「本当に良い選択とは、限られた選択肢であったり、他人に任せたりすることかもしれない」。コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の名著『 選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 』(櫻井祐子訳/文春文庫)を、清水勝彦・慶応義塾大学大学院経営管理研究科教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。
買い物客とジャムの研究
アイエンガー教授の仕事で最も有名なのが「買い物客とジャムの研究」です。店頭で6種類のジャムをそろえたときは買い物客の40%が試食に立ち寄ったのですが、24種類のときは60%に上がりました。
しかし、6種類のときは試食した客の30%がジャムを買ったのに対し(つまり全体の12%)、24種類だと試食客で買ったのは3%にすぎなかったのです(全体の1.8%)。多くの品ぞろえは客を引き付けるが、いざ「選択」というときに、迷って決められない状況も作ります。頭で考えると「選択肢の多さはより良い選択」となりそうですが、それは思い込みなのです。せっかくいろいろなレストランのオプションを用意したのに彼女(彼)が決められないのも、優柔不断だからだけではないかもしれません。
本書では一歩進んで「負の選択肢」から1つを選ぶ局面についても触れています。早産で障害を持ち、死亡確率40%、生存確率60%(ただし生存できても植物状態)の赤ちゃんに延命治療を続けるか死なせてあげるかという「選択」です。もちろん正しい答えはありません。まさに「ソフィーの選択」です。どうしたらよいでしょうか?
アメリカでは親が決めなくてはならないのに対し、フランスでは親の異議申し立てがない限り医師が決めることが通例です。その後を見ると、フランスの親は自らも医師も責めないのに対し、アメリカの親は罪悪感を引きずっていることが報告されています。
すべて自分が選択することが「理想的」かもしれませんが、感情の生き物である人間はそれによって大きな苦痛を味わうこともあるのです。現実を直視したとき、本当に良い選択とは、限られた選択肢であったり、他人に任せたりすることかもしれないのです。「自分で決めなくてはならない」という思い込みから離れることで、自分にも他人にも随分優しくなれるのではないでしょうか。
「選択肢を多く持ちたい」ことの問題点
連載第3回「 『選択の科学』 意志の力は有限、ではどうするか? 」でも、情報収集が必ずしも選択後の満足度のアップにつながらないという研究結果に触れましたが、選択肢の多さがかえって買い物客を混乱させてしまう現実を考えてみると、コンビニや小規模スーパーには商品ごとにブランドがせいぜい2〜3しかないのは大変合理的であることがわかります。
そうしたお店は「バラエティを楽しむ」場所ではなく、「買う」場所だからです。逆に、集客を優先しているのはデパートだとか、ドン・キホーテ、あるいは各地の「ラーメン横丁」でしょう。食べ物屋さんの場合は、おなかがすいており「食べずに帰る」というオプションは少ないので、集客に注力することは意味がありそうです。
また、一方で私たちは「選択肢を多く持ちたい」と無意識に思い、そのために時間やエネルギーを浪費してしまうことがあることもわかっています。アイエンガー教授は「選択肢の『質』よりも、選択肢が存在するという『状況』を重んじるあまり、好ましくない決定をしてしまうことがある」と指摘しています。家電製品を買うと必ずすすめられる「保険」はその1つの例でしょう(一般に、この保険は家電製品本体よりもはるかに利益率の高い商品になっているといわれます)。
ぐっとくだけた別の「負の選択肢」の例では、学生が4種類のまずいヨーグルトを食べる実験があります。「同じようにまずい」のですが、自分で4種類から選んだ学生よりも、指定されたものを食べた学生のほうが、より多く食べ、しかも推定価格も高くつけています(ちなみに、「おいしいヨーグルト4種類」の実験もあり、その場合は反対の結果が出ています)。
責任、罪悪感を持ってしまうために評価がより低くなるのです。こうした責任は、政府や企業においても「間違った投資をしたということをうすうすわかりながらも、投資を続けてしまう(例えばダム建設、プラズマTV)」現象、エスカレーションオブコミットメントの一因ともなっています。つまり、誰か別の人に決めてもらったほうがよい場合、あるいは決めた人とは別の人がその選択を評価したほうがよい場合もあるのです。
リーダーの意志力にもキャパシティがあることに触れました。人格が変わったり、逃避したり、最悪の場合自殺したりということは、キャパシティを超えたために起こることが多いのでしょう。その前に「選択をゆだねることを選択する」ことができれば、ずいぶんと違っていたと思います。これは個人ではもちろんそうですし、また「自前主義」を堅持しながら業績を悪化させる企業にとっても言えることではないでしょうか。
アートとしての選択の本質
アイエンガー教授はギリシャの叙事詩「オデュッセイア」を引きながら、古代ギリシャの時代から「わかっちゃいるけどやめられない」人間の意志薄弱な性向は知られていたと指摘します。そんなときに、「自分の意志で難しい選択を他人にゆだねることができる」ことの大切さを強調しているのです。
「選ぶべきか、選ばざるべきか」という問いにどう答えようと、選択を行うのがあなただということに変わりはない。でも選択を行うからといって、必ずしも辛い思いをする必要はないのだ」と。
最後になりますが、本書の英語の原題は「The Art of Choosing」つまり「選択という芸術」です。日本語のタイトルとは正反対です。おそらく日本では「選択」「決断」というと「胆力」とか「意志力」という言葉、根性論が先行してしまいがちなので「科学」の側面を強調したのでしょう。逆に、アメリカでは「合理的」「情報収集」が大切だという思い込みがあると思います。
連載第1回「 『選択の科学』 本能と意志の力が生む神秘 」で触れたように、人生は選択の連続ですが、「選択と偶然と運命の三元連立方程式」に、さらに「感情」を加えたとき、「ただ1つの正しい解」は見つかりそうもありません。「だからこそ選択には力が、神秘が、そして並はずれた美しさが備わっているのだ」とアイエンガー教授は言うのです。
「良い選択をすることは大切だが、行った選択をよいものにしていくことはもっと大切だ」と言われることがあります。私たちにできることは、現実をまずそのまま受け入れること(例えば「他人にどう見られたいか」と同じくらい「どう見られているか」を正しく知るようにすること)、そしてどんな現実においても「選択できる」という意志を失わないこと、そして選択を重ねながら自分を磨いていくことではないでしょうか。
ポーターら巨匠の代表作から、近年ベストセラーになった注目作まで、戦略論やマーケティングに関して必ず押さえておくべき名著の内容を、第一線の経営学者やコンサルタントが独自の事例分析を交えながら読み解きます。
日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2640円(税込み)