2022年11月に第1期開園したジブリパーク。テーマパークのようなアトラクションではなく、スタジオジブリの作品世界を精緻につくり込むことで、ジブリファンはもちろん、子どもから大人まで幅広い層を惹き付けている。なぜ、そこまで本物にこだわるのか。ジブリパーク全体の指揮と監修を務めたスタジオジブリの宮崎吾朗監督に、乃村工藝社の川原正毅さん、西本陽さんがお話をうかがった。本記事は、これからの時代に求められる新しい空間価値をつづった新刊『「しあわせな空間」をつくろう。──乃村工藝社の一所懸命な人たち』(能勢剛著、日経BPコンサルティング)から、抜粋してお届けする。
セットじゃない。本物の家を建てたい
西本 吾朗監督との出会いは、2005年の愛・地球博の時でした。会場内に『となりのトトロ』に出てくるサツキとメイの家をつくることになって、そのオファーをいただいたんです。テーマパークづくりの経験が豊富なスタッフでチームを組んでご提案しましたが、吾朗監督には全く響かない。「駄目だ、こりゃ」っていう状態でした。それで社内で川原さんに相談して、チームを組み直しました。
川原 アプローチの方法がテーマパークの攻め方じゃなくて、やはり昭和30年ころの和洋折衷の建物を、ある種、復元するということですよね。だから、文化施設をつくるようなアプローチがいいんじゃないかと。ちゃんと歴史考証もしながら、そこにアニメーションの世界を融合させていくということなのかなと理解して、それにふさわしいメンバーに集まってもらいました。
宮崎 チームの組み直しは全く覚えていないんですが(笑)、そもそも愛・地球博でサツキとメイの家を建てるのに、仮設だからといって映画セットみたいなものをつくっても仕方ないなと思っていました。僕なりの理屈としては、愛・地球博は環境万博ということでしたので、そこにトトロで描かれた家をつくる意味は何だろうと。
そう考えると、昭和30年ころの暮らしぶり、それ以前に建てられた家での暮らしっていうのが、今でいうエコなんです。要するに照明器具以外の電気製品ってほとんどないわけですし、あとはガスくらい。もちろんエアコン、テレビ、洗濯機といったものも全くない。そういう暮らしが、巻き戻してみればイコール環境にいいという解にもなる。
そんなメッセージを込めてやりたいと思ったんですね。サツキとメイの家も当時のつくり方である木造でやれば、いずれは全部自然に還る素材でつくるようなものですから、家のつくり方そのものも、環境についての語りになるわけです。
そういうアプローチで大工さんを見つけて、仕事を始めて、じゃあ、そこに当時の暮らしぶりを再現するという意味でモノが要る。そこで乃村工藝社さんに手伝ってもらって、プロジェクトを始めたわけなんです。
一方で、本物の家をつくっているんだけど古く見せたいみたいなことだってある。でも、大工さんたちにしてみると、俺たちは新築の家を建てているのに、なぜペンキで汚さなきゃいけないの、それは理解できない、と。本物なのだから、本物だったらこういうふうに経年変化していくという処理の仕方だったら自分たちも納得できるけど、そうじゃない塗料を塗りたくるみたいなやり方、つまりテーマパークでやっているようなもののつくり方は認めたくないし、そういうふうにやられたら嫌だっていうわけです。その辺がなかなかマッチしなかったということです。結局、建物のエイジングは、大工さん自ら、かなり面倒くさい作業をやってくれました。
川原 柿渋とかを使いましたね。
宮崎 そう。木材をバーナーで焼いて、こすって、でこぼこに目出しをして、それに柿渋を塗る。そういう面倒くさいことをやりました。本当に木がやせていったら、年輪の硬い部分が出っ張って、軟らかい部分が引けていくわけです。それを塗装で見せようとすると逆になる。本来は濃くなるところが薄くなって、薄いところが濃くなる。それは大工さんから見ると、ニセモノになる。だから、塗装でやるのはあり得ないんです。
