多くの人は、「他人との共通点は見つけたいが、まねはしたくない」。コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授は、著者『 選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 』(櫻井祐子訳/文春文庫)でこう述べます。この名著を、清水勝彦・慶応義塾大学大学院経営管理研究科教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。

「多数派」と言われると自尊心が傷つく

 人には多くの違いがあり、共通点もあります。アイエンガー教授は次の3つを使えば、知らない人の性格診断もできると半ば冗談で指摘します。

(1)人は自分が思うほど他人と違わない
(2)人が持っている自己像や理想像は、だいたい同じ
(3)誰もが自分は個性的だと思い込んでいる

 「あなたは人一倍努力家ですね。認められないことも多いですが、頑張ってますね」と言われれば、大体の人は満足げにうなずくのです。

 多くの人は何かを選ぶとき、自分が「多数派」と言われると自尊心が傷つくとされています。日ごろから、個性的な自分をわかってもらいたいと思っているからです。

 アメリカ人に「あなたは周りの人とどれくらい似たところがありますか」と聞くと「それほどない」と大多数が答えるのに対し、「周りの人たちは、あなたとどれくらい似たところがありますか」と尋ねるとほとんどが「かなりある」と答えるというのです。

 面白いのは、個性的でありたいけれど、行き過ぎは嫌だと感じている点です。「一番心地よく感じるのは、ちょうど良い位置につけているとき、つまりその他大勢と区別されるほどにはユニークでいて、しかし特殊過ぎない集団に属しているときだ」ということです。

 言い換えると「他人との共通点は見つけたいが、まねはしたくない」のです。ビールの無料試飲実験では、客がカードに自分の欲しい物を書いて注文した場合と、一人一人が口々に注文した場合を比べました。後者がずっと重複が少なくなります。しかし、試飲後の満足度ではカードに書いた客の方が口々に頼んだ客よりも高かったのです。

 ある企業の社内アンケートでは「自分は危機感を感じているけれど他の人は感じていない」というポイントが異様に高いことがありました。「希望」と「現実」、「自分の目」と「他人の目」は違うものです。

「他人にどう見られているか」

 「他人との共通点は見つけたいが、まねっこはしたくない」という気持ちの根底にあるのは、私たち人間は「他人にどう見られているか」を非常に気にする生き物であるということです。

 一時期はやった(しかし、ドーピング問題で今や完全に過去の人になった)自転車のランス・アームストロング選手のがん撲滅運動に関わるリストバンドの実験があります。

 アメリカの大学では寮によってずいぶんカラーが違います(昔「アニマル・ハウス」という映画がありました)。複数の寮の学生にリストバンドを売り込んだ後、「オタク系」と言われる寮の学生にも売り込んだら、他の寮生がどのように反応するかという実験です。

 オタク系の寮生がリストバンドをつけ始めると、そこから遠く離れた寮に住む学生でやめたのは6%だったのに対し、近くの寮生の32%がやめてしまいました。リストバンドに対し自分たちがどう考えているかではなく、リストバンドをつけているとほかの人々にどう思われるかを気にした結果です。

 多くの企業が導入を始めている360度評価(上司からだけでなく、同僚、部下からの評価をしてもらう制度)は、様々なポジションの「他人」にどう見られているかを通じて「希望」と「現実」に大きなギャップがあることを見える化するいい手段です。実際の処遇に結びつけるか、それとも自己の振り返りの参考だけにとどめるかはともかく、アメリカではフォーチュン500の90%以上が何らかの形で取り入れているといわれています。

 コロンビア大学のビジネススクールでも新入MBA生に実施しているのですが(残念ながら慶応ビジネススクールではまだです)、毎年「9割以上の学生が、自他の著しい認識ギャップを知る」のだそうです。例えば「自分は人望があって、チームの重要な一員と考えていた学生の多くが、実際には凡庸か、一緒に働きにくい相手とみられていた」というようなことです。さらに言えば、長所にしろ短所にしろ、人によって大きく認識が違うことを知って学生たちは驚くのです。

 そう考えてみると、私たちは「他人によく見られたい」と強く思いながら、現実的には「他人にどう見られているか」をあまり知らないということがわかります。そのほうが、精神衛生上いいのだ…ということもあるのでしょうが、自分を高めていくという点から言えば、現実をよく知る必要があります。

人間は「他人にどう見られているか」を非常に気にする生き物(写真/Shutterstock)
人間は「他人にどう見られているか」を非常に気にする生き物(写真/Shutterstock)
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 東京オリンピック招致に成功したのも、「自分がいいと思うプレゼンテーション」「日本流プレゼンテーション」ではなく、「他人にわかってもらえるプレゼンテーション」「外国人に日本のよさをわかってもらえるプレゼンテーション」ができたからではないでしょうか。GEのジェフ・イメルト元最高経営責任者(CEO)の口ぐせのひとつに“self-awareness” というのがあるのもうなずけます。後のGEの凋落を見ると、実は彼はあまり “self-awareness” ができていなかったというのは皮肉です。

 アイエンガー教授は、こうした現状をふまえ、次の3つのアドバイスで締めくくっています。

(1)自分がそれほど立派に思われていないことがわかったなら、他人から見られたい自分像にあわせて、自分の行動を変えればよい。
(2)気をつけなくてはいけないのは、自分を実際よりよく見せたいという誘惑に屈しないことだ。
(3)様々な決定を通して彫像を彫り、削ることが自分自身をつくる。私たちは選択の結果だけでなく、選択の進化を通して自分探しをする彫刻家なのだ。

戦略やビジョンを共有できているか

 企業の幹部研修などを行うと、戦略やビジョンがあるとか、ないとかいう話が必ず出てきます。だいたい、ミドル、あるいはそれ以下の人々は「当社にはビジョンがない」「トップが何を考えているのかよくわからない」と言いますし、経営トップは「自分たちがこれだけ一生懸命やっているのに社員は自分の目の前のことしか見ていない」「危機感が足りない」なんていう話になります。結局、大切なのは戦略でもビジョンでも「あるか、ないか」ではなく「共有されているか、されていないか」です。

 稚拙な戦略でも、それが共有化され全社一丸となったとき、大きな成果が上がりますし、素晴らしい戦略が絵に描いた餅に終わるのはそれが共有化されていないときです。日本企業の経営者、中堅幹部の多くは「他人にどう見られているか」をもっと気にしたほうがいいように思います。

 一部のイエスマンあるいは「声の大きい人」が言うことと、「社員の多数」が感じていることは必ずしも同じではありません。そして、さらに言えば多数の声、例えば社内アンケート結果にある「会社のビジョンがわかっている」「やりがいがある」「自分の力を発揮できている」という点についても、数字が大きい、小さいというだけでなく、どんな気持ちで、どんなことを思い浮かべながら5とか1とか(多くの社員は3かもしれませんが)をつけているのかを、もっと時間を使って共有してみたらいいと思うのです。

 それは「面倒」なことですが、リーダーの大切な仕事は面倒なことばかりです。

『選択の科学』の名言
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