有名なスポーツ選手の中には、本番前に独特の「儀式」や「ゲン担ぎ」をする人が少なくない。こうした「儀式」は、期待効果を生かす一つの方法だ。本番の緊張感や恐怖心は、理性だけでは制御できない。「儀式」を通じて、以前うまくいった時の感覚を再現することにより、最高のパフォーマンスを発揮できるかもしれない。プラセボ効果研究の第一人者、カリン・イエンセンの最新刊『 予測脳 Placebo Effect 最新科学が教える期待効果の力 』(中村冬美・翻訳)から一部抜粋して、スポーツに見る期待効果を解説する。

(第1回から読む)

試合に勝つため、パンツをはかずにテニスをする

 世界トップクラスのテニスプレーヤーが勝利のため懸命にトレーニングに励む姿を思い浮かべてほしい。テニスコートで最高の動きができるようにフォームが隅々まで分析され、最高のラケットが開発され、最高のパフォーマンスを発揮できるように考え抜かれた食事が提供される。選手には、勝者になるためのスタッフがそろっている。

 しかし、この世界的スターには、「パンツをはかずにテニスをする」という、勝利をつかむために実践している独自の約束事があった。これは1990年代にテニスの世界チャンピオンになったアンドレ・アガシの話だ。事の発端は、アガシが全仏オープンで決勝戦に進出したときのことだった。

 試合の直前、彼は短パンの下にはくパンツを忘れたことに気づき、下着なしで試合に出ることにした。アガシはこの試合を制して優勝し、それ以降はパンツをはかずにプレーするようになった。それは、正しい感覚、つまり勝利の感覚が消えてしまうのを恐れたためだ。

(写真:Shutterstock)
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理性だけで感情は制御できない

 アスリートにはゲン担ぎがつきものだ。決まった手順で水筒からドリンクを飲む、バスの中でいつも同じ席に座る、シーズン中は試合用のソックスを洗わない、試合前にひげを剃らない、試合の直前にちょっとした儀式をする、などだ。

 有名なトップ選手の独特な習慣や儀式は、世界中に知れ渡る。こうした儀式は試合前の心理的重圧を和らげ、優れたパフォーマンスを発揮する可能性を高めると考えられている。アスリートの立場からすれば、良い成績を残すには、ある一定の方法で考えたり動いたりしなければならない、という感覚だ。スポーツのパフォーマンスにおいて、心理学がいかに重要であるかを示す例の一つが、こうした知恵や思考だ。

 アスリートは勝負所で自分のパフォーマンスを存分に発揮できるように独特な儀式や習慣を用いて自身をコントロールする。汚いソックスや奇妙なしぐさはドーピングとは見なされないため、アスリートはやりたいように表現できる。

 効果がないことを分かっていながら、多くの人が大々的に宣伝されているサプリメントやジュース、スキンクリームを買うのと同じように、ほとんどのアスリートは自分の儀式が好成績に直接結びつかないことを理解しているだろう。けれども、理性と感情はそれぞれ別に動くので、スポーツの世界でもそれ以外でも、勝利のための儀式はなくならない。

 あなたは、米国のグランドキャニオンで、地上数百メートルの高さにあるガラスのつり橋(グランドキャニオン・スカイウオーク)の上を、観光客がおそるおそる渡っている写真を見たことがあるだろうか。この橋が決して壊れないことは誰でも分かっている。ただ、この橋の床面はガラス製なので透明であり、奈落の底の上に浮いているような感覚になる。心の奥深くにある本能的な恐怖や感情を理性で制御することはできない。

 観光客は叫びながら震える足でためらいがちに橋に近づいていく。橋の上に出たいような出たくないような思いで足を一歩踏み出した瞬間、興奮とパニックに襲われ、理性と感情の戦いが始まる。危険はないのに、身体が危険を訴えてくる。そのぶつかり合いが、奇妙な葛藤状態をつくり出す。

 もし、理性で感情を制御できるなら、橋の上に出て反対側まで21メートルを歩くことに何の問題もないだろう。同じ理由で、スポーツに儀式など必要ない。

自分をだますことはごく自然なことだ

 アスリートのゲン担ぎを理解できないと思っている人は、映画をどのように体験しているか思い出してみるといい。アスリートの儀式と同じように、映画や演劇には、ある意味で観客が自分をだましている面がある。誰でも映画の中の出来事はすべてフィクションだと分かっている。

