立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんは「自分の経験だけで考えずに、戦争と条約締結の裏側で展開された人間模様を学ぶことが重要」という。世界史の中で結ばれた条約や勃発してしまった戦争を検証した 『戦争と外交の世界史』 (日経ビジネス人文庫)から一部を抜粋してお届けする。
殴り合い、妥協する歴史の繰り返し
人間は一万二千年ほど前に、支配することに目覚めました。最初は植物、次いで動物、そして金属。それから自然界のルール、朝があって夜があることや季節があることなど、それさえも自分で支配したいと思うようになります。そこから神=GODという概念も誕生したのです。当然、人も世界も支配したくなる。交易をリードするだけでは満足せず、相手の集団や国をまとめて支配したい、そういう王様や集団が登場してきます。
BC三世紀から二世紀にかけて三次にわたって戦われたポエニ戦争は、フェニキア人の植民都市カルタゴとローマによる、地中海の制海権の争奪戦でした。どちらが地中海交易の主導権を握るかの戦争です。この結果は、過酷なほどのカルタゴ抹殺の形で終わりました。ローマ兵たちは、市民の成人男子を皆殺しにすると、カルタゴの地面に塩をまいて人が住めなくしてしまいました。両者にまったく妥協の余地はなかったのでしょうか。そういえば、これはギリシャ神話の話ですが、トロイアの戦いにおいても、トロイアの都市は跡形もなく焼き尽くされ破壊されたと記述されています。
人間の脳みそは一万二千年前のドメスティケーション(動植物の栽培化、家畜化)の後は一切進化していないそうです。ですから、頭に血が上ればいまも変わらず殴り合って、それから後悔してお互いに妥協する歴史を続けています。そして星の数ほど条約が生まれました。
宇宙人との戦争でない限り、古今東西そしてこれからの戦争もそれと関連する外交や交渉も、人間同士で行われます。一万二千年前のドメスティケーションで人間の脳みそは劇的に進化したといわれています。けれど、前述の通り、それ以来まったく進化していないのです。それから、ずっと人間は誰かが誰かをポカリと殴り、相手は殴り返す。そのパターンを、ずっと繰り返してきました。情けないけれど、これからも繰り返されるかもしれません。
けれど現代と過去の時代が決定的に異なる点は、核兵器という、敵はもちろん自分も滅ぼし、それだけではなく、地球を死の星にしかねない、とんでもない殺戮(さつりく)兵器が誕生したことです。このことが世界大戦を防止する楯(たて)になるかもしれませんが、その保証はどこにもありません。核兵器のスイッチを押せる人間が、地球に存在するからです。そして人間は過ちを繰り返してしまう存在です。
隣国の指導者を殴るような人を選ばない
そこで、戦争と交渉ごとについて僕たちが心しておきたいことを、まとめておこうと思います。僕たちひとりひとりは、単なる揺れる草木の一本かもしれません。しかし、どこの国でも市民みんなが賢い草木になれば、軽はずみに隣国の指導者をポカリと殴るような支配者が、選ばれることは少なくなるように思います。
戦争と外交の歴史は、僕たちの人生の歴史と合わせ鏡のような関係にあるような気がします。財産や恋人をめぐる争い、横暴で強欲な隣人や上役との人間関係など、それに対応する知恵もまた、戦争と外交の歴史の中に隠されています。
職場における出世競争や恋人の争奪戦など、僕たちの人生には望まずしてケンカ状態に巻き込まれることも少なくありません。このようなとき、円満に仲直りし将来も良好な人間関係を続けていくためには、次のようなことが必要になると思います。
もつれた糸をほぐすには、ケンカの原因を冷静に考えてお互いの非を認め合うことが大切です。それと同時に、相手の心を思いやる心遣いも大切になるでしょう。出世競争に敗れたり恋人を奪われてしまったりすると、ともすれば冷静になれず、そのために相手をきちんと正視せず、憎しみの感情で評価するなど、偏見でしか見られなくなります。これでは怨念ばかりが残って、仲直りにはなりません
