生成AIの影響により、今、マーケティング部門は自らの存在意義を問い直す必要がある。執筆者の一人として、新著『ザ・マーケティング・イシュー 10年後も必要とされる日本企業の課題と解決策』でこの課題を指摘したのが、積水ハウス イノベーション&コミュニケーションCMO兼CDDOの木田浩理氏だ。これからのマーケティング部門は、事業全体のボトルネックを的確に捉え、組織を動かして利益を創出する“戦略家”としての価値を磨き上げていくべきだという。その具体的な在り方と、個々のマーケターがどう取り組むべきかについて聞いた。[日経クロストレンド 2026年5月12日付の記事を転載]

木田浩理氏
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木田 浩理(きだ ひろまさ)氏
積水ハウス イノベーション&コミュニケーション
CMO(最高マーケティング責任者)兼CDDO(最高データ&デジタル責任者)

慶應義塾大学 修士(政策・メディア)。NTT東日本、日本IBM、アマゾンジャパンなどにおいて、営業、マーケティング、データサイエンス領域に従事し、大手損害保険会社CMO、一般社団法人金融データ活用推進協会理事、データサイエンティスト協会理事などを歴任。一般社団法人日本エビデンスベーストマーケティング研究機構 代表理事、上智大学大学院応用データサイエンス学位プログラム非常勤講師

各社のAI対応が見落としていること

多くの企業が「生成AI(人工知能)への対応」を掲げており、マーケティング部門でも取り組みは進んでいるように見えますが、その点について木田さんは本書の中でさらに踏み込み、強い問題意識を表されています。どのような点に危機感を持っていらっしゃるのでしょうか。

木田浩理氏(以下、木田) 現在の生成AIを取り巻く状況に対する感覚は、2010年代後半のDX(デジタルトランスフォーメーション)ブームのときに抱いていたものとよく似ています。多くの会社がAIを業務効率化の文脈で捉えていますが、AIの本質はそこではありません。今必要なのは、マーケティング部門の仕事のうち、何がAIに代替され、何が人間に残るのかを整理することです。しかし、それをやり切れていないケースも多く見られます。

 さらに深刻なのが、AIの導入そのものが目的化しているケースです。かつてのデジタル化においても、どの意思決定の質を上げるのか、どの事業成果につなげるのかを明確にしないままRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)などのツールを導入し、結局使われなくなることがありました。AIでも同じことが起きかねません。

 マーケティングの仕事に引きつけて言えば、CPA(顧客獲得単価)やPV(ページビュー)の最適化はAIが得意な領域です。AIによって個別施策の実行や改善のコストが下がるほど、人間の価値は、施策を回すことそのものではなく、何を目的に、どの指標を、どの順番で最適化するのかを設計することに移っていきます。

 もちろん、AIは目的設定の壁打ちや仮説出しを支援できます。しかし、「何を最大化すべきか」を最終的に決め、その責任を負うのは人間と組織です。ここが曖昧なままAIを使うと、最適化のスピードが上がる分、誤った指標に向かって一気に進んでしまう。CPAが下がりPVが増えているにもかかわらず、利益やLTV(顧客生涯価値)が毀損される、という局所最適の罠(わな)にはまり込むリスクが高まっていきます。

 だからこそマーケティング部門は、単に施策を実行する作業部門ではなく、事業戦略とマーケティング施策を接続し、他部門のペイン(痛み)を解消しながら利益を創出していく部門へと、自らの役割をアップデートすることが求められるのではないか。『ザ・マーケティング・イシュー』では、そうした提案をさせていただきました。

マーケティング部門の再定義を進めている会社では、どのような動きが見られるのでしょうか。

木田 これまで専門人材が担っていた戦術領域をAIが代替することを前提に、マーケティング部門を「全体をつなぐ部署」として再設計しています。具体的には、広告、CRM(顧客情報管理)、SNS、コンテンツといった専門的な分担を減らして、ファネル全体を再統合する流れがあります。営業に同行する、カスタマーサポートをモニタリングするといった活動を通じて、現場の摩擦を解消する動きも見られます。

DXは業務プロセスを、AIは個人の思考プロセスを変えた

生成AIによって、木田さんご自身の仕事の仕方はどのように変わりましたか。

木田 知的生産そのものが変わりました。正直、2025年以前の世界には戻れません。

 DXは業務プロセスのデジタル化が中心でしたが、AIは個人の思考プロセスを補完してくれる「思考の増幅器」のような存在です。情報収集、比較、仮説立て、生成、初期分析まで、一瞬で終わるわけです。マーケティングリサーチも、初期仮説ならDeep Researchですぐ手に入ります。ログ分析も、以前は仮説を基に細かなログを見てグラフを作っていましたが、今はAIにログを入れれば結果が出てきます。短時間で成果を出したり、複数の仕事を並行して進められたりするようになったことで、私自身の生産性は体感で“10倍以上”になりました。

