、日経BOOKプラスのインタビューで紹介したのは、そんな人にこそ読んでもらいたい3冊です。
個人の物語に興味引かれる、科学者たちの本
『二重らせん』 (ジェームズ・D・ワトソン著、講談社ブルーバックス) 『マリス博士の奇想天外な人生』 (キャリー・マリス著、福岡伸一訳、ハヤカワ文庫) 『精神と物質』 (利根川進、立花隆著、文春文庫)は、いずれもノーベル賞の対象となった研究内容についてもさることながら、それぞれの研究生活や生き方・考え方、運命的な出会いと人生の転機など「人」に焦点を当てた個人の物語として描かれています。
自分の中に芽生えた関心の「芽」のようなものをどうやって育てたのか、失敗にもめげず結果を出すまで走り続けることができたのはなぜか、何がその燃料になったのか。生活の中での集中と弛緩のバランス、何を捨て何を残すのかの判断…。これらは、科学者であるかどうかに関係なく、誰だって悩むし、誰だって他者がどうしているのかを知りたいのではないでしょうか。
例えば、『精神と物質』の中で、利根川先生は、「自分自身がコンヴィンス(確信)するということが一番大切」とおっしゃっています。本当にそうなんだろうか、絶対に間違いないんだろうか、と何度も何度も問い直して、徹底的に自分を問い詰めた上での確信。これができれば、「(自分以外の)人を確信させるなんてそう大したことじゃない」と。人と共同で何かを行うとき、誰かを説得しなければならないとき、かみしめたくなる言葉だと思います。
一方、『マリス博士の奇想天外な人生』では、ドライブデート中にPCRの原理を思いつき、車を止めてメモを書きまくる様子が語られます。
その他にも、自宅のガレージで危険な実験を繰り返して遊んでいた子どもの頃のこと、また、ノーベル賞受賞を知りつつサーフィンに出かけてしまったため、翌日の新聞に、ボードを抱えた姿がデカデカと載ってしまったことなど、破天荒な人物であることを示すエピソードの数々。
最後に掲載されている訳者によるインタビューの中で、「エキセントリック」だとか「不遜」だとか言われるが、自分に一番ぴったりの言葉は「オネスト(正直)だね」と言い放ち、「世界がどうなっているかを知りたいだけなんだ」とマリス博士は続けます。
このひたすら好きを究める痛快さ。そして、その成果であるPCR検査が、コロナ禍の今、人類の役に立っている。科学に苦手意識がある人だって、興味を持たずにはいられないのではないでしょうか。
振り返ってみれば、私自身が今の道に進んだのも、「人」ありきでした。
「すごいぞ、人間」
原点は、5歳の時にテレビで見た「アポロ11号の月面着陸」。子ども心をわしづかみにしたのは、月という未知なる場所そのものではなく、あんな場所まで「人間」を運んでしまう「人間」の作り出したテクノロジーだった。こんなことまでできちゃうのか、すごいぞ、人間って。
この体験が、やがて東大の工学部へ進み研究者になる最初の一歩でした。テクノロジーによって、これまでできなかったことができるようになっていく、少年時代の私はその素晴らしさにワクワクしながら成長してきたように思います。
ところが、東大入学後、私は宇宙工学ではなく海洋工学を専門とする道を選びます。原点だった月から海へと、フィールドの大転換。これは一言で言うと、出合いによる変化を楽しむ、私の新しもの好きによるところが大きいのです(笑)。
というのも、宇宙はアポロ11号以来探索が着々と進んでいたんです。それで、もっと手つかずの領域はないかな、海はどうだ?と調べてみたらホントに手つかずだったんですよ。世界で最も深い、水深1万メートル超のマリアナ海溝の最深部まで到達した人は、月よりずっと少なくて、当時世界に2人しかいなかった。極限状態である深海はもちろん、海の中を調べるテクノロジーはまだまだこれからの領域でした。
未開のもの、新しいもの、分からないことを前にすると、いつだって心が動く。
そんな私が、その後、海中ロボットの開発からマイクロ流体デバイスの応用へと研究の幅を広げてきたことは、第1回の記事 「東大・藤井総長の人生を変えた本 なぜ専門外の分子生物学?」 でお話しした通り。5歳の時から、本質はあまり変わっていないのかもしれませんね(笑)。
もしこの科学者たちと一緒に研究していたら…
キャラクターのまったく異なる科学者の姿を描いた3冊の本を紹介してきました。
いずれの方々も私自身は足元にも及びませんが、もしも、この方たちと一緒に研究していたら――と夢想してみるのは楽しいです。
言語を操るかのように、化学を自然に使いこなす天才・マリス博士。もしも隣でこんな人が実験していたらどんなに刺激的でしょう。
ワトソン、クリックご両人は、仲間として一緒に議論してみたい存在です。対話が生み出していく何かを実感したいです。
そして、利根川先生には、新たな研究領域に興味を広げていくところ、脳や意識を研究対象にしているところなどに、私と共通のものを感じています。だから研究者として深い共感を持って接することができたのではないかな、そうだったらいいな、と思います。
まったく知らない分野の本であっても、個人の物語にフォーカスすれば学べることはたくさんあります。そんな自分の中に生まれた知を、外に向ければ対話が生まれ、新たなつながりを育んでいく。
個人の物語に触れることは、人との出会いにも似ています。多様な人との出会いは読書の中にもある。そんな出会いのワクワク感を、読書を通してぜひとも感じ取っていただけたら、と思います。
取材・文/平林理恵 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部) 写真/洞澤佐智子