産業ロボットのスタートアップ、Mujin共同創業者の滝野一征(いっせい)がユニクロに売り込んでいた物流倉庫の無人化システム。そのプレゼンをきっかけに事態は急展開、滝野は柳井正と孫正義という2大起業家の間で板挟みになる……。ノンフィクション『ユニクロ』(杉本貴司著)より抜粋・再構成。見えてきたのは、柳井正が後輩起業家たちに伝えたかった熱い思いだった。(文中敬称略)

「なぜ会社を売ってしまうんですか」

 「このチャンスを逃しちゃいけない」

 産業ロボットのスタートアップ、Mujin最高経営責任者(CEO)の滝野一征には心中期するものがあった。パートナーで人工知能(AI)などの研究者であるデアンコウ・ロセンの研究成果をもとに開発した物流倉庫を無人化するシステムをユニクロに売り込もうとしてきたが、なかなか話が進まない。

 この日はある企業経営者の仲介でユニクロの総帥である柳井正に直接プレゼンするチャンスが舞い込んできた。2018年秋のことだ。

 滝野の持ち時間は30分。中国企業に自社のシステムを導入した実績を、ビデオを交えながら滝野が説明し始めて5分ほどが過ぎると柳井が突然、話をさえぎってきた。

 「滝野さん、君はせっかくここまで会社を育ててきたのに、なぜ売ってしまうんですか」

 突然、なんの話かと思ったが、滝野には心当たりがあった。実はこの時、ソフトバンクグループが運営する巨大ファンドからの出資を受け入れることがほぼ決まっていたのだ。どうやら柳井はそのことを知っているようだった。

 「それで、いくら株を売るんですか」

 「既存株主の譲渡分も含めて4割です」

 それを聞くと、柳井は間髪入れずに問い詰めてきた。

 「だいたい、君は株の大事さというのを理解しているんですか」

 敬語の丁寧な口調だが、ぶっきらぼうな物言いには独特の迫力が漂う。柳井はこう吐き捨てた。

 「そんなの、ダメだろ」

 滝野が会社の成長にはどうしても必要な資金だと柳井に説明すると、思わぬ言葉が返ってきた。

 「じゃ、同じ金額を僕が貸すというなら、どうしますか。出資じゃなく融資です」

 柳井は株は取らずに個人で資金を提供するという。滝野には柳井の真意がつかめない。

 「あの……、何百億という話なんですが」

 ざっと300億円ほどになるはずだが、柳井は「そんなことは分かっていますよ」とつっけんどんに返した。確かに、300億円など柳井にとってはポケットマネーに過ぎないのかもしれない。

 気づけば30分がとっくに過ぎてしまい、この日は結論が出ないまま。滝野がキツネにつままれたような感覚でいると、それからしばらくして携帯が鳴った。柳井の秘書からだ。「柳井がお会いしたいと申しています」

柳井と孫による「人生で一番きつい質問」

 再び柳井のもとを訪れた滝野。そこにはなんと、ソフトバンク創業者の孫正義の姿もあった。

 「で、君の気持ちはどうなの」

 孫がこう問いかけてきた。滝野はこの時、日本を代表する2人の起業家の間に立たされて、「どっちを取るんだ」と問われているようなものだ。滝野は後に「あれは人生で一番きつい質問でした」と振り返る。意を決して二人の巨頭にこう切り出した。

 「正直に言って、柳井さんからいただいたオファーはすごくうれしいです。でも先に僕らのことを見つけて高いバリュエーションで認めてくれたのは孫さんでした。それなのに後からもっと良いオファーをいただいたからといって柳井さんに『お願いします』というのは違うと思います」

 一呼吸おいて、滝野が言葉をつなげた。

 「正直に言います。それはないです。僕は孫さんの側です」

 これでもう一生、柳井とは縁が切れたと覚悟した。だが、目の前の二人の様子はやや違って見えた。起業家として究極の選択を迫られているという思いだった滝野は気づかなかったのだが、どうやら二人の間ではすでに話がついているようだった。その証拠に、孫が滝野にこう告げた。

 「投資家としては残念だけどね。でも、僕も『駆け出しの頃にこんな話があったらなぁ』と思うよ。だから一個人としては認めることができるから」

 つまり、孫がMujinへの出資から手を引いて柳井個人による融資に同意したということだ。この言葉を聞いて全身の力が抜けていくのが分かった。

 こうして滝野は柳井からの資金を受け、独自開発したシステムをユニクロが建設した有明倉庫などに導入していった。この一件が飛躍のもととなってMujinは米小売り大手などから相次ぎ受注を獲得し、評価額は1000億円を突破した。一躍注目のスタートアップの仲間入りを果たしたのだった。

起業家に問う志

 ただ、滝野にはいまいち理解できないことがあった。なぜ柳井は個人で融資してくれたのか。

 もちろんMujinが持つ自動化技術を、柳井が掲げる「情報製造小売業」への転換のために握っておきたいという意図はあるのだろう。だが、それだけなら会社としてMujinに出資する方が良いはずだ。滝野に代わってその意図を柳井に聞くと、こう返ってきた。

 「彼の起業家としての精神にほれ込んだということですよ。滝野君には技術者で終わってもらいたくなかった。彼には情熱がある。(同社の製品を導入した証しである)『Mujinインサイド』を世界に広める理想がある。だから『おまえ、そんなことでいいのか』ということですよ」

