東京在住の米国人で日本のポップカルチャー研究者であるマット・アルトさんは著書『 新ジャポニズム産業史 1945ー2020 』で、日本のポップカルチャーがなぜ世界中の人々を魅了するようになったのかを明らかにしている。戦後のブリキの玩具からの歴史を有する日本のポップカルチャーと東京オリンピックについて日本語で寄稿してもらった。
マンガとゲームが彩ったオリンピック開会式
2021年7月23日に行われた東京2020オリンピック開会式は、日本国内では直前までごたごた続きだったせいで賛否両論だが、私の見るところ、世界では評価する向きが多い。私はと言えば、ピクトグラムの演技に笑い、ドローン演出に圧倒され、聖火台に点火した大坂なおみ選手の姿に感動した。
海外、特にSNS(交流ソフト)上で一番評価されたのは選手の入場行進であり、その音楽だ。世界中の選手たちがマンガの吹き出し風のプラカードの先導で行進するとき、「ドラゴンクエスト」のテーマを筆頭に、「モンスターハンター」や「ファイナルファンタジー」など世界的にヒットした日本のテレビゲームの名曲がオーケストラ演奏で流れた。


これにはゲーム愛好者だけでなく、お堅い米ワシントン・ポスト紙さえ「オリンピックとゲームの音楽のペアリングはもっともだ」とコラムニストが書いて絶賛している。「若い選手にとって、好きなゲームの音楽を聴きながら入場できたのは、夢がかなったような体験だったに違いない」。これは東京五輪の遺産として語り継がれるはずだ。
日本のゲーム音楽に世界の人々が興奮するのは、不思議でも何でもない。近年、日本は様々なポップカルチャーの輸出大国になっているからだ。
そのルーツは1970年代後半に遡る。戦後の高度経済成長期に、日本はラジオや家電、自動車などを輸出して経済大国になった。とはいえ、これらはあくまで必需品であり、当初は欧米の製品を価格の安さで圧倒して輸出されていた。
文化的な商品は必需品とは違う性質を持っている。価格ではなく、あくまでアイデアで競争するものだ。そして最初の世界的なヒットとなった文化的な日本製品はテレビゲームだった。

1973年、米ワシントンDC生まれ。ウィスコンシン州立大学で日本語を専攻。1993-94年慶応義塾大学に留学。米国特許商標庁に翻訳家として勤務した後、2003年に来日。現在、アルトジャパン副社長として翻訳や通訳の他、日本のポップカルチャー研究家としてジャパンタイムズ、米紙ニューヨーク・タイムズ、米誌ニューヨーカー、ニューズウィーク日本版などに寄稿。NHK国際放送の人気テレビ番組『Japanology Plus』のリポーターとしても活躍中。著書に『Yokai Attack! (英語版:外国人のための妖怪サバイバルガイド)』、『Ninja Attack! (英語版:外国人のための忍者常識マニュアル)』(以上、チャールズ・イー・タトル出版)など。
任天堂ファミコンで世界を取り、Xboxで奪われる
世界初のアーケードゲームは1971年に米国企業が発売している。ところが、1970年代後半から日本のゲームメーカーが「スペースインベーダー」など次々と世界的なヒットを飛ばした。このあたりの歴史については、著書『新ジャポニズム産業史 1945-2020』に詳しく記したが、その後、テレビゲームが開発され、若者の余暇を変革する。
1985年に米国で販売されたニンテンドー・エンターテインメント・システム(NES、日本名「ファミリーコンピューター」)と89年発売の「ゲームボーイ」が大成功を収めた。1993年の調査では、米国の子どもたちの間で、あのマリオの人気度がミッキーマウスをはるかに上回った。日本製のゲームは21世紀までに世界のゲーム市場を制覇した。
ところが2001年には、マイクロソフトのXboxが日本のゲーム機を凌駕(りょうが)した。21世紀の初頭になると、海外のゲーム会社は戦争シミュレーションや1人称視点シューティングゲームを開発して大ヒットを飛ばし、日本の優しいファンタジーに取って代わった。
だが、新型コロナウイルス禍でそんな状況が一変する。世界は再び日本のゲームに回帰しているようだ。一体、何が起きたのだろう。
世界的パンデミックが日本製ゲームの追い風に
人類史に残るパンデミックに直面して、世界の文化的状況は一変した。日本の非常事態宣言や欧米のロックダウンなどで日常生活が大幅に制限された人々は、映画館にもコンサートにも行くことができなくなった。
その結果、現実逃避へと向かった。
外出したり人と交流したりできない中、独りで空想に浸るようになるのは仕方がない。コロナ不況に直撃された業界は多いが、ゲーム、書籍、コミック、ストリーミング映像サービスなど、現実からの逃避を促す業界はしっかり収益を上げている。家から出かける代わりに、自分の内面に集中して、つまり活発な精神生活や夢を育てる傾向が強くなる。これは世界的な傾向だ。
世界で最も人気のある「逃避商品」の大半が、メイド・イン・ジャパンであることをご存じだろうか。その代表例が、任天堂の「あつまれ どうぶつの森」(あつ森)というゲームだ。発売は2020年3月20日。世界中で新型コロナウイルス感染者数が爆発的に増加した感染第1波の真っ最中のことで、当初このゲームの売れ行き見通しは厳しいものだった。
ところが、記録的な大ヒットとなり、年末までになんと全世界で3263万本を売り上げた。かわいい動物キャラクターに囲まれながら自分の理想的な世界をつくったり、ネットで友達と共有できたりするのは、巣ごもりしている人類の交流欲求を抜群に満足させたのである。
アニメはもはやサブカルチャーではない
アニメも「逃避商品」の代表例に挙げられる。「鬼滅の刃」シリーズの記録的な成功は記憶に新しいが、その魅力に惹(ひ)き付けられたのは日本人だけではない。『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は2020年、全世界で最高興収のヒット作品となった。そして「鬼滅の刃」だけではない。

