斬新な発想力や技術力、強力なリーダーシップによる「創造」が、優れたビジネスを生むと信じられている。しかし、GAFAM、エヌビディア、ネットフリックスといった巨大事業は「創造」だけではなく、「価値移転」という仕組みをもとに革新を成し遂げてきた。その仕組みを解き明かすのが『 ゼロから創らない戦略 』(野本遼平著/日本経済新聞出版)だ。『 ITビジネスの原理 』『 アフターデジタル 』の著者で、グーグルや楽天など著名企業で数々の事業に携わってきたIT批評家の尾原和啓さんが、本書の魅力を解説する。

 「なぜ、素晴らしい理念を掲げたソーシャルビジネスが資金難に苦しみ、プライバシーをハックするような巨大プラットフォームが莫大な利益を上げるのか?」

 僕のところにも、多くの起業家やイントレプレナー(社内起業家)からそんな嘆きの声が届く。「社会課題を解決したい」「ユーザーのためになるものを作りたい」。その「善意」は尊い。けれど、資本主義という巨大なOS(基本ソフト)の上で戦う以上、僕たちはその「仕様(ルール)」を無視することはできない。

 この『ゼロから創らない戦略』は、ある種「禁断の書」だ。なぜなら、きれいごと抜きの資本主義のメカニズム――「価値移転」という名の富の源泉――を白日の下にさらしてしまっているからだ。

 著者は指摘する。ビジネスにおける巨大な利潤は、「価値の創造」ではなく「価値の移転」から生まれる、と。17世紀の香辛料貿易から、現代のデータ資本主義に至るまで、構造は変わらない。安く仕入れて、高く売る。その「価格差」を生むのは、地理的な距離であり、情報の非対称性であり、そして「エコシステムの分断」だ。

 特に、第2部で語られる「巨大事業に隠れた6つの型」の分析は圧巻だ。「スキル・労働力」「ネットワーク」「ユーザートラフィック」「遊休資産」「知財」「データ」。これらをいかにして「外部経済(価値が低い場所)」から「内部経済(価値が高い場所)」へ移転させるか。この視点を持つことで、なぜマイクロソフトがIBMからOSの権利を守り抜いたのか、なぜネットフリックスがオリジナルコンテンツに巨額投資をするのか、その「勝ち筋」が手に取るように分かる。

 ここで、多くの人が陥る「AIの罠(わな)」についても触れておきたい。 今、猫も杓子(しゃくし)も「AIを使った新規事業」を企画している。しかし、著者が警鐘を鳴らすように、AIというテクノロジー自体はコモディティ化していく。重要なのは「AIを使って何を作るか」ではなく、「AIという強力なポンプを使って、どのリソースを吸い上げ、どこへ移転させるか」という設計だ。

 例えば、エヌビディアの成功を見てほしい。彼らは単にGPU(画像処理半導体)というチップを売っているのではない。「研究者たちの情熱」という、本来なら対価が支払われない無償の知的資産を、CUDAというプラットフォームを通じて自社のエコシステムに吸い上げ、それをAIビジネスという巨大市場に高値で供給している。これこそが、最強の「価値移転」であり、プラットフォーマーとしての「ゲートキーパー」の戦い方だ。

 時宜にとらわれない、普遍的な「商売の原理原則」がここにある。しかし、この本が単なる「金儲(もう)けのマニュアル」で終わらないのは、第10章以降で「価値移転の原罪」に踏み込んでいる点だ。価値移転は、時に「略奪」となる。環境破壊、プライバシーの侵害、労働者の搾取。これらは、外部経済からコストを払わずに価値を吸い上げた結果として生じる「副作用(外部不経済)」だ。

 これからの新規事業開発は、この「副作用」を無視しては成り立たない。なぜなら、SDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会・企業統治)といった潮流は、この「略奪的な価値移転」に対する、人類からの「NO」であり、資本主義OSのアップデート要請だからだ。かつてのように、ただ安く仕入れて高く売ればいい時代は終わる。これからは、価値移転のプロセスそのものに「倫理」と「持続可能性」を組み込んだプレーヤーだけが、社会から生存を許されることになるだろう。

<評者> 尾原 和啓(おばら かずひろ) IT批評家
京都大学大学院で人工知能を研究。マッキンゼー・アンド・カンパニーやNTTドコモ、グーグル、リクルート、楽天など数多くの企業で新規事業立ち上げを担う。内閣府新AI戦略検討会議構成員、経済産業省対外通商政策委員、産業技術総合研究所人工知能研究センターアドバイザーなどを歴任。NHK「令和ネット論」にて「DX」「メタバース・NFT」「ChatGPT・生成AI」を解説。著書に『 アフターデジタル 』『 ディープテック 』(共に日経BP)など多数。