ロシアのプーチン大統領が絶大な権力を握る過程で何があったのか。プーチンを大統領の座につかせた立役者の1人で、クレムリンのインサイダーだった男の証言に見る真実。プーチンとその仲間たちがロシアを支配する過程の裏側を追った書籍『 プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち(上) 』(キャサリン・ベルトン著/藤井清美訳/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。
インサイダーからの証言
セルゲイ・プガチェフはクレムリンのインサイダーで、ウラジーミル・プーチンを権力の座につかせるために絶え間なく裏工作を行っていた。クレムリンの銀行家として知られ、当時のロシアの統治手法だった裏取引の達人だった。自分たちに好都合なように規則を作ったり曲げたりし、自分たちの欲望のために法執行機関や裁判所、さらには選挙まで堕落させていた権力中枢部の排他的小集団(インナー・サークル)の一員で、何年もの間、無敵に見えていた。
だが今では、彼がかつて属していたクレムリンという組織は彼に敵対するようになっていた。黒い顎ひげと社交的な笑顔を持つこの長身のロシア正教信者は、プーチンの権力が及ぶ範囲がどんどん拡大するなかで、その権力の最も新しい被害者になっていた。クレムリンはまずプガチェフのビジネス帝国を侵略し、それを奪い取った。クレムリンが攻撃を始めたとき、プガチェフはロシアを離れて、まずフランスに、それからイギリスに逃亡していた。そして、再びフランスへと逃げる。
イギリスからフランスに大急ぎで逃亡する際、セルゲイ・プガチェフは多くの明白な証拠を残していた。クレムリンの弁護士チームのために働いていた探偵たちは、彼の失踪後に発行された裁判所命令に基づいてナイツブリッジの彼の事務所を捜索した。大量の書類の間にいくつかのディスク・ドライブがあり、そのうちの1つに録音が残されていた。ロシアの情報機関は1990年代の終わりから、プガチェフがモスクワ中心部の自分の事務所で行ったあらゆる面談を密かに録音していたのである。
録音の1つには、プーチンに関する、また彼を大統領にするために自分自身が果たした役割に関する、プガチェフの率直な後悔の念が鮮明に記録されている。
プガチェフは自分の事務所で、ボリス・エリツィン元大統領の義理の息子で大統領府長官を務めていたヴァレンチン・ユマシェフと、高級ワインとディナーを楽しみながら、モスクワが新たな政治危機に突入するなかでの緊迫した状況について議論している。時は2007年11月、プーチンの連続2期目の大統領任期があと数カ月しか残されていなかった。その任期が終わったら、ロシアの憲法の規定により、プーチンは退任しなければならなかった。
大統領退任後は首相になるとプーチンは漠然と語ってはいたが、本心はまだ内輪の人間にさえ明かされていなかった。クレムリンの迷路のような廊下では、プーチンとともに権力の座に駆け上がっていたKGB(ソ連国家保安委員会)出身者や情報機関関係者が地位を求めて争っており、自分もしくは自分の推す候補者がプーチンの後継者に選ばれることを期待して論争や中傷合戦を繰り広げていた。
「最初は金持ちになりたいと思っていた」
プガチェフとユマシェフは静かにグラスを合わせて、その曖昧な状態について議論した。後継者に関する不確実さは、彼らがプーチンの台頭を手助けした1999年の強烈な記憶を呼び覚ましていた。
それは彼らにとってはるか昔のことのように思われた。今では彼らは、サンクトペテルブルクから呼び入れられたプーチンのKGBの仲間たちに追い落とされて、完全に過去の遺物のようになっていた。権力システムは取り消し不可能な変化を遂げていたが、彼らはまだ自分たちが8年前に何をしたのか理解していなかった。
