最も成果が出せるチームの絶対条件として、「心理的安全性」が注目されている。帝京大学ラグビー部でも、脱体育会を目指して「心理的安全性」を高めた結果、組織は活性化し、大学選手権9連覇の原動力になった。たが、そこには大きな落とし穴があった。心理的安全性を正しく機能させるには、何が必要なのか? 2022年1月、V10を果たした帝京大学ラグビー部前監督の岩出雅之氏の著書 『逆境を楽しむ力 心の琴線にアプローチする岩出式「人の心を動かす心理術」の極意』 から、一部抜粋して紹介する。

岩出雅之前監督は帝京大学ラグビーを常勝集団に育てあげ、ラグビー大学選手権V10達成後、勇退した(写真提供:帝京大学ラグビー部)
岩出雅之前監督は帝京大学ラグビーを常勝集団に育てあげ、ラグビー大学選手権V10達成後、勇退した(写真提供:帝京大学ラグビー部)
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 私が監督を務めていた帝京大学ラグビー部は2009年度から2017年度まで、ラグビー大学日本一を決める大学選手権で9連覇を達成しました。しかし、2018年度に連覇が途切れ、そこから2020年度まで日本一から遠ざかりました。

(『逆境を楽しむ力』16ページに掲載)
(『逆境を楽しむ力』16ページに掲載)
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 大学日本一から陥落した最大の原因は、組織の構造やマネジメント、文化のほころびにあったと私は考えています。優勝から遠ざかった3年間は、その原因を突き止め、改善することに費やしました。

 まずは、王座陥落の原因を振り返ってみたいと思います。

心理的安全性の落とし穴

 今、「心理的安全性」を高めようという動きがビジネス界を中心に広まりつつあります。

 心理的安全性が確保されていれば、チームメンバー全員が、頭に浮かんだアイデアや意見を臆することなく表明でき、互いの気分を敏感に察知し、個人的な話や感情まで共有することができます。一方、心理的安全性が低いと、他のメンバーに対する感受性が低く、メンバーは個人的な行動を取り続け、他のメンバーの活動や悩みに無関心で、結果として成果が上がりません。

 私は2010年くらいから、4年生を頂点にした体育会のピラミッド構造を逆転させることで、心理的余裕を生み出そうとしてきました。

 その要点を言うと、それまで部内の雑用を一手に引き受けていたのは1年生でしたが、その雑用を心理的に比較的余裕のある4年生に移していったのです。入部したての1年生は、大学に入学して生活環境が激変(実家から寮生活に変わるなど)するのに加えて、高校ラグビーと大学ラグビーの競技レベルや体格の差に衝撃を受け、心理的な余裕があまりないことがよくあります。彼らへの負担を減らすことで、勉強やラグビー部の活動により打ち込めるようになるはずと思い、下級生の雑用を毎年少しずつ上級生に移していき、「逆ピラミッド化」を5年くらいかけて進めていきました。その違いを図にするとこのようになります。

(『逆境を楽しむ力』21ページに掲載)
(『逆境を楽しむ力』21ページに掲載)
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 「逆ピラミッド化」がほぼ完成したなと自分で思ったのは、ラグビー大学選手権6連覇を達成した後の2015年ごろです。

 ピラミッド構造をひっくり返すことは、組織の活性化などに大きな効果があり、それがのちの9連覇達成の原動力の一つになったことは間違いありません。心理的安全性が広く知られるきっかけになったのは、ニューヨーク・タイムズによるグーグルの「プロジェクト・アリストテレス」に関する2016年2月の報道でした。ちょうど同じころ、私たちも「心理的安全性」の効果を実感していたわけです。

 ところが、ここに思いもよらない落とし穴があったのです。

「仲良しグループ」化で成長が止まる

 組織活性化のために心理的安全性は不可欠な要素ですが、心理的安全性があればそれだけで十分かというと、それは大きな間違いです。

 心理的安全性の研究の第一人者であるハーバードビジネススクールのエイミー・エドモンドソン教授は『恐れのない組織』(野澤智子訳、英知出版)の中で、「心理的安全性は、目標達成基準を下げることではない。野心的な目標を設定し、その目標に向かって協働するのに有益」と述べています。つまり、「心理的安全性」と「野心的目標」の両方が必要で、どちらが欠けても機能しないのです。

 心理的安全性と責任がともに低い組織は、メンバーが無気力になります。職場は、形式的で非効率かつ融通の利かない状態になりがちです。心理的安全性が低く責任が高い組織は、メンバーが不安に襲われる。旧来の体育会組織はここに当てはまります。

 一方、心理的安全性は高いが責任は低い組織は、自由放任で居心地はいいけれど、だらしのない感じの空気が広がり、メンバーの成長への意欲も低い。理想的なのは、心理的安全性と責任がともに高い場合です。メンバーそれぞれがリーダーシップを発揮し、日々学び、助け合いながら高い目標に向かって進んでいきます。

