2022年12月に決定した第14回 日経小説大賞(日本経済新聞社・日経BP共催)の受賞作『 散り花 』を2023年2月に日本経済新聞出版より刊行します。作家の辻原登氏、髙樹のぶ子氏、角田光代氏の最終選考により、虚実入り交じるプロレスの世界を内側から描き、身体を張って闘い続ける男たちの内面に肉薄した作品が受賞の栄誉に輝きました。本書の一部を抜粋して公開します。

受賞作『散り花』とは

 プロレス国内最大のメジャー団体に所属する立花は33歳。入門5年目で海外武者修行に抜擢(ばってき)されるなど将来を嘱望されていたが、今ではスター選手を引き立てる中堅のひとりに甘んじている。凱旋帰国直後の“事故”が立花から覇気を奪ってしまっていた。しかし「自分が持つものすべてをぶつける試合をしていない」という思いは熾火(おきび)のようにくすぶっていた。タイトル挑戦権のかかった試合で、“仕事”を求められた立花は、衝動に駆られ、押し殺していたものを解き放ってしまった。血が騒いでいた……。

 虚実入り交じるプロレス界の輝きが薄れつつある中でも、リング上で身体を張って闘い続ける人たちの生きざまを、乾いた筆致で描き切った格闘技小説。

※本書の一部を下記で公開しています。

『散り花』(中上竜志著)(写真/スタジオキャスパー)
『散り花』(中上竜志著)(写真/スタジオキャスパー)
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第14回 日経小説大賞受賞者

中上竜志(なかがみ・りゅうし)
1978年生まれ。奈良県出身。高校卒業後、様々な職業を経て、現在は自営で住宅関係の仕事に従事。小説執筆歴は10年余り。
中上竜志氏
中上竜志氏
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【日経小説大賞とは】
 日本経済新聞創刊130年を記念して、2006年に創設。第3回より毎年開催している公募の文学賞。ジャンルは特定しておらず、歴史小説からミステリー、経済小説まで幅広い作品が受賞している。
 第14回は2022年4月から6月まで285編の作品の応募があり、一次選考、二次選考を経て12月の最終選考で受賞作が決まった。
 第15回の作品応募は2023年4月1日から6月30日まで受け付ける。選考委員は作家の辻原登氏、髙樹のぶ子氏、角田光代氏。詳細は 応募要項 でご確認ください。

『散り花』本文を一部抜粋して公開!

 対戦相手は先に入場していた。
 今年の春からジャパンに参戦している、ギアとジョーンズという白人のタッグチームだった。何度か対戦しているため、手の内はだいたいわかっている。日本のマットにも慣れつつあり、それなりの内容は見せられるだろう。
 勝利は、日本人側。決まっているのはそれだけで、事前に打ち合わせなどは一切していなかった。展開は流れに任せる。

 台本(ブック)が細かく定められているのは、タイトルが絡む大一番や、大会場での興行程度に限られていた。年間百二十戦。一興行あたり八試合としても、九百六十試合に及ぶ。そのすべてに細かいシナリオを組めるわけがなかった。
 当然、ミスもある。勝敗が動くことは原則として許されないが、仕掛け(アングル)ではない怪我やアクシデントにより、リング上で試合の展開が変わることはある。だからこそ選手は試合を組み立てる技術のほかに、流れを読む眼がなければならなかった。それは経験を積み重ねてものにするしかなく、レスラーを育てるのに時間がかかるのはそのためだった。


 先発は、荒井が買って出た。立花はリングを出て、自軍コーナーのエプロンに立った。
 相手方の先発はジョーンズだった。二メートルの巨体である。ギアはそれより頭ひとつ小さいが、横幅はジョーンズの二倍近くあった。キャリアが浅いわりにコンビネーションは良く、なかなかのタッグチームだった。
 荒井は長身のジョーンズに苦戦していた。それでも三十年のキャリアは伊達ではない。派手に打たれているようでいて、相手の力をうまく殺していた。

 少しして荒井が戻ってきた。タッチをかわし、立花はリングに入った。ジョーンズもギアと代わっている。
 リング中央で、ギアと手四つで組み合った。身長は立花の方があるが、体重は比べものにならない。ギアのコールは百七十キロだったが、ゆうにそれ以上あるだろう。
 躰を使った力比べでは簡単に跳ね飛ばされた。スピードで翻弄することにした。素早く動き、膝を攻める。キックは若手の頃から使っていた。

