意志力にはキャパシティーがあり、あることに使うと別のことに使えなくなるといわれています。では、どうすればいいのでしょうか。コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の名著『 選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 』(櫻井祐子訳/文春文庫)を、清水勝彦・慶応義塾大学大学院経営管理研究科教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。
「マシュマロテスト」の教訓
「三つ子の魂百まで」ということわざを証明した「マシュマロテスト」という実験があります。おいしそうなマシュマロを見せ、「おじさんが戻るまで我慢できればもう1つあげる。もし我慢できなかったらベルを鳴らしなさい」という設定で、4歳児がどんな行動をとるか見たものです。ベルを鳴らすのを待てた時間は平均3分でした。
最後(15分)まで我慢できた子供(全体の約3割)らを追跡調査すると、長じて困難により積極的に立ち向かい、社会的地位も高いという結果が出ています。選択をつかさどる意志の力は人間の人生を左右するのです。
ただし、とアイエンガー教授は付け加えます。無駄なことを一切しない、ぜいたくもしないでは、人生面白くも何ともない。「適正なバランス」が大切なのですと。
誘惑から逃れるには、意志力を付けるのはもちろんですが、意志力は有限です。意志力にはキャパシティーがあり、あることに使うと別のことに使えなくなるといわれています。難しい仕事をした後、お酒を飲んだり、甘いものを食べたりするのは、科学的に正しい行いです。頑張らないことも必要なのです。
ですから、マシュマロを見ないようにするといった「誘惑の対象から気をそらす」ことも大切です。それは経験則や習慣などを通じて身につけることができます。一方、経験則が逆にバイアスとなることも教授は指摘します。「 名著を読む『予想どおりに不合理』 」でも触れましたが、第一印象や思い込みによって無意識に選んでしまうようなことです。
実はこの問題は弁護士など「専門家」に多く、ウソを見抜ける確率は素人とほとんど変わらないのだそうです。その理由は判断した結果の正否についてフィードバックを受けないこと、そして自信過剰です。失敗の多くは「できる」と思っていたときに起きるのはそのためです。
「無意識のバイアス」が影響
人間は無意識のバイアスに影響される生き物です。特に「言葉(のニュアンス)」「ブランド」あるいは「イメージ」は、実体よりもはるかに「選択」に大きな影響を与えます。例えば、口紅でほとんど違わない2色があるとすると、それぞれの色に名前が与えられた途端、どちらかがいいという人がはっきり分かれます。
ミネラルウオーターと水道水を目隠しで飲んでもらうと75%の人が水道水をおいしいと言うとか、全く同じワインを5ドルから90ドルまで5つの値札をつけて試飲してもらうと、値札をつける前の評価はほとんど変わらなかったのに、値札がつくと高いものほどおいしいと評価されるという実験結果も、悔しいけれど納得しないわけにはいきません。
昔、アメリカでピザハットがパスタを展開しようとし、ニューヨークの高級イタリアンレストランで顧客にそうと知らせず食べてもらい、顧客が口々に「すばらしい」「最高」と言っているコマーシャルがありました。まさに同じことです。ただ、おそらくこのコマーシャルは「そんなことみんな知っているけど、それを言ったらおしまい」で、あっという間に姿を消し、また「すばらしい」「最高」と評価を受けたはずのパスタが大ヒットしたという話も聞きません。
バイアスを克服し、より合理的な選択、意思決定をするためには情報収集・分析が欠かせない…となりそうですが、これもまた問題があります。大学新卒者の就職活動に関わる実験によると、しっかりと情報を集め、いろいろな人にも相談し、様々な選択肢を検討した学生は、確かに内定通知の数も平均年収も高い仕事についていました。しかし、仕事に対する満足度は低かったのです。「本当に正しい選択をしたのか確信が持てない」ことが理由でした。
もう1つ挙げられているのは自宅に飾るポスターを選ぶ実験です。モネ、ゴッホ、そして動物。最初はほとんどの人がモネ、ゴッホを選んだのですが、選んだ理由を説明してもらうようにすると動物を選ぶ人が増えました。説明しやすいからです。しかし、そうして動物のポスターを選んだ人々の75%は後悔するようになったといいます。
感情があるのが人間です。理性で説明できないことを「おかしい」と決めつけたり、気持ちよりも理屈の方が上なのだと思い込んだりしてしまうと、その結果は好きでもないことを自分に言い聞かせて無理やり続ける羽目になるか、悔やんでも悔やみきれなくなるか、その両方かになります。
さらに感情の面を深掘りすれば、男性が同じ女性を評価する場合、揺れるつり橋を渡っているときに女性を見た場合とそうでない場合は前者の方がより引かれるというデータも出ています。脳が何らかの高揚感(この場合は恐怖)とそれ以外の感情(この場合は引かれる気持ち)を混同するからです。
この結果から、初めてのデートでは遊園地に行ってジェットコースターに乗る(あるいはお化け屋敷に行く)のがいいという示唆が得られます。映画『スピード』では、サンドラ・ブロックがキアヌ・リーブスに対して「危機的な状況で結ばれた二人は長続きしない」とか言いながらハッピーエンドで終わっていますが、おそらくその後別れたのではないでしょうか。
「忘れる」ことの問題と価値
こうした感情を飼いならし、学習していけばよりよい選択ができそうですが、それもまた難しいのが現実です。感情は長く続きません。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」と言いますが、その示唆は「父親を殺される」ほどの恨みや屈辱も、「薪(まき)の上で寝る」「肝をなめる」ことなしには忘れてしまうかもしれないということなのです。過去の感情に関しては、辛いことを忘れたり、自分に都合よく記憶したりしてしまうことが多いのです。しかし、だからこそ人間はやっていけるのだとアイエンガー教授はいうのです。
先述の通り、意志の力が有限である以上、すべてのことに意志力を使うことはできませんし、またそうしようとすればパンクしてしまいます。そうならないよう、人間には「忘れる力」が備わっているのです。ただし、その「忘れる力」もバイアスにつながることもあります。また、組織で考えた場合、「臭いものにふたをする」という形で発揮されることもよくあります。
そう考えてみると、私たちが「選択」の力をあげる1つの方法は、何でもかんでもよい選択をしようとすることではなく、「絶対はずしてはいけない選択」とは何かを常に頭に入れ、逆に優先順位の低いものは忘れていいくらいのつもりで対応することと言えないでしょうか。
優先順位をつけるというのは、「10個テーマがあったら、1から10まで順位をつけることではありません」とアイエンガー教授は別のところで言っています。「1から10まで順位を付けたら、3番以下は忘れること」なのだそうです。
ポーターら巨匠の代表作から、近年ベストセラーになった注目作まで、戦略論やマーケティングに関して必ず押さえておくべき名著の内容を、第一線の経営学者やコンサルタントが独自の事例分析を交えながら読み解きます。
日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2640円(税込み)