「私たちの性格や考え方、趣味嗜好は、育った環境や出会った人によって規定されています。それぞれの『違い』を理解することがビジネスのコミュニケーションにも役立ちます」。東京カメラ部社長の塚崎秀雄さんが選ぶ、仕事に役立つ本。5回目は、『NHKテキスト100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』です。

「人の違い」社会学的に考察

 仕事でさまざまな人に出会っていると、中には話がまったくかみ合わなかったり、意味不明なことを言われたり、「嫌われているのかな」と疑いたくなったりすることがあります。あるいは私も、相手からそう思われていることがあるかもしれません。

 こうした人間関係のズレはなぜ生じるのか。お互いに嫌な気分にはなりたくないはずなのに、なぜ分かり合えないことがあるのか。その答えを教えてくれるのが、フランスの社会学者ピエール・ブルデューの『ディスタンクシオン』です。

 あらかじめ告白しておきますが、原著は本人があえて難解に書いているそうで、したがって翻訳書も難解。しかも電子化もされていないため文字を大きくすることもできず、途中で代替方法を探しました。代わりにお薦めしたいのが、 『NHKテキスト 100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』(岸政彦著/NHK出版) です。難解な内容を、極めて簡潔・明快に読み解いた解説書です。

ブルデューの思想を気軽に学べる『NHKテキスト 100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』
ブルデューの思想を気軽に学べる『NHKテキスト 100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン』

 そもそも「ディスタンクシオン」とは、フランス語で「区別」という意味です。自分が自分である理由は何か、人と自分はなぜ違うのかを、社会学的に解明しようという内容です。

 私たち個々人の性格や考え方、趣味嗜好は、それぞれ独自に確立したのではなく、これまで育ってきた環境や出会ってきた人によって規定されてきたというのが根本的な考え方。人間は環境の蓄積物であるということで、この概念を「ハビトゥス」と呼んでいます。

 例えば、クラシック音楽を聴くのが好きな人がいたとします。その人はたまたま好きになったわけではなく、好きになる環境の中で育ってきたと考えるわけです。その影響を受けて、「クラシックが好きな自分になりたい」という思いに駆られていると。もちろんジャズでも、その他の趣味嗜好でも同様です。

 私は仕事で写真を扱っていますが、確かに1枚の写真でも見方に差があります。本書の中でも事例として挙げられていますが、仮に老人の手を写した作品があったとすると、もともと写真やアート作品に高い関心を持ってきた人なら「素晴らしい」とか「深みがある」といった感想を持ちます。しかし、そういう素養のない人が見たら「汚い手だね」で終わる。この差は、それぞれが過去に何を見聞きしてきたか、その環境の違いによって生まれるということです。

映画の好みが分かれる理由

 だとすれば、これは人間関係を考える上で重要なヒントになると思います。映画で考えれば分かりやすいのですが、私たちはたいてい好きな作品をいくつか挙げることができるでしょう。『ディスタンクシオン』の考えに従うなら、それは単純に「好き」なのではなく、その世界観が自分の育ってきた環境と似ているとか、こういう自分になりたいと思い描いてきた理想像を主人公が具現化しているとか、何か自分の人生と重なり合う部分があるということです。

 映画というのは、人によって好みがかなり分かれます。自分が大好きな作品をボロクソにけなす人もいる。その話を聞いて無性に腹が立った経験は、誰でも少なからずあるでしょう。それは映画批評を超えて、自分の人生まで否定されたような気がするからです。

 しかし考えてみれば、もともとよほど仲が悪い場合を除き、そんなはずはありません。その作品が嫌いな人は、生きてきた環境と世界観が合わなかったというだけの話です。逆にその人が好きな映画を自分が見たら、ボロクソに批判したくなるかもしれません。ではそのとき、その人の人生や人格まで否定するつもりかといえば、そんな気はさらさらないでしょう。

 その代わりにお互いがやっていることは、自分の「ハビトゥス」の主張です。その映画を好きまたは嫌いな自分が好きというアピールであり、そういう人生を歩んできたというある種の自己肯定タイムなわけです。

 そう差し引いて考えると、たとえどんなに好きな映画や音楽を目の前で全否定されたとしても、許せてしまう気がしてこないでしょうか。また、相手の人生に敬意を表して、相手の好きな作品の酷評は避けようという気にもなります。

「ビジネスのコミュニケーションに役立つ本です」と語る塚崎秀雄さん
「ビジネスのコミュニケーションに役立つ本です」と語る塚崎秀雄さん

 そしてもう一つ、趣味嗜好の合う相手と出会うことがどれほど貴重かも分かります。それは、似たような境遇で生まれ育ったことを意味するから。その分、一気に距離が縮まる気がするはずです。ビジネスコミュニケーション上のノウハウとして、よく「互いの共通点を見つけましょう」と言いますが、突き詰めればそれは「ハビトゥス」の接点を見つけることだったわけです。

相手の「ハビトゥス」に着目する

 人とどう接すればいいのか、合わない人とどう付き合えばいいのか。それには相手の表面だけではなく、その「ハビトゥス」に着目することが第一歩。そうすれば寛容になれるし、自分自身の気持ちを落ち着かせることにもなる。こういうブルデューの考え方は、非常に役立つはずです。

 ちなみに、テレビ番組「100分de名著」は私にとって“神”です。難解ながら有用な古典を極めて分かりやすく、しかも現代人に当てはめて読み解いてくれるので。中学や高校の授業で全部見せた方がいいとさえ思います。あるいは、私自身を筆頭に基礎教養の足りなさを実感している大人の方もぜひ。

取材・文/島田栄昭 写真/塚崎秀雄さん提供(人)、スタジオキャスパー(本)