そういう果てしなく面倒くさいやりとりがあって、最終的には、乃村工藝社さんにやっていただく塗装によるエイジングは、ペンキで塗ってある洋館部分、それにトタン屋根などの雰囲気出しみたいなところで、そこも過剰にやらないでねとお願いしました。台所もやったんですけれど、かまどにわざとスス汚れをつけてエイジングしたのに、その後本当に使って、使った後に拭いたら全部エイジングが取れてしまって(笑)。
川原 掃除した人に悪気はなかったんですけど、きれいに掃除をしたら、本物のススも、エイジングに見せる塗料も、全部なくなったんです。
宮崎 だったら、本当に使ったほうがいいじゃんという話になって、その後何回もかまどを使うことになりました。
西本 それもあって吾朗監督が、大工さんとか、われわれのために、かまどでこっそりご飯を炊いて、おにぎりを握って、サンマも焼いてくれました。うれしかったです。
川原 完成した時に、吾朗監督が一緒に働いていたわれわれの家族も招待してくれて、うちは娘と妻の両親が来たんです。なぜ両親を呼んだのかというと、サツキとメイの家に「草壁」と表札がかかっているんですけど、妻の父親が校長先生で筆がうまかった。それで表札を父親に書いてもらった。本人は、ものすごく得意満面でした。
宮崎 表札を書いていただいて、川原さんの娘さんにはカレンダーを描いていただいて、それらはいまだに使っていますよね。
川原 いまだに使っている。本当にありがたいのは、やっていた仕事が、われわれの記憶のすごく大事なピースになっていること。今回のジブリパークでも、まさに同じような状況になっていますね。サツキとメイの家に行くと親せきの家に帰ったような気がします。
宮崎 ジブリパークの開園にあたって、サツキとメイの家は、特に変えたところはありませんけど、ちょっとだけメンテナンスしました。人が入ってモノに触りますから、ふすまの手掛けなんかはガサガサになっちゃうし、本も置きっ放しになっているからカサカサになっちゃう。ふすまを張り替えたり、障子を張り替えたり、その間に本を出して、虫干しを兼ねて積み直すとか、風を入れるみたいなことです。だから、メンテナンスといっても、普通の家の大掃除の延長みたいな感じです。
川原 親せきの家の大掃除に駆り出されたみたいでした。
西本 本当に。お掃除の仕方も昔ながらの、はたきと、ほうきでしたからね。
ファンタジーから「リアリティ」を組み立てる
宮崎 今回のジブリパークでは、『耳をすませば』に出てくる地球屋をつくりましたけど、サツキとメイの家とは、考え方は似ているんですけど、ちょっと違うんです。『となりのトトロ』ってかなり特殊な映画で、何が特殊かというと、映画に出てきた家の中をほぼすべて描いている、子細に。映画を見ていただければ分かるんですけど、そこまでやっている作品は、スタジオジブリのほかの映画ではありません。家そのものは、和室に応接間の洋室がくっついているんですけど、戦前・戦後、中産階級の家として結構建てられていて、よくある様式です。なので、かなり史実に基づいてつくることができるんです。
でも、『耳をすませば』という映画は、何か史実に基づいているかというと、基づいていない。ありそうな家として描くのが宮﨑駿は得意なので、いかにもありそうに描いていますけど、これが本当に昭和の時代に建てられて、実際にこういうのがあるんですよっていうものではないんです。途中で傾斜が変わるマンサード屋根の建物はありますけど。
作品として見ると『となりのトトロ』のほうがファンタジーですけれど、建物として見たら、よりリアルな世界であるはずの『耳をすませば』の地球屋のほうが、よりファンタジーなんです。そうすると、史実に基づいてとか、考証に基づいてやればできるかっていわれると、ちょっと違うことになる。サツキとメイの家の時とは違うアレンジみたいなアプローチが必要になるわけです。
