「選択は生き物の本能である」。コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授は、著者『 選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 』(櫻井祐子訳/文春文庫)でこう述べています。この名著を、清水勝彦・慶応義塾大学大学院経営管理研究科教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

選択、偶然、運命の「三元連立方程式」

 「わたしたちは選択を行い、そして選択が私たちを形作る。…選択の全貌を明らかにすることはできないが、だからこそ選択には力が、神秘が、そして並はずれた美しさが備わっているのだ」

 本書を締めくくるこの言葉は、著者シーナ・アイエンガー教授の思いが込められています。コロンビア大学でアシスタントプロフェッサーで採用され、テニュア(終身在職権)を獲得できるのは少数です。盲目でありながら、いや盲目であったからこそ選択、偶然、運命の「三元連立方程式」という大きな課題に取り組めたのでしょう。

 第1章では「選択は生き物の本能である」ことが例示されます。外敵の危険がないはずの動物園にいる動物の方が、野生の動物よりも寿命が短いとか、ストレスも多いが裁量も大きい社長の方が労働者よりも寿命が長いといったことです。映画を見る日を自分で「選択」してもらうだけで、老人ホームの入居者が元気になることもそうです。

 大切なのは状況をコントロール「できるかどうか」ではなく、「できると思うかどうか」です。

 選択とは状況が生み出すものではなく、意志が生み出すものなのです。規律が厳しい宗教を信じる人ほど逆境により楽観的に向き合い、鬱(うつ)病の比率も低いといいます。つまり制約があるかどうかと、選択できると前向きに捉えるかは別なのです。「Control your destiny, or someone will(運命は自分でコントロールしなければ、誰かに翻弄されてしまう)」とジャック・ウェルチに教え込んだ母親は偉大だったのです。

 「選択」の認識は、人や文化によっても異なります。この点に触れているのは、教授が結婚相手を自ら選べないインド人でありながら、自己責任を追及されるアメリカで仕事をしてきたことと無縁ではありません。

 国や組織文化の影響を知らずして「社員の自主性」を声高に叫んでも空回りするばかりです。

「選択は生き物の本能である」という(写真/Shutterstock)
「選択は生き物の本能である」という(写真/Shutterstock)
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「文化」が違えば「選択」も違う

 第2章ではアメリカなどの個人主義的文化の国と日本やアジアの集団主義的文化の「選択」への影響をかなりのページを割いて議論しています。

 欧米では個人の意志の大切さを子供のときから徹底的にたたき込まれ、アジアの多くの国では社会的義務の大切さを教え込まれます。その結果、例えば「人生で決めたいこと」というアンケートをすると、アメリカ人は日本人の4倍もあるし、「前日に何を選択したか」という質問でも、アメリカ人は日本人の1.5倍の項目があげられるという結果が示されます。アメリカ人は「歯を磨く、アラームを止めるボタンを押すといったことまで、『選択』としてリストアップしていた」からです。

 また、金融などで企業の不祥事が起きると、アメリカのマスコミは個人的行動をあげるのに対し、日本のマスコミは制度的要因、例えば経営による監督不行き届きをあげることが多いという研究も示されています。

 繰り返しになりますが、大切なのは、文化が違えば単純に「自分で選択するからよい」ということにはならないことです。確かに、アメリカでは自分で選択できるようにした方がモチベーションも上がり、良い結果が出ることが多いのですが、アジアでは全く逆になることがあるとアイエンガー教授は指摘します。

 パズルとそのために使うマーカーの色を誰が選ぶかという実験では、アジア系アメリカ人小学生は「母親が決めてくれる」ことが最も良い結果を生み出すといいます。権限委譲こそが動機付けの原則と考え、従業員が自ら考えることを求めたアメリカ企業は、「なぜ上司が、管理するという自分の仕事を部下に押し付けるのだろうと、いぶかしく思った」アジア人従業員の反応に、方針を改めざるを得なくなった事例も示されます。

「自主性」の本当の意味

 日本企業でも、「自主性」「自分で考える」ことが大切で「指示待ち」は悪であると、最近とみに言われることが多いと思いますが、こうしたことを考えると、私たちは本当に「日本人」「日本文化」をわかってそう言っているのではなく、単純に「アメリカではそうだから」やっているのではないかと思わざるを得ません。

 元産業再生機構にいた知人によれば、「権限委譲と言って、自分は何もしないし責任も取らない上司が多すぎる」そうです。同じようなことが「マニュアル」についても言えるのではないでしょうか。自分が選択できることがいろいろあると思っているアメリカ人にとってのマニュアルの意味と、日本人が感じるマニュアルとはまた違うはずです。

 最近「物事をきっちりこなすマネジャーよりも、大胆な発想をして人を引っ張るリーダーが大事だ」的な発言も時々耳にしますが、これも日本という「文化」を考えると、まずきっちりと現場を押さえることが日本の強みであるわけで、それを軽視したリーダーシップ待望論は、一時的には盛り上がっても、長い目で見ると間違った方向に進むのではないかと思われてなりません。

 最近特にそう思うのは、慶応ビジネススクール(MBA)を受験しにくる若い人、特に大学を卒業したての人たちが、「会社に入ると視野が狭くなる」というようなことを平気で言うことを何度も聞くようになったからです。何しろ自由、何でもありが良いと思っているのではないかと心配です。

 「守破離」という言葉で言われるように、あるいは「型破り」であるには、そもそも型がなくては破れないように、自分の足元をしっかり見つめ、制約あるいは運命を認識した上で、「選択」を前向きに考えることが必要なのだと思います。

 制約のないところに創造は生まれません。そして、繰り返しになりますが、制約と選択への意志、つまり「できると思うかどうか」はゼロサムではないのです。逆に言えば、ほかの人が「できない」と思ったときに、「できる」と思って取り組めたとき、自分ならではの付加価値が生まれるのです。

『選択の科学』の名言
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