「そうなんだよなぁ、危なっかしいなぁと、非常に身につまされながら読みました」。東京カメラ部社長、塚崎秀雄さんが選ぶ仕事に役立つ本。4回目は『ゲンロン戦記』。批評家、哲学者として知られる東浩紀さんが、「株式会社ゲンロン」の経営者として悪戦苦闘するさまを描いた本。創業者は会社を自分色に染め過ぎてはいけないこと、経営の肝は細部に宿ることなどが書かれており、著者の実体験に共感できると言います。

「ゲンロン」の悪戦苦闘を描く

 これから会社を立ち上げたいと思っている方、もしくは会社でバックオフィス的な仕事に従事されている方にぜひお薦めしたいのが、 『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』(東浩紀著/中公新書ラクレ) です。批評家として知られる東浩紀さんが、約10年前に「ゲンロン」という会社をゼロから立ち上げてから今日に至るまでの記録です。世事にまみれて悪戦苦闘する姿が克明に描写されているので、ある種の“私小説”のようでもあります。私も経営者の1人として、「そうなんだよなぁ」とか「危なっかしいなぁ」とか、非常に身近に感じながら読みました。

 ポイントは大きく3つ。1つ目は、創業者は会社を自分の色に染めたくなるということです。気の合う仲間を集め、構想を実現したいという思いがある。東さんも「ゲンロンそのものが僕の哲学の表現」と述べたり、退職する若い社員から「ゲンロンで働いていて楽しかったことはなかったですね」と言われて大変な屈辱を感じたと述べたりしていますが、会社であれ事業であれ、創業者にとっては生き写し的な存在に映るものです。

「新たな知的空間」の構築を目指し苦闘するさまが描かれる『ゲンロン戦記』
「新たな知的空間」の構築を目指し苦闘するさまが描かれる『ゲンロン戦記』
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 でも、会社というのは、自分と似た人を集めてはいけないんです。経営を軌道に乗せるには、むしろ自分とは違うタイプの人を集める必要がある。結局、会社をつくるということは、自分のための箱ではなく、自分とは別の箱を単体でつくっていく行為です。その過程では、いろいろ不愉快な選択も迫られます。東さんがそれに直面しながら学んでいく姿は、私自身の日常と重なります。

経営の肝は細部に宿る

 2つ目は、経営の肝は細部に宿るということ。東さんは経理を軽んじていました。出版やイベント企画が事業の根幹だから、そこに専念すればいいと考えていたのでしょう。しかしそのために、何度も足をすくわれます。ここも逆で、まず経理や総務などの足場をがっちり固めるからこそ根幹の事業に注力できるし、また新しいことにチャレンジできるわけです。

 私は東京証券取引所時代に不正取引捜査を経験したことで、経理や総務の重要性を痛感していたので、会社の経理は税理士の先生と私自身が担当し、監査は私の元上司でもある東京証券取引所の元常務取締役の長友英資さんにお願いしています。東京カメラ部ほどの事業規模(資本金約1億3000万円、社員数20名)になると、トップが経理を兼任するケースは少ないと思います。実際、非常に面倒臭い。でも私がやっていると、社員も「経費精算なども大事な仕事なんだ」と認識してくれるし、おろそかにしません。口先で「大事だからやっとけ」と言うだけでは、大事さは伝わらないんです。

 また、東さんも自ら経理の仕事をせざるを得なかったようですが、その過程で「紙」の重要性に気付いたとのこと。これも実感を込めて同意したいです。昨今は契約書や領収書をすべてデジタルデータにすればいいという風潮があります。一見すると合理的なようですが、実は違う。効率化は進めていくべきですが、全部デジタルデータ化しては危ないものがあることを忘れてはいけません。人間は目の前に書類の山が積み上がっていると、処理しなきゃいけないという気になる。ところが、デジタルデータ化すると見えなくなるので、放置してしまう。結局、人間は物理世界に生きているので、五感に訴えかけるものが最も強いのです。

コミュニケーションはリアルが大事

 そして3つ目、コミュニケーションはリアルが大事ということです。例えば数人で飲みに行ったら、場が割れてそれぞれ別の話題で盛り上がったり、話す相手が変わったり、また一緒になったり等々、カオスになることがよくあります。東さんはそれを「誤配」と呼び、そういう一種のミスコミュニケーションからこそ新しい発想が生まれると説いています。私もその通りだと思います。

 ところが今は、すっかりオンラインのコミュニケーションが定着しました。私の会社は、コロナ禍以前からリモートワークを導入していましたので、その部分ではかなり進んでいると思います。そして、コロナ禍でさらに進めました。しかし、その結果、新しい発想が生まれにくくなっている気がします。

 コロナ禍によって社内で雑談をする機会が減っていることが原因の1つ。ならばと、数人でオンライン飲み会のようなものをやってみると、必ず誰か1人の独壇場になる。複数が同時に発言するとたちまち聞き取りにくくなるので、1人が話し始めると他の人は遠慮して黙ります。だから議論になりにくく、「誤配」も起きにくいのです。

 リアルの重要さは、より大きな規模でも実感しています。東京カメラ部は、オンラインでの写真コミュニティーを運営しています。毎日4万作品の写真を投稿していただき、そのなかから7枚を紹介し、540万人以上の方がファンになってくださっています。閲覧された方の延べ人数はざっと11億人(2021年実績値)です。多分、この数値は国内で運営する写真コミュニティーとしては最大でしょう。では、この数がオンラインで集まっているから十分かというと、そうではありません。

 コロナ禍前まで、私たちは年に1回、渋谷ヒカリエの大きなスペースを借りてリアルの写真展を開いてきました。来場される方は4日間で3万2000人ほど。国内で開催する写真展としては最大規模だとは思いますが、オンラインでリーチできる人数とは4桁違います。一方で、コストは都内に家を1軒建てられるほどかかります。いくらスポンサーを集めたところで赤字はまったく埋まりません。オンラインに比べれば、壮大に無駄な事業に見えると思います。

「リアルのイベントで『誤配』を誘発させたい」と話す塚崎秀雄さん
「リアルのイベントで『誤配』を誘発させたい」と話す塚崎秀雄さん
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 しかし、“濃度”がまったく違います。来場されるのは、基本的にカメラや写真に興味があるという、ある程度似た趣向がある方々。だから会場でさまざまな出会いがあります。特に作品が展示された方は、これを機に全国どこへ行ってもカメラ仲間がいる状態になるそうです。また、出版社や広告代理店、カメラメーカーの方も多数来場されるので、ここでの出会いや、そこで生まれる「誤配」がビジネスチャンスにつながる場合もあります。

 あるいは、たまたま通りがかりに作品を見て、自分も撮ってみたい、ここに展示されたいと思う方もいます。こういう「誤配」を誘発したいから、私たちはこの無駄な事業を続けてきたわけです。

 こうした私たちの取り組みと同じ考えの方がいらっしゃったと確認できたことも含め、『ゲンロン戦記』にはすごく共感できました。経営者のみならず、組織の一員として細部の仕事に携わっている方にとっても、大変元気づけられる本だと思います。

取材・文/島田栄昭 写真/塚崎秀雄さん提供(人)、スタジオキャスパー(本)