平和構築に失敗した「ヴェルサイユ条約」
世界史の大きな戦争の後で、立派な平和条約が結ばれた例は残念ながら少ないです。逆に悪しき例はたくさんあります。その中でワースト・ワンといえば、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約かもしれません。
自ら提案した「十四ヵ条の平和原則」を、会議の主題にしようと考えていたアメリカ代表のウィルソン大統領、ドイツに対する怨念だけに凝り固まったフランス代表のクレマンソー首相、自国の利害だけ考えていた大英帝国代表のロイド・ジョージ首相。
考えてみると、英仏米の三ヵ国首脳は、戦争全体の総括と敗戦国の罪状の分析そして敗戦国民の心情の理解など、戦勝国側が検討すべき項目についてどこまで追求したのか。その点に大きな疑問が残ります。これでは戦争後の効果的な平和条約など、構築できなかったのは当然ではないか。その結果として締結されたヴェルサイユ条約は、ヒトラーを生み出す最大の原因となってしまいました。
逆に優れた平和条約として記憶すべきひとつに、澶淵(せんえん)の盟がありました。軍事力は強大ですが文明に後れを取っているキタイと、圧倒的な文明大国であった宋が結んだ条約でした。宋が兄となりキタイが弟となるODA(政府開発援助)型の同盟として、今日的意味でも評価されています。両国はこのシステムで、三〇〇年の平和を築きました。
さらに付記しますと、ヴェルサイユ体制の反省の上に立ち、第二次世界大戦後、今日の世界体制を支える国際連合と国際通貨基金(IMF)・世界銀行を設立した人物として、フランクリン・ルーズベルトを忘れたくはありません。
フランスが何も失わなかった背景
「理念のある者とない者が交渉した場合、理念のある者のペースになりがちである」。ここで言う理念とは、筋の通った考え方とか納得がゆく理屈と考えても、あるいはもっと高次元の思想や信仰と考えてもいいかと思います。どのようなテーマの交渉ごとであっても、明確な理念が示せる側が有利であるということです。
ナポレオンが敗退した後で開催されたウィーン会議のフランス代表、タレーランの正統主義を思い出してください。
「いま必要なことは、すべてをフランス革命以前のヨーロッパに戻すことである」
このタレーランの理念に、ウィーン会議の参加国はみんな説得されてしまいました。ヨーロッパを血で染めたナポレオン戦争の震源地であったフランスが何ひとつ失うことなく、ヨーロッパは王政復古してウィーン会議は終わりました。
タレーランの主張は彼の理念であったのか、フランスの国土を守るための方便にすぎなかったのか。いずれにしても人間は、どのような場合であっても筋の通った理念で一貫して主張されると、ついつい納得してしまいがちなのです。
マクロンの『革命 仏大統領マクロンの思想と政策』(ポプラ社)を読むとそのことがよく分かります。ヨーロッパの各国は昔から、さほど広くない大陸にひしめきあいながら競い合い、外交戦術や交渉技術を高めてきました。その知恵をアジアやアフリカを侵略するのに、役立ててきました。
理念は僕たちの日常の仕事の上でも、必要不可欠です。そのとき、何を言うべきかは大切ですが、それと同時に何を言わないでおくかも重要なことです。そして言うべきことの順序も考える必要があると思います。囲碁や将棋の世界には「手順前後」という言葉があります。いかに有効な攻撃方法であっても、打つ手の順番を間違えると意味をなさない、という意味です。いずれにせよ、いかなる交渉ごとにおいても自分の理念を持つことは交渉ごとの必須条件であると考えてください。
『戦争と外交の世界史』
人類の歴史は、戦争の歴史であり、「戦争」を止めるために「外交」という手段を駆使してきた。日々繰り返されている「ケンカや仲直り」「妥協と打算」「取引と駆け引き」「握手と裏切り」も、戦争と外交の歴史をひもとくことで、解決の糸口を見つけることができる。
出口治明(著)/日本経済新聞出版/定価1100円(税込み)