川原 今のお話をプロジェクトの最初の頃にうかがって、やはり形にしていくのは難しかったです。うちのメンバーともいろいろな話をして、何を参考にするのが一番いいんだろうかと議論もしました。結果的に、近い雰囲気のお宅に住んでらっしゃる人たちのライフスタイルを取材したりしました。でも、そのままでもないですし。
宮崎 そのままではないですね。物語のなかで重要な要素になっている、お店としての役割がありますから。じゃあ、絵に描かれた通りにつくればそれらしく見えるかというと、全然そんなことはない。そうすると、まずここの主人はいかなる人物かみたいなところから始めて、プロファイリングしていくんです。
とはいえ、そのプロファイリングの理解が、若いスタッフと年配の人が考えることに結構ギャップがあったりする。そうすると、ああでもない、こうでもないと議論を重ねつつ、大体できたっていうところで、もう1回蒸し返すみたいなこともあります。本当にこれでいいのかって。
例えば、主人である作中の西司朗老人は、地球屋にリビング的なスペースがあって、そこでレコードを聴いていますという時に、こういう建物だし、作中ではクラシックを弾いている人だしってなると、スタッフのみなさんが集めるレコードってクラシックだけになるわけです。でも、ちゃめっ気があるおじいさんが、昭和から平成に移っていく時代に、本当にクラシックしか聴かないのか。中学生の女の子をからかうような人だから、そりゃ中島みゆきぐらいは聴くだろうとか。そういうレコードも交ざることによって、その人となりがもっと膨らむんですね。
お店にしても、お店ってこうだよねって、いろいろなモノを集めて飾っていく時に、思考が純粋になりやすいんです。それを崩すためにはどうすればいいのか。何かちょっと甘さが足りないから、もっとかわいらしいモノを置こうといってみたり、西老人のルーツをたどるんだったら、戦前にドイツにいたというエピソードが出てくるから、ドイツ的な何かをちょっと混ぜるとか。そういう工夫をしていく必要があって、それを足してくと、何か変わってきたねってなってくるんです。
川原 実際に、現場はかなり悩みましたけど、やるとやはり変わるんです。何か想像する余地というか、深みが出てくる。
本物としての説得力はあるか?
宮崎 建物そのものも描かれていないところがあるので、じゃあ上の階はどうなっているのかとか、奥の間取りはどうなっているんだろうっていうことを散々やるわけです。西老人はここに住んでいるのか、住まいは別にあって、ここは店なのかとか。ひとり暮らしなのか、奥さんはいるのかとか。生活感がないから、ここには住んでないみたいだとか。そういうことを考えていくのは大事なんです。
若いスタッフはみんな、作中の鍋焼きうどんは、西老人がつくってくれたんだっていうんです。絶対違いますよ。店屋物(てんやもの)に決まってるじゃないですか。あの時間で「寒っ」て冷え切った女の子がいて、あの年のおじいさんが自分でつくるかといったら、絶対につくらない。いつものお店に電話して、「鍋焼き2つ」。それがかつての都会のお年寄りですよね。
西本 店屋物は普通でしたからね。「ひとつで頼むのは駄目」ってよく親に怒られてました。
川原 そのプロファイルの発想の仕方って、若いスタッフが一所懸命にやっていましたけど、やはり経験がないから広がらない。吾朗監督とこうやってお話しさせていただきながら、いかにギャップを埋めていくかでしたね。時間はかかりましたけど。
ジブリパークのプロジェクトでは、結構大変なことがいくつかあったんですけど、地球屋のからくり時計もそのひとつ。お店のシンボルなんですね。このからくり時計をつくる際に、当初われわれは、運営目線だとか、動作の安定だとか、後々のことを考えて、制御とかそういったものを電子的にやろうとしたんです。だけど、ある時に吾朗監督が「それは違うんじゃないか」っていわれて、やはりここは本物っぽくしたいんだから、本物をつくるべきだって。それで、からくり時計をつくれる方が日本にひとりだけいらして、その方の協力を得てつくりました。100年以上前の技術の復元です。