ユニクロ・有明の物流倉庫には、自動化技術がふんだんに盛り込まれている(写真提供:ファーストリテイリング)
ユニクロ・有明の物流倉庫には、自動化技術がふんだんに盛り込まれている(写真提供:ファーストリテイリング)
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 柳井は常々、日本の若手起業家たちに対して苦言を呈してきた。

 「もっと志を高く持ってもらわないと。なぜ世界に目を向けない。なぜヒントを探しに行かない。ちょっと成功したら(会社を売却して)“引退興行”なのか。それでいいのか」

 滝野に対しても同じ歯がゆさを感じたのだという。ただ、これだけでは柳井の意図をすべて説明したことにはならないだろう。柳井の真意を理解するためには、まだ無名だった頃の出来事を振り返る必要がある。

「上場できなかったら潰れる」

 1991年9月、山口県宇部市の商店街の隣に建つ通称「ペンシルビル」。4階にある執務机の周りに社員を集めると、柳井は唐突に宣言した。

 「社名を小郡商事からファーストリテイリングに変えます」

 そこには柳井が父から継いだ家族経営の紳士服店を「企業」へと変身させるという狙いが込められていた。

 続けて柳井は「これから毎年30店を出します」と切り出した。当時の小郡商事が運営するユニクロの店舗数はフランチャイズを含めても23店。その規模を上回る数の店を毎年、上乗せしていくというのだ。面と向かって反論する社員はいない。だが、これは危険な賭けといえた。

 ユニクロのような衣料品店には日々現金が入ってくる一方で、商品の仕入れ代金は原則、3カ月の手形で払う。その時間差の間にしっかりと売り上げが立つうちは問題はない。だが身の丈を超える店舗展開が裏目に出て成長が止まれば巨額の借金が残り、最悪の場合は手形が不渡りとなる。つまり、立ち止まればそこで終わり。出口はたった一つ。上場でまとまった資金を得ることだ。

 「上場できなかったら潰れる。そういう瀬戸際に、僕は自らを追い込んだんです」

 柳井はこう振り返る。時はバブル崩壊による平成不況の足音が日本中を覆い始めた時期と重なる。宇部のような地方の商店街にはより色濃くその影響が見え始めていた。するとメインバンクである広島銀行の宇部支店長が綱渡りの計画を掲げる柳井に対して、融資の継続に難色を示し始めた。

激怒した支店長、キレる柳井

 柳井の側にも落ち度があった。融資を受けるために柳井家が運営するゴルフ練習場の土地を担保に差し出したのだが、隣地の所有者との境界線があいまいなままだった。さっさと境界を画定しろという支店長に対して、なぜ個人の資産まで担保に取るのかと異論を唱える柳井。それに「銀行マンならユニクロの成長性をちゃんと評価してくれてもいいじゃないか」というのが柳井側の主張だった。

 支店長は「ルールはルールだ」の一点張り。2人の主張が平行線をたどったある日、柳井を支え続けた番頭格の浦利治が支店長に呼び出された。支店長は浦を前に、「俺がなんで怒っているのか分かるか。おまえたちは銀行の仕事というものをまったく理解していないからだ」とぶち切れた。

 ペンシルビルに戻った浦から報告を受けると、今度は柳井がキレた。おもむろにこんなことを書き始めた。原文のまま一部省略して紹介する。

 「弊社は貴行の子会社でも系列会社でもありません。担当者を呼びつけての子供呼ばわり、貴支店への出入禁止等の言動は今後控えていただくよう希望致します」

 メインバンクの窓口役である支店長に宛てたとは思えない文面からは、柳井の激しい怒りが伝わってくる。こうして広銀宇部支店との関係は決裂してしまった。結論から言えば1994年に広島証券取引所に上場し、柳井が後に「薄氷を踏む思いだった」と振り返る資金繰りから解放されることになった。

 やや回想が長くなったが、この当時の柳井には広島銀行に頼るほか選択肢がなかった。今ならベンチャーキャピタル(VC)のもとに駆け込んだことだろう。だが、そうなると個人の財産を担保に銀行から融資を受けるのとは違う問題が生じる。柳井が起業家にとって命と考える株を、VCに預けることになる。

 「だから今になってあれで良かったと思うんですよ」と、柳井は振り返る。株を握られると「自分が思うような経営ができなくなる」と考えるからだ。担保主義を採る従来型の銀行にもVCにも短所があると考えるからこそ、滝野に個人で資金を提供したのだ。

 多くの起業家は資金繰りを巡って肝を冷やすような事態を経験するものだろう。かつての柳井もそうだった。だが、最も大事なことはなぜ起業の道を選び、世界にどんなインパクトを残すことができるかだ。それを忘れてはならない。柳井が若き起業家に問うたのは、そんな覚悟だった。

ユニクロ
これぞ決定版。迫真のノンフィクション! 「ユニクロ」という金の鉱脈をつかむまでの暗黒時代。製造小売業(SPA)への挑戦。東京進出とフリースブームの到来。苦戦する海外展開。ブラック企業批判――柳井正と同志たちの長き戦いをリアルに描く。

杉本貴司著/日本経済新聞出版/2090円(税込み)