ビービットの藤井保文氏が新たな著書 『ジャーニーシフト デジタル社会を生き抜く前提条件』 (日経BP)を執筆、2022年12月に刊行した。藤井氏は現在のデジタル社会の到来と実像をいち早く予見したベストセラー 『アフターデジタル - オフラインのない時代に生き残る』 (日経BP、2019年)の著者の1人。新著は「アフターデジタル」を提唱後に新たに登場したキーワード、例えば「パーパス」「SDGs」「Web3」「メタバース」などを取り込んだ新たな世界観を示しているという。執筆の背景などを藤井氏に聞いた。(聞き手は松山貴之=技術プロダクツユニットクロスメディア編集部)
藤井さんは2019年に『アフターデジタル - オフラインのない時代に生き残る』を執筆され、その後、本のタイトルになっている「アフターデジタル」はいろいろなところで使われるようになりました。改めて、「アフターデジタル」とは何かを簡単にご説明いただけないでしょうか。
藤井保文氏(以下、藤井氏):「アフターデジタル」とはデジタルが十分に浸透した世界を指し、対比的に、それ以前を「ビフォアデジタル」と呼びました。社会へのデジタルの浸透度合いの差を意味する言葉ですが、浸透度合いによって、リアルとデジタルの関係が大きく変わることがポイントです。

株式会社ビービット 執行役員CCO(Chief Communication Officer) 兼 東アジア営業責任者 、一般社団法人UXインテリジェンス協会 事務局長
ビフォアデジタルでは、あくまでもリアルが主で、デジタルはおまけのようなものと見られてきました。例えば、店舗に来てくれるお客さん向けに、デジタルで付加的なサービスを提供するようなケースです。あくまでも中心はリアルにあります。
これがアフターデジタルでは変わります。例えば、スマートフォンで(地図アプリの)Googleマップを見ながらリアルな街を歩くことは普通に行われていますが、これは、街というリアルが地図サービスというデジタルに包含されている典型的なシーンだと思います。また、(QRコード決済アプリの)PayPayで支払って物を買うというのは、デジタルが先でそれにひも付いてリアルがある。タクシー配車アプリを使って自宅前まで車を呼べるということは、リアルな「場所」がオンラインにつながっていることを意味します。
デジタルが十分に浸透するとリアルはデジタルに包含され、そうした社会では、ビフォアデジタルの時と違ってデジタルが中心になります。デジタル浸透度が高くなると中心が移動し、中心が移動することで、物事を考える順番が変わります。従来は「リアルの顧客向けにデジタル接点を提供する」と考えてきましたが、デジタルが十分に浸透すると、アプリなどを使って日常的に顧客とデジタルで接点があって、そうした顧客がたまにリアルに来店してくれると捉えます。
アフターデジタルで指摘したことは、デジタルを基点にリアルを含むすべてのことを考える。そういう「視点の転換」が必要だということです。
アフターデジタルは我々が向かっている未来を示す言葉だと思いますが、藤井さんはこのたび『ジャーニーシフト デジタル社会を生き抜く前提条件』(2022年、日経BP)を執筆されました。「アフターデジタル」とは別の世界観を示しているのでしょうか?
藤井氏:「ジャーニーシフト」はアフターデジタルという土台の上にあるもので、アフターデジタルの正統な進化形のような位置付けです。
「アフターデジタル」はデジタルテクノロジーが進化し、企業を中心にDX(デジタルトランスフォーメーション)というキーワードで社会が変化していく中で、その変化を読み解くのに必要な前提としての視点転換だと思います。アフターデジタルを打ち出してからいくつかの新たなキーワードやテクノロジーの進化が起きており、それらを踏まえて考えると、視点転換だけでは不十分だと思い始めました。その気づきを1冊にまとめたのが『ジャーニーシフト』になります。
「企業本位ではない価値を重視する時代」が到来する
「アフターデジタル」の正統な進化形が「ジャーニーシフト」だということですが、では、ジャーニーシフトとアフターデジタルの違いを一言で表現するとどうなりますか?