「彼が権力の座についたときどんな様子だったか覚えてるだろう?」と、プガチェフは録音で語る。「彼は『私は雇われ経営者だ』と言っていたものだ」。当時、プーチンはリーダーの役目を引き受けることに乗り気でないように見え、彼を権力の座に押し上げるのに一役買った人々に従順で、言いなりになるように思われていた。「ここだけの話だが、彼は最初は金持ちになりたいと思っていたんだと思う。幸せな生活を送りたい、自分の個人的問題を解決したいと」と、プガチェフは続ける。
「そして、こうした問題をおおむねすぐに解決した。だが、1期目の4年が過ぎるなかで、辞めるに辞められなくなるような事態が発生したことを理解した」
プーチンの1期目は血と論争にまみれていた。それは国の運営の仕方を全面的に変化させた。プーチンは一連の激しいテロ攻撃に直面したが、その1つが2002年10月に起こった、チェチェンのテロリストによるモスクワのドゥブロフカ劇場占拠事件だった。この人質事件は、ロシアの情報機関が劇場突入の際にヘマをして、彼らが解放しようとしていた当の観客たちにも麻酔ガスを噴射し、100人以上の死者を出す結果になった。
北コーカサス地方チェチェン共和国の反逆者たちに対するプーチンの戦いでは、何千人もの死者が出たが、そのうちの294人は一連のアパート爆破事件での死者だった。これらの残忍な事件はプーチンの情報機関の仕業だと、モスクワの多くの人が囁(ささや)いていた。連続爆破事件の結末が情報機関の厳しい取り締まりとそれによるプーチンの権力の強化だったので、なおさらそう見られていたのである。
自由気ままに振る舞っていた1990年代のオリガルヒ(新興財閥)たちは、まもなく服従させられた。プーチンとその仲間たちがエリツィン時代の市場の自由を制限し、国家による乗っ取りを開始するためには、ロシア一の金持ちに対する大型訴訟1つで十分だった。
「4年後に喜んで退任していただろう」
「彼は4年後に喜んで退任していただろう」と、プガチェフは続ける。「ところが、これらの様々な論争が起こった。西側とは今、キューバ・ミサイル危機に近い深刻な対立がある。しかも彼は今ではさらに深みにはまっている……これ以上進んだら抜け出せなくなることを彼は理解している」
プガチェフとユマシェフのどちらにとっても、プーチンが築いた権力構造、大統領が極めて大きな権力を握っているのですべてが大統領の意向によって決まる現在の構造は、安定とは正反対のように見えた。「これはピラミッドだ。一度叩くだけで、すべてが崩れ落ちる……彼はこれをすべて理解しているが、自分を変えられないんだ」
「彼はちっとも理解していないと思う」と、ユマシェフが言う。「自分のやったことはすべて堕落の方向に向かっているとは彼は決して言わないだろう」と、プガチェフが言葉を挟む。「彼が下す決定の多くが、世界はこのように運営されるべきだという彼の信念に基づいている。愛国心という問題、彼はこれを本気で信じている。ソ連の崩壊は悲劇だったと言うとき、彼は本気でそう思っている……とにかくそのような価値観を持っている。何をやるにしても、彼はそれを本気でやる。本気で間違いを犯すんだ」
プーチンは権力のすべての手段を大統領府に統合したこと――地方首長の選挙を廃止したことや裁判所制度をクレムリンの「ディクタート(絶対的命令)」の下に置いたことなど――を、90年代の混乱と崩壊に終止符を打ち、新しい安定の時代を開くために必要な措置だったと、たびたび正当化していた。
だが、表面上はほとんどの意思決定の推進力になっているように見えた愛国的威嚇行動の背後には、別の、もっと気がかりな要因があった。忠実な協力者のネットワークを通じて経済を運営していたプーチンとそのKGBの仲間たちは、今では権力を独占し、政権内での地位が私腹を肥やす手段として使われる新しいシステムを導入していたのである。それは彼らがかつて仕えていたソヴィエト国家の反資本主義、反ブルジョアという原則とは似ても似つかないものだった。
資本主義を取り込んだKGBの復活、オリガルヒの没落、飽くなきプーチン勢力の富と権力の奪取――。プーチン勢力がいかにロシアを変質させ、食い物にし、世界を混乱させてきたのかを、元FT記者が冷静なタッチで明らかにするかつてないドキュメント。
キャサリン・ベルトン著/藤井清美訳/日本経済新聞出版/上下巻とも2090円(税込み)