宮崎 結局、地球屋に来てくれる人たちが何を体験したいかというと、自分があたかも映画の世界に入ったような気分を味わいたいわけです。あと、この作品が好きな人たちは強い思いを持っているので、いらした人たちが「ああ、これだ」と思ってくれないと話にならない。電子制御をされた音・動きみたいなものだけで成立している機械だと、なんとなくそれらしくはあるけれど、多分求めるものじゃない。そうすると、スピーカーで音を鳴らすのはNGで、じゃあオルガンでやりましょうって。でも、オルガンの音を出すのに機械で空気を入れましょうって、やっぱりそれ違うんじゃない、みたいなことをやっていくと、面倒くさい方向にしかいかないんです。
西本 地球屋に飾られている猫の人形のバロン。あれも苦労の連続でしたよね。
宮崎 つくることそのものは、誰がやっても多分つくれるだろうし、似てる、似てないだけならつくれちゃうと思います。ただ、何か引っ掛かりを持ってやっていないと、そこは難しい。やはり試行錯誤を繰り返しました。もしかすると今回、試行錯誤が一番多かったのは、これですよね。
川原 一番はこれです。時間も一番かかりました。
宮崎:単に人形の原型がとか、形がどうこうということだけじゃないんです。例えば、お嬢さんのほうの人形、ルイーゼ。作中では過去の再現シーンで登場するわけですけれど、じゃあ作品で描かれているドレスのままでいいのかっていうと、そのままつくると、これがまたなんか違うなってなる。
そうすると、やっぱりそこからプラスアルファしていかないといけないよねっていう話に土壇場でなってきて、もっとここにレース付けたほうがいいんじゃないかとか、リボンがどうのこうのってみたいな話になる。だから最初に決めたことのとおりにやると、最初に思い描いた姿にはならないんです。
川原 つくってみると、思っていたのと違うなということもあったりします。だから、本当にそう思ったら、勇気を持って立ち戻ることが大事なんです。
宮崎 結局、本物としての説得力があるかっていうことですよね。
川原 バロンの目も大変でした。目の中に宇宙を感じるじゃないですか。そこをどうやってやるかって、最初からかなり試行錯誤しましたね。若いスタッフがものすごくこだわって、サンプルをたくさんつくって、吾朗監督とさんざん議論して完成にこぎ着けました。
ジブリの作品世界に入ってみたい
宮崎:ジブリの大倉庫は、本当に倉庫なんです。もともとスタジオジブリがいろいろなところでやっている展示だとか、三鷹の森ジブリ美術館というものがあって、展示のためにものをつくっちゃうことが多いんです。終わった後、倉庫にしまっておくと、年月とともにたまっていっちゃう。それを集めて展示しましょうみたいなところからスタートしています。
ただ、それだけじゃ面白くないので、展示施設でもあり、楽しさもありというところにしましょうと。サツキとメイの家なんかは本物志向というか、実物をちゃんとつくろうということなのに対して、大倉庫のほうはどちらかというとつくりもの然としていて、それを楽しんでもらおうということでやっています。もともとは温水プールだった建物ですから、ガラス張りの温室のような建物に、ちっちゃい街をつくっている気分でやりました。ジブリ作品の世界をごちゃ混ぜにして、コラージュした感じですね。
西本 大倉庫に子どもたちが遊べる場所があるんです。僕は本当に素晴らしいなと思って。何が素晴らしいかって、子どもたちしか入れない展示なんですけど、大人の目で見てもむちゃくちゃ楽しめるんです。スタジオジブリがある東京・小金井市の少し昔の街をモチーフにしたミニュチュアで、駅には、昔の国鉄時代の切符売り場の券売機が表現されていたりする。大人のボタンの下に、「こども」用の赤いアクリルのふたがあって、大人は「うわー、これあったなあ」って。ものすごい音で回るコインランドリーの乾燥機とか、遊びの要素がすごく入っているんです。