藤井氏:アフターデジタルとは「社会に対する見方の変化」を示していますが、ジャーニーシフトは、アフターデジタルを土台にした「企業の提供する価値の変化」を示しています。
デジタルテクノロジーはもちろんですが、それだけでなく、最近のさまざまな世界の動きを踏まえると、企業の在り方、振る舞い方は大きな転換点にいるように思うのです。「潮流」というのがふさわしいと思うのですが、大企業からスタートアップまで、それぞれが大きな変化を迎えているように思えてならない。無関係でいられる企業はないほどの大きな潮流がこれから押し寄せる。グローバルな潮流ですが、日本企業への影響は大きいと見ています。
「ジャーニーシフト」を打ち出すきっかけになったこと、影響を受けたトピックがあれば教えてください。
藤井氏:2019年のアフターデジタルでは「DX」や「OMO」(Online Merges With Offline、オンラインとオフラインの融合)というキーワードを軸にしました。その後に世の中で騒がれたキーワードを幾つか並べてみると、「パーパス」「SDGs」「Web3」「メタバース」などがあります。こうしたキーワードの一つひとつの意味を掘り下げるより、なぜそうしたキーワードがバズワード化したのかを捉えることが大事だと思っていまして、そういう視点で考えると、私にはどれも同じ方向に向かっている、つまり、一つの大きな潮流が生まれていると感じられたのです。
その「潮流」とは何でしょうか、ヒントをもらえますか?
藤井氏:できるだけコンパクトに表現すれば、「企業が独善的にベネフィットを追求して稼ぐ時代」が終わり、「企業本位ではない価値を重視する時代」になってくるということでしょう。
例えば、「Web3」の象徴として「DAO(分散型自律組織)」があります。これは、その組織に関わる多くの人たちによる意思決定を分散型で実施するもので、従来のように限られた一握りの中央集権的な人たちだけで決めるのではないという動きです。「メタバース」は提供企業がすべてを決めるのではなく、みんなが自己実現したい場を提供する動きです。「SDGs」は企業を巻き込んだ社会的な責任であり、「パーパス」は自社が社会に対しての約束を表明する動きだと思います。
そのように考えれば、どれも同じ方向を向いていて、それは「企業が自社の勝利だけを考えていてもうまくいかない。さまざまなステークホルダーと共に良くしていく」という、「企業本位ではない価値を重視する時代」に感じられたのです。企業が「社会のこと」「他社のこと」「人々のこと」を考えて価値を創造していくということです。企業である以上は稼がないといけません。その本質は変わりませんが、本気で「社会のこと」「他社のこと」「人々のこと」を考えて価値を創出する時代が来ると思います。
インドネシアのスーパーアプリは“中国の模倣”を超えていた
おっしゃっていることは分かりますが、企業の立場で考えれば、「社会や人々のことを本気で考える」というのは何だかきれいごとのように聞こえてしまいます。現実に起きていることなのでしょうか?