 帝京大学ラグビー部では、「逆ピラミッド化」を進めてきた結果、心理的安全性を高めることはできましたが、実は、下級生におけるメンバー一人ひとりの目標達成への責任を高める改革が伴っていなかったため、この図の「快適」ゾーン、つまり「仲良しグループ」に陥っていたのです。

(『逆境を楽しむ力』23ページに掲載)
(『逆境を楽しむ力』23ページに掲載)
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「逆ピラミッド化」の誤算が露呈

 それになかなか気づけなかったのには、理由があります。

 「逆ピラミッド化」は1年生の雑用を少しずつ4年生に移していくことで何年もかけて徐々に進めていきました。そのため、2015年に「逆ピラミッド化」がほぼ完成するまでは、程度に差はありますが、1年生でも、4年生でも雑用をしています。そして、2016年の新入生の代から、雑用の負担をほぼなくしました。これが失敗だったと考えています。

 「脱・体育会」の試みは今でも正しいと確信しています。「逆ピラミッド化」も方向性としては間違っていない。ただ、少しやりすぎてしまったのです。

 新たに入部した1年生は、自分たちで雑用をした経験がないので、その大変さがよくわかりません。そのため、4年生や3年生が雑用をしてくれても、「感謝」や「尊敬」の気持ちが芽生えにくい。おそらく高校時代までは、身の回りの世話は、その学生の母親がやってくれることが多かったはずです。その母親役が上級生に代わっただけ、という認識の子が多かったのではないでしょうか。時間的にも心理的にも余裕ができた分、1年生にはやるべきこと(自分づくりと勉強)に全力で取り組む努力義務が暗黙のうちに課されるわけですが、その意識が当事者には希薄だったのかもしれません。

 逆ピラミッド化の誤算はまだあります。

 大学スポーツ(特にチームスポーツ)は、4年生がチームの柱になります。下級生にどんなに有望な選手がいたとしても、4年生が精神的な支柱、屋台骨にならなければ、チームはまとまりません。

 チームには、多かれ少なかれ調子の波があります。全員が達成に向けて努力している目標は、1月のラグビー大学選手権での優勝ですが、そこに至る1年の間には、好不調の波のほか、選手のケガ、寮生活や人間関係でのちょっとした行き違い、家庭の事情など、表にはあまり出てきませんが、小さなことからそれなりに大きなことまで起きます。ラグビーの練習だけでなく、さまざまな試練をチームメンバーが互いに協力して解決し、乗り越えていく必要があるのです。

若いチームは逆境にもろい

 4年生が、他の学年の「ロールモデル」になり、「あこがれ」の対象になることで、「逆ピラミッド化」はうまく機能します。組織の屋台骨が4年生であるのは明らかです。私が後悔しているのは、実力が少し劣っていたとしても、4年生のレギュラーメンバーをもう少し増やしていたら、チームの「心」の部分が安定し、チーム全体としての力をもっと高めることができたのではないかということです。

 1、2年生が多い若いチームは、勢いに乗ると強いですが、逆境にもろい面があります。大学生は、子どもから大人への過渡期に当たり、下級生と上級生ではメンタル面で大きな差が生じます(個人差はありますが)。4年生を軸にチームを構成すると安定するのはそのためです。

 9連覇中は、試合の途中、相手に点差をつけられて負けていても、最後には必ず逆転するという、フィジカルとメンタルの強さがありました。しかし、2019年度のシーズンは、フィットネスの強化に失敗し、さらに4年生中心のチーム編成ができなかったことでメンタル面の強さも発揮できず、何か誤算があって負けたのではなく、負けるべくして負けた、非常に反省点の多い年でした。

 これも私が指導者として未熟だったからでからであり、卒業していった4年生には、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 ここまでが、王者から陥落した原因の分析です。次回は、組織をどう立て直し、V10にたどりついたかについて述べます。(次回に続く)

最強集団を築き上げた「心理学的手法」とは

 「学生ラグビーの最強集団」である帝京大学ラグビー部。その強さの秘訣は、26年間、監督を務めてきた岩出雅之氏のチームビルディング術とモチベーションマネジメント力にあります。
 心理的安全性、成長マインドセット、ナッジ、心理バイアス、フロー、自己肯定感、OODA(ウーダ)ループ、マズローの欲求5段階説、ハーズバーグの2要因理論、内発的動機(ときには脳科学も)――。これらの手法を、ラグビー部の組織運営や人材育成、組織文化の形成に次々と取り入れ、実際に大きな成果を出しています。岩出氏が常勝集団を築き上げたノウハウを、ビジネスリーダーや経営者向けに、実践的かつ分かりやすく解説しました。

岩出雅之(著)、日経BP、1870円(税込み)
6月13日『逆境を楽しむ力』出版記念オンラインセミナー開催!
岩出雅之氏が語るチームビルディングの極意

■開催日時:2022年6月13日(月)19:00~20:00(予定)
■募集人員:当日先着500人
■開催方法:Zoomによるオンライン開催
■参加料金:無料
 お申し込みや詳しい開催概要について
 →日経BOOKプラス 6月13日『逆境を楽しむ力』出版記念セミナー