元陸上選手で男子400メートルハードルの日本記録保持者(2022年6月現在)で、執筆活動や会社経営など幅広く活躍する為末大さん。競技者として悩み迷っている頃に出合った1冊を教えてもらった。為末さんは、なんのために走るのか。そして私たちは何のために学び、働くのか。1冊の本を通して考えます。
競技者時代に、「なんのために走るんだろう?」「なんでこんなツラいことをやるんだろう?」と自問していたときに、僕はこの本を読みました。ホイジンガという人が書いた『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ著、高橋英夫訳、中公文庫)です。
いえ、もちろん、走るのは楽しいですよ(苦笑)。だから、誰かに強制されて走っているわけではなくて、自ら選んで走っている。でも、競技者となると、ある種の限度を超えていますよね、という話です。
だから、あるとき、「なんのために?」という問いにぶつかる選手は少なくないんです。僕は20代後半でそんな状態になりました。3度目のオリンピックを目指していたのに、走る意味も目的も見いだせなくなってしまったんです。『ホモ・ルーデンス』を手に取ったのはまさにそんなタイミングでした。
なぜ、為末大は走るのか?
「ホモ・ルーデンス」というのは「遊ぶ人」という意味です。この本に書かれているのは、一言でいうと、「人間の本質は遊びにある」ということ。当時の僕にとって、著者のホイジンガのこの言葉は、本当に刺さるものでした。
ホイジンガは20世紀最大の文化史家といわれる人で、文化人類学や歴史学、言語学を融合し独自の視点で、人間が育んできた文化はすべて遊びである、と定義づけています。音楽や演劇、スポーツなどの文化として広く認識されているものだけではなく、工業、近代科学、裁判、政治なども例外ではない、と。なかでも、「文化の中に遊びがあるのではなく、遊びが文化を生み出した」といった一文には大きな衝撃を受けました。
……ということは、スポーツも遊びから生まれたことになって、走ることも遊びの一つになる。遊びなら、いつやめてもいいだろう。でも遊びとして考えたら、結構楽しい遊びだよなぁ。自分の体をこんなに動かして、しかもまあまあ技術もついてくるし。この先、どこまでいけるか、のぞいてみたい気もする……。
僕が走るモチベーション
すべては遊びだったのか、とガッカリしたわけではなく、何というか、世の中が柔らかく見えました。と同時に、自分を苦しめていた「なんのために走るんだろう?」という問いが、「走ることが遊びだと分かって、これからあなたはどうするの?」という新たな問いに変わった気がしました。
そもそも、僕が走るようになったのは、楽しいからでした。それで陸上クラブに入ったら、「速い速い!」と褒められて、競技として始めるようになったのです。7歳のときでした。「速く走れて楽しい! 褒められてうれしい!」という外から受ける刺激による喜びが、当時の僕の走るモチベーションでした。
「楽しんで突き進める人」が一番強い
成長するにつれて、競技の構造が見えてきて、日本一を決める大会があることを知りました。それで、日本一になりたいというモチベーションに変化しました。さらに成長すると、世界で勝つことを目標にして自分をリードしつつ、「モテたい」とか「もっと稼げるようになりたい」ということもモチベーションになっていったように思います。
でも、そうした欲求というのは限りがありました。ある程度、満たされると、自分をリードする目標になりにくくなってしまうんです。
例えば、収入が100万円から500万円になるのは、インパクトがありますよね。500万円が1000万円、1000万円が1億円になるのもインパクトがあるでしょう。でも、1億円が2億円、2億円が3億円……となるのはどうでしょう。それまでのようなインパクトがあるかというと、そうでもない感じがしませんか。
いつの間にか、僕にとって、走ることも同じような状況になっていました。
あるとき、目標にしてきたことの最低ラインにはたどり着いた感じがしました。すると、「さらに上を目指すより、現状維持でもよくないか?」という気持ちが芽生えました。ただでさえツラくて、もはやあまり魅力的でなくなったことのために、もっとツラい思いする必要があるのか、と。投下する労力に対して得られる結果が割に合わない気がしました。それが、「なんのために走るんだろう?」という疑問につながったわけです。
そう思いつつ周りを見回すと、ポツポツと、「とにかく走るのが楽しくて、夢中にやっていたら世界まで来ちゃいましたー!」という突き抜けた人が出てきました。「目標を立ててそれに向けて努力する」というやり方とは違う、長嶋茂雄さんのような天才肌で、無邪気さでもって1位になる人が、下の世代に登場し始めたのです。
彼らの走る姿は、まさに「ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」でした。この本のおかげで夢中になっている人と遊ぶ人がつながって、それが僕にとっては大きな気づきとなりました。
すなわち、アスリートにとって最も力が出るのは、「夢中」という、行為そのものと一体になり、ひたすら没頭して面白さを感じている状態のときで、夢中は「集中した遊びの状態」といえることに気がついたのです。
オリンピックに3度出場して得た気づき
こうしたことに気がついたとき、自分もかつては、ただひたすらに夢中で走っていたことを思い出しました。
だから、新たに生まれた問い「これからあなたはどうするの?」に対して、「なかなか楽しい遊びだから続けてみようかな」という答えを出せたのだと思います。いわば、この本のおかげで原点に戻れて、3度目のオリンピック出場も果たすことができました。
3度出場したのに、いや、3度出場したからこそかもしれませんが、オリンピックというシステムをすごく客観的に見たときに、もう一つ、思うことがあります。それは、応援してくれる人たちの存在についてです。
走ることがなかなか楽しい遊びだとしても、誰も見てくれなくて、応援もしてくれなかったら、それでも僕は勝ちたいと思っただろうか。競うことに意味を見いだせただろうか。こう想像せずにはいられません。選手を応援する人たちがいて、その人たちが「すごい! すごい!」と盛り上げてくれるから、選手は栄誉を得ることができるのではないかと思ったりもします。
僕は競技者として日本でトップになったのが10代と早く、34歳で引退しました。当時、どんなふうに思っていたかというと、「早くにトップになるのは本当に幸せなことかどうか分からない」ということでした。そして、僕のその思いを裏付けてくれたのも、また本で……。この続きは、次回お話しします。
取材・文/茅島奈緒深 構成/宮本沙織(日経BP 第1編集部) 写真/尾関祐治