川原 今、第2期の開園に向けて『ハウルの動く城』のハウルの城の制作が佳境ですけど、やはり吾朗監督と感覚をすり合わせながらの作業になっていますね。最初はハウルの城の下半分の銅板部分を、クラフト感覚で、すごく瀟洒(しょうしゃ)につくろうとしていたんですが、どうもそうじゃない。外側は超弩級戦艦っていう、ごつくてあまり繊細じゃないような戦艦の世界、でも内側は張りぼてかもねって吾朗監督にいわれて、「ああ、そういうことなんだな」って思いました。
そんなやり取りをするのに、絵に描いたほうが早いだろうっていうことで、僕のほうでこうやって絵を描いて、また吾朗監督が緑色の線で修正やストーリーの考え方を入れてくれるんです。このキャッチボールは、1年ぐらい延々とやりました。うちの若いスタッフも含めて、このやり取りはみんなすごく楽しんでいました。イメージスケッチだけでなく、その先で起こした図面でも同じようにやり取りが続くんですけどね。
宮崎 図面でも延々とやりましたね。それで、もういいだろうっていうところまでくると、それはできたということです。最近は、造形物も先に3DCGでモデリングをして、それを3Dプリンターで出したりとか、制作したりする。3Dデータ上でしつこく直していると、うんざりしてきます。精度は上がるんですけれど、手間が減るわけじゃない。粘土なら人の手でえいやって直せるところを、タブレット上でチクチクやってる感じです。
川原 地球屋の黒木馬なんかも、最終的には無垢の木を削り出してつくるという、すごいクラシカルで、ぜいたくなつくり方です。これも最初は粘土で原型をつくって、それをデータスキャンして3Dにして、3Dにしたデータから、またわざわざ1分の1の木を掘り出すんです。ドリルで。でも、やはり最終的な仕上げは人の手でやるんですね。
宮崎 結局、まじめに本物をつくるのは、スタジオジブリの映画に出てくる建物って、みんな入ってみたいんです。入ってみて、触ってみたいし、その空間で、その椅子に腰掛けて、そのお茶を飲みたいとか、何か食べられればいいなという場所として描かれている。だから、触りたい、触りたくなるようなものとして、そこに立っていてほしい。地球屋みたいな建物も、その壁や柱に触ってみたくなるし、そこに置いてある紙に触れてみたくなる存在であってほしい。だから、ハウルの城ができたら、足に触ってみたいとか、撫でてみたいとか、中がどうなっているのか歩いてみたい、中も触ってみたいってなるのが一番いいのかなと思います。それが、例えばテーマパークみたいなものとの違いです。
この20年くらい、乃村工藝社さんにはスタジオジブリのいろいろな仕事でお付き合いをお願いしてきました。大きな会社ですので、四角四面なところとか、ビジネスライクなところはあって、それは仕方がないんですけど、挑発して化けの皮がはがれてくると、やはり、ものづくりをしたいという気持ちを強くお持ちの方々なんです。一緒にプロジェクトを進めて、だんだん関係ができてくると、いい感じになってきます。
今の時代は、ネットワークの時代ですから、乃村工藝社さんはネットワークのハブになっていますよね。だから、乃村工藝社さんに頼めば何でもできる。いろいろな人とのつながりがある会社なので、いろいろなオーダーに応えてくれる。だから、その良さとつまらなさと、両方があるかなって思います。
アニメーションの仕事もそうですけど、乃村工藝社さんも生活の潤いとか豊かさみたいなものを生み出す仕事ですし、面白い仕事をしている人たちだと思います。なので、何か気持ちを持って、これからも一緒にやっていただけるとうれしいですね。化けの皮をはがしていくのが僕の仕事ですから(笑)。
写真提供/Studio Ghibli 撮影/永禮 賢
能勢 剛(著)、日経BPコンサルティング、2970円(税込み)