2024年8月、松岡正剛さん逝去の報を受け、深い喪失感の中にいる。「編集工学」を提唱し、縦横無尽に日本文化などを論じた“知の巨人”。享年80。ここに掲載するのは2012年春、松岡さんに「本とは何か」をテーマに語っていただいた記事である。書評「千夜千冊」をライフワークとした“読書の達人”の言葉は干支が一巡りする時を経てもなお、古びず冴えてしなやかに、“知の海”へ漕ぎ出さんとする者を力づけ、誘う。心よりの哀悼の意を表しつつ、紹介したい。(聞き手:坂巻正伸/写真:尾関祐治/初出:日経BP「日経ビジネスアソシエ」2012年5月号)
本は思考の始点 正解を求めるな
本とは何か。いかにつき合うべきか。編集工学研究所所長の松岡正剛さんに聞いた。「本は裏切る」「つながりで捉えよ」「全身で読め」。その真意を、じっくりと。

読書に懐疑的な人たちは「丸々1冊読む時間がもったいないし、役に立たない本だったら時間の無駄になる。知りたいことがあればネットで検索すればいい」と言いますが。
では、いわゆる「外れ本」問題からいきましょうか。読んでみたが、期待した内容とは違っていた。それは当然あることです。超一流打者のイチローの打率だって3割台。「当たり本」に出合う確率は2割5分くらいと考えた方がいい。
かなり低い確率ですね。
これまでに発行された膨大な本の数を考えれば決して低くないし、確率が低いことで自分を責めなくていい、という意味もあります。本は裏切るものと考えればいい。でも、書店に5万冊、図書館に20万冊の本があると考えれば、打率2割でも、打席に立ち続けさえすれば、多くの当たり本と出合える。
一方で「役に立たない本」に出合うリスクも高い。
個人的に求めている答えが、その通りに書いてあることを「役に立つ」と定義するなら、それは難しいでしょう。まず裏切られる。
しかし、「役に立つ」という言葉は、そもそも芝居用語で「役柄が分かる」といった意味です。自分の基準に当てはめて「○か×か」を評価するのではなく、読書を通して自分の役柄をつかむことがコツなんです。
自分と周囲との関係性を知り、それを我がものとする。
その意味で本は有効です。例えば、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』。坂本龍馬をはじめ何十人もの下級武士が新たな時代への激流の中で様々な役割を果たしていく。その「役の立ち具合」を読む。自分が現実に経験できることは限られるけれど、本を通しての経験に、一切の制約はない。何者にもなれるし、それまで見えなかった視座を手に入れることができる。アフリカの奥地にも分け入れるし、ガンと戦う医師にもなれる。とすれば、本は未知と出合い、その世界へ漕ぎ出す道具と考えればいい。
その道具を、どう使いこなせばいいのでしょう。
読書を「読前、読中、読後」に分けて考えることを勧めます。
まず「本を読んでいる時だけが読書」とは考えない。書店の棚の前で本の表紙や背表紙をざっと眺める。目に入った数十冊の本との関係が始まる。ここから読書は始まっているんです。タイトルや帯を見る。手に取って装丁や目次を見る。本との関係を結ぶのに制約はない。例えば、美術館の展示作品は順路に並んだまま触ることも動かすこともできないけれど、本は手に取っても怒られないし、買って帰ることもできる。
実際に本を読む「読中」も制約はない。むしろ、勝手に自分に合う方法を工夫したらいい。読書という行為は「紙の上の文字を目で追うこと」のように捉えられがちだが、もっと身体的な行為です。
例えば、読む時の服装や場所を変えてみる。飲むものや食べるものを変えてみる。私の場合、小説を読む時は着物を着て塩煎餅をつまみ、哲学書を読む時はなぜかウエハースを用意する(笑)。あるいは、仕事帰りにスーツのまま読むとか、風呂で読むとか。要は、本の世界に入るスイッチを作る。

学びと遊びを楽しむ
本を読む時には、学びと遊びのバランスを楽しむ。学ぶために貪るように読むのもいいし、遊び感覚で読むこともよしとする。その配分に正解はなく、読書ゲームとして楽しんでほしい。
そして「読後」は、読んだ感覚を次につなげる。ブログや日記に感じたことを書くのもいい。それを積み重ねることで、本との関係の作り方が身についてくる。「外れ本」を引いた時も、それとは違う角度から次の本に当たればいい。
そうして新たな本との関係を広げていく。例えば、興味の湧いた分野の本を数冊、並べてみる。
ここに『夜の中世史』と『中世の光と影』という2冊の本がある。『夜』の装丁はまさに夜。帯の惹句も「初めて明かされる夜の世界」。うん、読みたい。一方、『光と影』は、まあ普通か(苦笑)。でも実は、ここで使われている挿絵は同じ画集から取られている。その画集が新たな起点となって、全く別のつながりが広がる。

あるいは、全く関わりのない数冊を同時に読むのも面白い。例えば、インド、シェイクスピア、よしもとばなな。バラバラなテーマに見えるが、ふと思いもよらないひらめきがあるかもしれない。本3冊の値段で、時間的、空間的な制約を飛び越えた体験ができるのだから“効率的”でもある。
情報へのアクセス性という意味で、本とネットの違いは?
ソフトアイとハードアイという観点から考えてみましょう。例えば、初めて訪れた部屋で、私たちはそこに置かれた机や椅子などをいきなり1つずつ見つめるわけではない。ざっと眺めて全体を把握する。これがソフトアイ。そして、必要に応じてモードを切り替えて個別に見る。それがハードアイ。
本とネット、何が違う
ネット検索はハードアイ?
ピンポイントで情報をマッチングすることが便利と考えるプログラムがあって、精度を高めてきた。
でも、机や椅子を個々に見るモードだけでは、怖くて部屋の中を歩けない。もちろん、ハードアイの有用性は否定しないが、ハードアイを生かすには、ソフトアイで全体をつかむステップを意識的に確保する必要があるということです。情報を「ある、ない」で考えるのではなく、関係で考える。その点、本はランダムアクセスができて、仕様上の制約もない。
どうしても本に親しみが持てない人はどうすれば…。
誰でも、こだわっているもの、夢中になれるものってあるでしょう。その楽しみ方に本を当てはめてみる。お気に入りのスニーカーをかっこよく並べているなら、本もそんなふうに並べてみる。CDやDVDをこだわって分類しているなら、そのやり方で本を並べ直してみる。本を着替えさせてみるのもいい。きれいなカバーをつけて、積み直してみる。改めて手に取ると、新たな関係が生まれるかもしれない。気づいたことを本に書き込むことも、本との関係を深めることにつながる。

やはり身体的なアプローチが有効ですね。
書棚の前に立つ。ふと手を伸ばす。ページをパラパラとめくる。通勤電車の中で本を開く。この適度な揺れがいいなと感じながら読む。待ちに待った新刊を大事に抱えて書店を出る。でも家まで我慢しきれず喫茶店でページを繰る。本の読み方に、一切の制約やタブーはない。まさに、お気に召すまま。本はそれだけ懐が深い。
言葉が生まれ、長らく口語の世界があった。そこから書き言葉が生まれ、大事なものが記された。それが本になった。のぞき込めば、何かがある。秘密が、驚きが、悲しみが、歓喜がある。あなたが知る範囲を超える何かが、本にはある。自分の常識が“裏切られる”瞬間を楽しんでください。