藤井氏:『ジャーニーシフト』に詳しく書いていますが、インドネシアのGojek(ゴジェック)という企業はスーパーアプリを提供しています。スーパーアプリといえば中国が世界でも先行しているので、Gojekは中国のスーパーアプリを模倣したものだと思っていたのですが、実際に現地に行って確かめてみると、ただの模倣ではありませんでした。
一番の違いは「バイクタクシー」を中心にしたサービスであることです。バイクを使って人やモノを運ぶサービスで、運ぶモノは料理や荷物など、いろいろなサービスがあります。なぜバイクかといえば、インドネシアの中心部、特にジャカルタは交通渋滞が激しく、四輪車での移動に時間がかかるからです。Gojekはさまざまな事業をポータル的に集めたものではなく、「優秀なバイクドライバーがあらゆる距離をゼロにしてくれるモビリティーサービス」を中心に拡張したスーパーアプリだったのです。
さらに現地に行って分かったことは、多様なステークホルダーそれぞれのベネフィット設計が素晴らしいことです。フードデリバリーなどを考えれば、ステークホルダーは「ユーザー(サービスの利用者)」「ドライバー(食事を運ぶ人)」「マーチャント(商店を指し、この場合はレストランなど)」と、おおまかにこの3者がいます。
通常であれば、バイクドライバーはサービサー(事業者)の機能の一部になると思いますが、Gojekではそうではありません。ドライバーがどうすれば豊かになるか、彼らの生活を支援するには何が必要なのか、といったことを考え、ドライバー向けの金融サービスや福利厚生を充実させています。もちろん、ドライバーの質の向上がサービスの質の向上に直結するからですが、その結果、社会発展で爆増した中間所得者層の雇用や生活基盤を支えています。マーチャントに対しても同じで、もともと存在した個人商店が抱えていた社会的なペインポイント(課題)である「サプライチェーンの多層化や、マージンのブラックボックス化」を解決し、さらに金融支援やコミュニティーづくりを行っています。
「会社・社員」という閉じたコミュニティーだけを見ているのではなく、「地域に住んでいる人たちを豊かにする」という発想で取り組んでいるのです。つまり、「社会のこと」「人々のこと」を考え、そこに潜む社会ペインを解決するサービスになっているわけです。
これだけを聞くと、「公的なサービスのようだ」「たまたまそんな企業もあるんだ」と思うかもしれませんが、Gojekは公的なサービスではありませんし、それだけでなく、ライバルとの厳しいビジネス競争を勝ち抜いてきたのです。バイクタクシーはGojekだけが提供していたサービスではなく、同時期、同じようなサービスが乱立していました。他社はプロモーションでユーザーを集め、お金でドライバーを集めていたのだと思いますが、その結果、サービス品質の低下に直面し、誰も利用しないサービスになる中で、「ドライバーを豊かにする」という考えを持っていたGojekのサービスがインドネシアに根付くことができたのです。
お話しを聞いていると「エコシステム」という言葉をイメージしました。しかも、企業体のつながりだけでなく、社会まで含めた「エコシステム」をイメージしたのですが、そうしたイメージは合っていますか?
藤井氏:おっしゃっているイメージは分かります。そのイメージで合っていますが、そもそも今お話ししたことこそが「エコシステム」ではないでしょうか。おっしゃっている文脈のエコシステムは企業のアライアンスであって、エコシステムとは「サステナブルな生態系」という意味ですから、社会がそれで良くなって回る、つまり、社会が主語であるべき言葉だと思います。そういう観点では、本来の意味の「エコシステムを構築する時代」ということだと思います。
中国のアリババを訪問したときに教わったことですが、「Holistic Experience」(ホリスティックエクスペリエンス)という考え方があります。例えばEC(電子商取引)の場合、ユーザー、店を出す一般の店舗オーナー、大型の旗艦店を持つメジャーなブランド、荷物をユーザーに届ける配送員など、さまざまなステークホルダーがいます。それぞれのステークホルダーの満足度に大きなばらつきがありますが、ユーザーは10点満点だが配送員の満足度が2点という場合、そのエコシステムは「健康的な状態ではない」、全員等しく7点のほうがむしろ「健全なエコシステム」とする考え方です。
これは日本にも身近な例があります。コロナ禍で巣ごもり需要が増えたとき、ユーザーはオンラインで買い物ができて便利、EC企業も売り上げアップしましたが、荷物を運ぶ物流企業、そこで働く人がとても大変な思いをしている事態に直面しました。これはサステナブルではないので、エコシステムとは言えません。
日本にいち早く到来する「本来の意味のエコシステム」への転換
企業はまず自社の利益を考えますので、「本来の意味のエコシステム」の構築にはなかなか向かわないのではないでしょうか?