 その結果、仕事の重心は、準備から問いの設計、意思決定、組織を動かすことの3つに集約されつつあります。プレゼンの準備一つ取っても、これまで何時間もかかっていた作成作業がAIにより圧縮されました。その分、オーディエンスにどう説明し、いかに共感してもらうかを考える比重が高くなっています。

変化を強く実感されているからこそ、マーケティング部門の再定義が必要だと訴えているのですね。

木田 はい。マーケティング部門も、そこにいるマーケターも、変化に適応していく必要があります。

 これまでのマーケティング部門は「他部門と対立構造を生みやすい」といわれることがありました。「営業活動がうまくいかないのはマーケのせいだ」といった指摘を受けやすいのです。その背景には、マーケティング施策の意図や効果が社内にうまく伝わっていないミスコミュニケーションがあります。部門内のマーケター自身も、特定の専門領域で施策を実行する「I型人材」が多く、事業全体への貢献を自分の言葉で説明できない。この状況は変えなければいけません。

 専門領域の施策の実行が価値だった時代は終わります。マーケターは他部門と連携して、お客さまの声によって得たデータの結果を踏まえ、お客さまの価値に変えていく人として、自分たちの仕事を再定義しなければならない。それができない人は厳しいと思います。戦術的な実行だけにとどまっていると、AIに任せたほうがアウトプットの質もスピードも上がる、という判断が下りかねません。だからこそ、マーケター自身が事業理解、顧客理解、部門間の翻訳力を高めていく必要があります。

作業者は減り、翻訳人材は増える

マーケティング部門や業務の再定義が行われたとき、そこで必要とされるマーケターの人数は今よりも減っていくのでしょうか。

木田 従来型の作業者としての人数は減る可能性が高いと思います。これまで人手で担っていた作業部分、戦術実行の一部は、AIで代替・補完できる領域が広がっているからです。ただし、AIの出力結果を他部門や経営の言葉で説明し、全体最適を考えながら実行に移していく「翻訳人材」は、逆に増えると見ています。AIが出した答えを、営業が動ける言葉、経営が判断できる言葉、顧客価値につながる言葉に変換する人材です。減る人材と増える人材が違うということです。

 単純にマーケターはいらない、1人か2人でいい、といった話ではありません。それでは施策が回りません。現場の理解を得ながら回すことが必要なので、大規模な組織であればあるほど、いろいろな場面で翻訳する人、物事を動かす人が必要です。

アップデートされたマーケティング部門の在り方と、企業の既存の論理や業務プロセスは、簡単にはかみ合いません。アップデートを進めていく上で、何が重要になりますか。

木田 おっしゃる通りで、理想論だけでは進まないと思います。これは特定の企業に限った話ではなく、多くの日本企業で共通して見られる課題です。旧来の指標に合わせて仕事をしてきた方々にとって、それは単なるKPI(重要業績評価指標)ではなく、自分たちの仕事の正しさやアイデンティティーにも関わります。頭ごなしに否定してしまうと、正論であっても反発が生まれるでしょう。

 だから「CPAやPVだけ見ていてはダメです」と正面からぶつけるのではなく、それが商談化率や継続率にどうつながるのかを、丁寧に翻訳して伝えていく必要があります。戦術的な指標を事業指標にどう接続して見せるかを説明しなければなりません。

 他部門との向き合い方も同じで、地道な積み重ねが必要です。多くの企業では、営業、CS(カスタマーサポート)、開発など、それぞれの部門に固有の課題やペインがあります。その原因を一つずつ明らかにし、それを経営の言葉に変えて返す。現場の改善をAIで支え、それを経営指標へ翻訳し、橋渡しする。一足飛びには進みません。

 具体的には、各部門のペインを見つけて、それをマーケティングの手法で具体的に解決を支援することが必要です。例えば営業部門であれば、「リードの質が低い」「商談化しにくい」「顧客の検討理由が見えない」といったペインがあります。そこに対して、顧客データや問い合わせ履歴、商談ログを分析し、優先すべき顧客や訴求すべき価値を明らかにする。そうすると「マーケティングは役に立つ」と認識され、初めてコミュニケーションが生まれていきます。「ブランディングだけをやっていればいい」「広告を運用していればいい」ではなく、いろいろな部署に眠っている課題を見つけて、掘り下げていく姿勢がマーケターには大切です。

木田氏
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DXに積極的でなかった企業が、AIエージェントで先行することも

マーケティング部門におけるAI活用について、注目している動きはありますか。

木田 ここ数カ月で、AIエージェントの使い方が顕著な差を生むようになっています。最初は壁打ち、要約、資料作成、初期分析といった使い方から始まりますが、進んでいる会社では、AIエージェントを業務フロー全体に組み込み始めています。