米ネットフリックスでは、2020年にはアニメというカテゴリーの人気が2019年より55%増えている。この流れに乗って、ネットフリックスは2021年に約40本のオリジナルアニメを配信すると発表した。そしてソニーの子会社であるソニー・ピクチャーズが2020年12月に米国大手アニメストリーミングサービス「クランチロール」を1222億円で買収すると発表した。クランチロール買収に関してはその取引が独占禁止法に違反しないかどうか、米司法省の調査が進められているが、ここで注目すべきは、長い間サブカルチャーとしか認められなかったアニメがなんと、米国のエンターテインメント業界ではモノポリー(独占)になった可能性があるということだ。
フランスの若者が文化クーポンで買いあさったもの
ゲームだけではない。マンガもそうだ。フランスでは、コロナ対策の一環として国内の文化を促進するために、「文化パス」という300ユーロ(約4万円)のクーポンを発行して18歳以下の若者に配布した。フランス政府は、西洋の書籍や映画、演劇、コンサート、音楽などの消費を刺激することを想定したのだが、結果は設立者であるエマニュエル・マクロン仏大統領の期待を裏切る形となった。「進撃の巨人」や「ドラゴンボール」を中心に日本のマンガの売れ行きが急速に伸びて、フランスのマスコミでは「日本マンガ・ラッシュ」と呼ばれ、プチ・スキャンダルとなった。
「フランスの本屋さんでは、10冊、20冊、時には50冊のマンガを同時に購入する若者がいる」と仏フィガロ紙が報じた。「300ユーロでこのマンガシリーズの全冊が買える」というフランス語ウェブサイトまでも現れた。セラヴィ。
日本製のエンターテインメントはなぜ海外で好調なのか? 「どうぶつの森」や「鬼滅の刃」などが良い作品であることはもちろんだ。日本というハイパー消費社会では、顧客の心をつかむ「マインドシェア」の競争が激しい。その結果、商品のいわゆる適者生存、つまり強いものしか生き延びられない市場となっている。しかし、商品が良いというだけではない。もっと大きな理由がある。
それは近年、欧米先進国の消費者自身が日本人にどんどん似てきたからである。リーマン・ショックの経済崩壊、政治的なカオス、若者世代の未婚化や出生率の低下など、日本が数十年前に体験した現象が、欧米の先進国をはじめ他の国でも起きている。その結果、東と西の感性が、シンクロナイズしてきたのだ。課題先進国とも言える日本が生み出した商品は、全世界が直面する資本主義の晩期、つまり経済成長が大幅にダウンした時代のトレンドセッターでもあるのだ。
だから海外でヒットしているのは、日本のエンターテインメント作品だけではない。片付けコンサルタントである「こんまり」こと近藤麻理恵さんはその良い例である。2010年に米国で発売された『人生がときめく片付けの魔法』が米ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーリストに148週以上も掲載され、世界40カ国で850万部以上が売れた。米国のユーチューブでは、こんまりの「洋服の畳み方」という動画が1200万回も見られている。
もはや欧米人は昔のようにウォークマンなどのヒット商品を求めているのではない。「JAPANというライフスタイル・夢」を求めるようになっているのだ。こんまりの他にも、森林浴(森林内歩行の健康法)が流行し、「IKIGAI」(つまり、生きがい)が外来語として定着した。商品というより日本のライフスタイル・ガイダンスとして欧米や世界に受け入れられているものが多い。海外の視点で見ると、日本は20世紀の製造大国から21世紀の「ポップカルチャー王国」に変身し、世界を導く先生のような存在に進化しつつあるのだ。
[日経ビジネス電子版 2021年8月10日付の記事を転載]
なぜ日本のマンガ、アニメ、ゲームは世界を魅了したのか?
1945年の敗戦から、日本人は米兵が乗ったジープを見て、捨てられたブリキ缶を回収して、玩具のジープを作り、その娯楽品を輸出して食料などに替えた。この創意工夫の職人的精神は江戸時代から引き継がれたものだ。1990年代初頭のバブル崩壊後もゲームやカラオケ、女子高生が担ったハローキティなどのカワイイ文化は、世界に拡大していく。こうしたサブカルチャーの歴史を東京でゲームなどのローカライズ(日本語から英語への翻訳)を仕事にしてきた著者が丹念な取材で描いた。
マット・アルト(著)、村井章子(訳)、日経BP、2640円(税込み)