藤井氏:2つ指摘したいと思います。
1つめは、オンラインだけでイノベーションを起こすのはもはや難しく、オンラインとオフラインの接点でイノベーションが起きやすくなっています。つまり、イノベーションを起こすにはオフライン、つまり、リアルを一緒にというか、それらを含めて総体として考えないといけないということです。それはエコシステムを考えることと同じだと思います。
その場合、最初の方で言ったように、企業が独善的にベネフィットを追求していてはダメで、企業がリアル側のベネフィットのことを真剣に考えて提示していく必要があります。そうしないと乗ってきてくれない、自社がやりたいことを実現できない。イノベーションを起こすには本来の意味のエコシステムが必要なのです。
2つめは、日本の状況を考えれば理解しやすいのですが、若者人口が減って超高齢社会に向かっていて、作るものが足りない、生産効率を上げないと社会が回っていかないという時代が来ます。そうした状況に直面すると、社会に関わる全員が「みんなで協力しないと乗り切れないよね」と考えるようになるのではないでしょうか。
実際、それを支える技術的な進化も見られます。シェアのテクノロジーです。モノをたくさん作ってどんどん消費するのではなく、モノをたくさん作らなくても、シェアすることで利用効率を上げることで社会を回していく、そうした流れになってきていると思います。
2つめの話は日本を意識したことのように思えたのですが、ジャーニーシフトは日本に特化した指摘なのでしょうか?
藤井氏:ここまでお話ししたことはグローバルの潮流ですが、先ほどのシェアの話にあるように、世界の中で早く影響を受けるのは日本だと言えるでしょう。なので、ここで示したような「本来の意味のエコシステム」に進まないといけないタイミングは、世界の中で日本は相当早い段階で到来すると思います。
本来の意味のエコシステムを構築するとなると、主なプレーヤーは大企業に限られるのでしょうか?
藤井氏:話がやや「エコシステム」に寄ってしまいましたが、ジャーニーシフトで伝えたいことは、アフターデジタルを土台にした「企業の提供する価値の変化」です。具体的には、企業が独善的にベネフィットを追求する時代の終了であり、その大きな潮流には2種類あります。その一つが社会ペインを解決する「エコシステム」という方向です。
でも人々は社会ペインの解決だけを求めるわけではありません。潮流にはもう一つあり、それは「推し、好き、貢献」という言葉に表されるような、「自分らしい生き方」を求めるというものです。前者は大企業が主体になる可能性が高いと思いますが、後者は大企業よりもむしろ中堅・中小、スタートアップが主体になるのではないでしょうか。
この2つの潮流は「利便性」と「意味性」という言葉で示すことができます。社会ペインを解決するような潮流が「利便性」、自分らしい生き方を求めるのが「意味性」です。意味性もとても重要で、『ジャーニーシフト』ではページを割いてしっかり解説しています。
アフターデジタルでは「UX」が重要で、実践方法論として 『UXグロースモデル アフターデジタルを生き抜く実践方法論』 (日経BP)という本も出されています。ジャーニーシフトでもこの方法論は有効なのでしょうか?
藤井氏:『UXグロースモデル』という本で紹介した方法論がないとジャーニーシフトは生まれなかったと思います。つまり、ジャーニーシフトでもUXが重要なのは変わりませんし、「UXグロースモデル」という方法論は、むしろ「ジャーニーシフト」の方が相性はいいと感じています。例えばジャーニーシフトでは「顧客理解」とか「顧客提供価値」という言葉が多数登場しますが、それを実践しようとするとUXグロースモデルが役立ちます。
いろいろなお話しを聞かせていただき、ありがとうございます。個人的な感想になるのですが、アフターデジタルは「デジタル」を基点とした社会の変化にフォーカスしていましたが、ジャーニーシフトはもっと大きな潮流を捉えており、その潮流の一部に「デジタル」があるにすぎず、仮に「デジタルなんて関係ない」と思う人であっても、この社会に生きるすべての人に関係すること、その変化の中で企業はどうあるべきなのかをおっしゃっているように思いました。
藤井氏:そう理解していただけるとうれしいです。アフターデジタルのときより、みなさんに直接関係することをまとめたつもりです。企業の存在意義とは、社会や人々を支え、より良くすることにあると思います。これからは、そうした考え方がより強く求められる時代だと思います。そうした時代、あなたの会社は「何を提供しますか?」と問いかけているとも言えます。企業が社会への提供者として何をすべきなのか、それを考える指針として、『ジャーニーシフト』をご活用いただければと思っています。どうも、ありがとうございました。
[日経クロステック 2022年12月15日付の記事を転載]