 スタントのシーンがどのように撮影されているか、その舞台裏を見たことがある人もいるだろう。それでも、サスペンス・アクション映画『ボーン・アイデンティティー』で激しいカーチェイスを繰り広げているマット・デイモンを見ると、手に汗を握って興奮してしまう。また、古典的な悲劇の名シーンを見ると、ストーリー展開はよく知っていても、熱い涙がこみ上げ嗚咽(おえつ)が漏れてくる。

 自分が映画館にいて、周りの観客が皆、手に発汗計を握っている様子を想像してほしい。すべてフィクションだと全員知っているが、それでも映画が引き起こす興奮や恐怖などの感情を味わうと、身体の自律神経系は強力に反応する。発汗計のゲージは、きっと振り切れているだろう。

 次に映画を見て感情を揺さぶられたら、自分をだますことは人間らしくごく自然なことだということを思い出してほしい。

アスリートにプラセボを与えたら効果はあるか?

 もしアスリートにプラセボを与えて、それがパフォーマンスを向上させる薬だと伝えたら、効果はあるのだろうか。効果があるとしたら、それはドーピングに分類されるのか。

 スポーツの場合、プラセボがパフォーマンスに良い影響を与えることを裏づけるエビデンスがある。ホテルの客室作業員を対象にした調査では、「清掃作業はその運動量の高さから健康増進につながる」と事前にレクチャーして期待を高めたところ、レクチャーをしていない作業員よりも実際に健康状態が改善した。だが、この例とは異なり、期待を高める情報だけでなく、薬物などを摂取することでスポーツの能力が高まることが分かっている。

 スポーツのパフォーマンスを向上させる薬には、錠剤や注射、ドリンク剤などがある。その効果をプラセボと比較して評価する研究があり、プラセボに対するアスリートの反応はある程度は分かっている。最近では、アナボリック・ステロイド(筋肉増強作用のあるステロイド剤の総称)、炭水化物、カフェインだと称して、アスリートにプラセボを与えた研究例がいくつかある。

 もちろんアスリートが筋肉増強剤など能力をアップさせる薬物を使用することは禁止されている。ここで述べるのは有効成分を何も含まないプラセボであり、それならドーピングにはならない。

 興味深い例として、英国の研究チームが自転車競技の選手を対象にプラセボ効果を調べた研究がある。

やり方次第ではスポーツでもプラセボ効果が期待できる

 まず、地域の自転車クラブがサイクリストたちを招待し、カフェインが自転車競技の能力を高めるという説得力のある情報を伝えた。カフェインの効果を裏づける学術論文や、一流選手たちがカフェインを摂取後、成績が上がった事例などが詳細に紹介された。

 その後、自転車型トレーニングマシンを限界までこいでもらい、体力、最大酸素摂取量、心拍数、血中乳酸濃度を測定した。この結果は、自転車をこぐ能力と持久力の客観的指標となった。

 実験では、カフェインを摂取した場合としない場合の両方で、距離10キロメートルを全速力でこいでもらった。カフェインはカプセルの形で中容量と高容量の2種類が用意されていたと、少なくとも選手たちはそう思っていたはずだ。実際、カプセルの中身はプラセボだった。

 実験結果によると、プラセボ効果は高容量のほうが大きかったが、効果はそれほど大きくなく、高容量は3パーセント増、低容量は1パーセント増だった。プラセボ効果があったことを統計的に示すことはできたが、その効果自体は小さかった。

 問題は、10分間の運動で生じた3パーセントの能力の違いが、長時間のレースを走るサイクリストにとって違いをもたらせるかどうかだ。

 この実験でプラセボ効果があまり出なかった一因は、被験者のサイクリストに対して、プラセボか2種類の容量のカフェイン(実際にはプラセボ)のいずれかが投与されると伝えたからではないだろうか。つまり、飲んだものが本物のカフェインかどうかを疑っている状態だったことを意味する。もし、被験者に「全員にカフェインを与える」と伝えていたら、効果はもっと大きくなった可能性がある。

 また、被験者たちはカフェインにそれほど期待していなかったのかもしれない。結局のところ、カフェインはコーヒーに入っているのと同じ成分だ。もっと効き目の強い成分の薬、例えばアンフェタミンだと伝えていたら結果は違っていたかもしれない。

(第3回に続く)

人は無意識のうちに、自分がしようとしていることに「期待(マイナスの期待のときもある)」を持ち、それがメンタル面だけでなく、身体機能にも影響を及ぼします。この期待効果(医学の世界では「プラセボ効果」)を理解することで、仕事も人生もより豊かになります。運動も薬も「効く」と思って実践した方が、絶対にお得な理由を本書で明らかにします。

カリン・イエンセン(著)、中村冬美(訳)、日経BP、1870円(税込み)