 ギアは、膝を攻められると嫌な顔をした。膝を毀(こわ)すのは、レスラーの職業病だが、それでなくてもギアの巨体は体重だけで負担がかかる。
 数発キックをぶち込んだところで、反撃を食らった。弾き飛ばされ、さらに全体重で潰される。蹴りが効いてくるのには時間がかかるが、ギアの体重を乗せた攻撃は一発でかなりのダメージを貰う。何度かアイコンタクトを取ったが、荒井はタッチを嫌がった。

 作戦を替え、ギアをグラウンドで攻めた。日本マットに慣れたとはいえ、寝技技術では相手にならなかった。筋肉質で大柄なアメリカ人は粘っこい寝技に向かないのだ。アメリカのリングでは寝技より打撃が中心というスタイルも関係していた。わかりやすい痛みが好まれるのだ。
 ギアの腕を執拗に攻めると、焦れたジョーンズがカットに入ってきた。それを機に、荒井と代わった。ペースを摑めば、キャリアがものを言う。荒井は立花が攻めたギアの腕を、昭和の匂いがする古典的な技でさらに攻め立てた。ギアはすでに大量の汗をかいている。

 荒井がギアの髪を摑んで立たせた。ロープに振る。遅れて荒井も走る。跳ね返ってきたギアの胸板に肘を叩きこむ前に、ギアの巨体が跳んでいた。
 まともに食らい、荒井が吹っ飛ばされた。受け身を取ったが勢いは殺せず、そのまま二、三回転する。かなり効いたようだった。
 そこから、完全にペースを奪われた。
 ギアとジョーンズは圧倒的なパワーで荒井をいたぶっていた。立花は何度かカットに入ろうとしたが、そのたびにリング下へ落とされた。
 このあたりの連携に、タッグの差がでる。荒井とは長い付き合いでも、本格的に組んだことはないのだ。ギアとジョーンズは、キャリアは浅いながら、タッグで上を目指しているチームだった。その差は大きい。

 荒井はすでに長時間捕まっていた。
 頃合いと見たのか、ジョーンズがフィニッシュのポーズを見せた。
 巨漢二人の合体技が荒井に決まる。さすがに手加減しているが、荒井は虫の息だった。
 カバーには入らず、試合権のあるジョーンズが、荒井をロープに振った。攻守交代のサインで、荒井が足をもつれさせながらカウンターでエルボーを入れ、コーナーに戻ってきた。
 突如、ジョーンズが背後から荒井に襲いかかった。眼を丸くした荒井が再びリング中央に転がされる。ジョーンズの顔が歪んでいた。荒井のエルボーが急所に入ったようだった。それとなくレフェリーが落ち着かせようとするが、ジョーンズは聞こうとしない。
 カットに入ろうとしたが、ギアが邪魔をした。ショルダータックルを食らい、立花は客席の最前列前にある鉄柵まで吹っ飛んだ。

 リング上では、ジョーンズがパワーボムの体勢に入っていた。相手を頭上に引っこ抜き、マットに叩きつける荒技である。
 ジョーンズの眼は本気だった。五十を過ぎた男を、三メートルの高さから落とす。若さゆえか。
 立花はリングに飛び込んだ。猛牛のごとく突っ込んでくるギアを飛び越え、ジョーンズの背中を打つ。ぎろりと睨みつけてくるジョーンズに蹴りを放った。ジョーンズの側頭部で汗が弾ける。冷静になれ。伝えたつもりだが、ジョーンズはぐらりと揺れ、膝をついた。

 即座に、荒井がロープに走った。片膝をついたジョーンズにラリアットをぶちこむ。タッチのチャンスだが、荒井も熱くなっていた。危険な高さから落とされかけ、頭にきたのだろう。
「立花」
 荒井が呼ぶ。二人でジョーンズをロープに振り、肩口から突っ込む。足は荒井に合わせた。荒井の息は完全に上がっている。
 ダブルのショルダータックルを食らっても、ジョーンズは倒れなかった。それでも、よろめいたジョーンズに、至近距離から荒井がラリアットを見舞う。立花は横面にハイキックをぶちこんだ。まだ倒れない。そのまま軸足を支点にして躰を回転させた。後ろ回し蹴りが弧を描きながら首筋を捕えた。ジョーンズが棒のように倒れた。

散り花
第14回 日経小説大賞受賞!

虚実入り交じる世界で、最強を目指す。かつての輝きが薄れてしまっても、リング上で身体を張って闘い続ける男たちの生きざまを、乾いた筆致でハードボイルドに描き切ったプロレス小説。

中上竜志著/日本経済新聞出版/1760円(税込み)