 例えばお客さまからの問い合わせ履歴や閲覧行動をAIエージェントが統合して、次にどの提案を優先するかまで判断する、といった動きです。カスタマーサポートにおいても、問い合わせ内容や利用状況から離反の予兆をAIエージェントが捉え、対応の優先順位付けや担当者への引き継ぎを支援する。そうなると、人間は最終判断とお客さま対応に集中できるようになります。その一方で、AIをいまだ「壁打ちツール」としてのみ活用している企業もあります。

 興味深いのが、AIエージェントの導入で先行する企業が、必ずしも従来からデジタルに強い企業とは限らないことです。AIエージェントは、既存システムを大きくつくり替えなくても、業務フローの一部に組み込める場合があります。業務の型や判断基準が整理され、必要なデータやログが残っている企業であれば、これまでDXに大きな投資をしてこなかったとしても、一気に業務高度化が進む可能性があります。その意味では、AIエージェントはリープフロッグ現象(※)を生む技術の一つと言えるかもしれません。

※リープフロッグ現象:一足飛びに進歩や進化が起こること。発展途上国の技術発展などで見られる。

DXにおいてはDX推進部のような共通組織をつくるケースが多かったですが、AI活用も同じように、AI推進部のような横串組織が主導しているのでしょうか。それとも、マーケティング部門の内部で活用が進んでいるのでしょうか。

木田 企業によって異なると思いますが、少なくともマーケティング領域では、部門の中から取り組みが始まっているケースが多いように見えます。DXのときと比べて、AIは使いこなすためのハードルが低く、現場レベルで「まずは試してみよう」という感覚で進められるからです。中央集権で全部を握るというより、各部門がAIを導入できる土台を整えてあげて、トップがガバナンスを効かせれば、あとは自律的に動いていくと思います。

 だからこそ、企業のカルチャーがAI活用の成否に強く影響します。知的好奇心が歓迎される企業や、失敗を過度に責めず、心理的安全性が担保された企業ほど、活用は速く進みます。逆に、前例がないことに対してすぐ抑制がかかる組織では、広がりにくいでしょう。

AI環境が整っていない企業で今できること

「社内のAI利用に制限があり、新しい技術をなかなか試せない」というマーケターの声もあります。そうした環境で、今から着手できることはありますか。

木田 そういった相談を非常に多くいただきます。先んじて、土台の準備をしておくことをおすすめします。

 まずはマーケティングの仕事をファネル全体や事業全体の流れで捉え直すことが大事です。その上で、営業、CS、財務ときちんと対話しているか。顧客課題と利益構造が結び付いているか。そうした理解が現場に浸透しているか。施策ごとに、仮説、実行内容、結果、学びのログが残っているか。こうした理解や記録が現場に浸透しているか。この土台がないと、AIを導入しても、個別施策だけが最適化され、局所最適のサイロ化に陥ってしまいます。何を最適化すべきかを定義できる状況を整えることが、現実的な第一歩だと思います。

 また、AI活用において差を生むポイントは、AIの操作そのものではなく、基礎力です。先ほど申し上げたように、AIは思考の代替ではなく、「思考の増幅器」です。自分の思考がそのまま広がるだけなので、入力の質が出力の質を決めます。AI以前の基礎力が、そのまま拡大されるだけです。

 だからこそ基礎力が大切です。特に差が出るのは、問題を設定する力、構造を可視化する力、業務文脈の理解、そして判断力です。問題設定の力がある人は、AIに何を聞くべきかを設定できるので、AIを探索の相棒にすることができます。構造を可視化する力がある人は、AIの出力をちゃんと評価できるので、それをどう自分の仕事にフィットさせるかを考えられます。

 業務文脈の理解がある人は、自社のお客さまや置かれている競争環境がイメージできているので、問いを立てたり、AIの出力を実行に移したりできます。そして判断力がある人は、AIの出力結果に違和感を持ち、誤りに気付くことができます。

 逆に基礎力が十分でないままAIを使うと、問いが抽象的になり、誤りに気付きにくくなります。顧客理解が浅い状態でAIにペルソナをつくらせても、どこかで見たような一般論にとどまりやすい。AIを前提とした土台の整備には一定の時間がかかるので、今すぐに進めるべきだと思います。

木田氏
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(写真/村田和聡)

日本のマーケティング界で活躍するエキスパート11人が、実務の最前線で避けては通れない「重大な課題(イシュー)」を明らかにし、その解決策を提示する。編著者は日本マーケティング学会の元会長で、ブランディングの研究の第一人者でもある中央大学名誉教授・東京大学講師の田中洋氏。

田中洋 編著/日経BP/3850円(税込み)