銀行員時代には、世間を騒然とさせた総会屋事件を最前線で収拾し、西武グループへ転出後は西武鉄道の上場廃止などで混迷する経営を立て直し、その後、投資ファンド・サーベラスによる敵対的TOB(株式公開買い付け)から経営を守り、再上場を果たして順調に業績を拡大していたと思ったら、今度は新型コロナウイルス感染拡大の影響直撃で赤字転落し、経営再建へ――。西武ホールディングス(HD)の後藤高志社長は、ビジネスパーソンとして数々の逆境を経験し、乗り越えてきた。そのエネルギーの源は「ラグビー精神」にあったという。今回から2回にわたって後藤社長と、帝京大学ラグビー部の前監督で 『逆境を楽しむ力 心の琴線にアプローチする岩出式「人を動かす心理術」の極意』 (日経BP)の著者である岩出雅之氏との対談をお届けする。(写真:鈴木愛子)

映画にもなった銀行時代の修羅場

岩出雅之氏(以下、岩出):後藤社長は、東京大学時代にラグビー部に在籍されていました。ラグビーを通じて学び、その後に生かしていることがあったら教えてください。

後藤高志氏(以下、後藤):僕がいた東大ラグビー部は、決して強いチームではなかったのですが、当時の監督や先輩から、東大ラグビー部の伝統は「ストレートダッシュ」と、相手の低いところにぶつかっていく「ロータックル」だとたたき込まれました。いわゆる強豪校に体力的にも技術的にもかなうわけではないので、それしか戦うすべがなかったというのが実情だったのかもしれません。しかも、その2つを100%実行できたかというと、そうは思いません。ただ、そのマインドは自分の体の中に染みつきました。

 振り返ると、社会人になってから山あり谷ありの人生だったと思うけれど、やっぱりその時に逃げないで真っすぐぶつかっていく、そして正直にフェアプレーでやっていくという僕の哲学にもなっているマインドの基盤は、ラグビー部で培ったものです。

岩出:後藤社長はこれまで、バンカー、そして経営者としてタフな経験をたくさんされてきていて、逆境をどう乗り越えてきたのかを伺えればと思っています。私はよく学生に、逆境に直面したとき、それを「苦しくて避けるべきもの」と捉えるのか、それとも「成長のためのチャンス」と捉えるのか、その違いは大きいよと伝えています。

後藤:おっしゃる通り、ピンチはチャンスなんですよ。僕はピンチになるとテンションが上がります。というのは、ピンチのときには、平時では絶対にできないような大胆な改革を実行できるからです。

 僕の経験について話すと、最初の大ピンチは、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)で1997年に起きた総会屋への利益供与事件でした。銀行から逮捕者が出るなど、金融史に残る事件となりました。僕はその時、企画部の副部長でした。当時は、意思決定できる上層部が機能不全となったため、組織は大混乱に陥り、どの方向に進めばよいかわからなくなっていました。

 その時、私を含めた4人の中堅行員が先頭に立って、決めるべきことをちゃんと決め、事態を収拾していきました。もちろん最終的には、上層部に決裁してもらいますが、かなりの部分を僕たちが決めていました。

後藤高志(ごとう・たかし)氏  西武ホールディングス社長。1949年東京都生まれ。72年東京大学経済学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行。97年、同行で起きた総会屋利益供与事件で、混乱の収拾と真相解明に尽力した改革派「4人組」のひとり。その後、みずほコーポレート銀行副頭取などを歴任後、2005年に有価証券報告書虚偽記載で上場廃止となった西武鉄道に転じて社長に就任し、再建に携わる。東大時代にラグビー部でウイングとして活躍した。
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後藤高志(ごとう・たかし)氏  西武ホールディングス社長。1949年東京都生まれ。72年東京大学経済学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行。97年、同行で起きた総会屋利益供与事件で、混乱の収拾と真相解明に尽力した改革派「4人組」のひとり。その後、みずほコーポレート銀行副頭取などを歴任後、2005年に有価証券報告書虚偽記載で上場廃止となった西武鉄道に転じて社長に就任し、再建に携わる。東大時代にラグビー部でウイングとして活躍した。

 97年のゴールデンウイーク前の4月下旬から5月いっぱいまで、1カ月半ぐらいはほとんど家に帰っていません。近くのホテルに部屋を取ってもらって、女房に着替えを1週間に1回か2回ぐらい届けてもらい、睡眠時間も3時間寝られればよかった。体重も2、3カ月で5、6キロ減りました。 

 さらにその後、いわゆる反社会的勢力との取引を断ち切っていくという、かなり厳しいことにも取り組みました。身の危険も感じながら、あれだけの修羅場を経験したからこそ、人間的にはすごく強くなりました。その後も色々なピンチがあったけれど、銀行時代の危機的な状況に立ち向かい克服したという自信が、私の最大の強みになっています。

修羅場の経験から人生に役立つ極意を得る

岩出:4人の中堅行員は「4人組」と言われていましたよね。それを作家の高杉良さんが小説化し、『金融腐食列島 呪縛』(原田眞人監督、1999年)という映画にもなり、私も拝見しました。

岩出雅之(いわで・まさゆき)氏  帝京大学スポーツ局長、スポーツ医科学センター教授。1958年和歌山県新宮市生まれ。76年和歌山県立新宮高校卒業、80年日本体育大学卒業。教員となり、滋賀県教育委員会、公立中学、高校に勤務。96年より帝京大学ラグビー部監督。2009年度全国大学ラグビーフットボール選手権大会で初優勝。以来、17年度まで9連覇を記録。21年度に同大会で優勝しV10を達成。現在は、帝京大学スポーツ局長として、同大学のスポーツ全般を統括する。
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岩出雅之(いわで・まさゆき)氏  帝京大学スポーツ局長、スポーツ医科学センター教授。1958年和歌山県新宮市生まれ。76年和歌山県立新宮高校卒業、80年日本体育大学卒業。教員となり、滋賀県教育委員会、公立中学、高校に勤務。96年より帝京大学ラグビー部監督。2009年度全国大学ラグビーフットボール選手権大会で初優勝。以来、17年度まで9連覇を記録。21年度に同大会で優勝しV10を達成。現在は、帝京大学スポーツ局長として、同大学のスポーツ全般を統括する。

後藤:高杉さんの小説は最初、産経新聞に連載されました。僕はその当時、審査第4部長として、特定企業の大口不良債権処理に当たっていました。デスクには毎日、連載小説のコピーが届いていましたが、気恥ずかしかったですね。その後、映画化され、妻と一緒に新宿の映画館に見にいきました。

 映画の中で、東京地検特捜部の大勢の人たちが、銀行本店のロビーに一斉に入ってくるシーンがあるんです。そこまでは冷静に見ていたのですが、そのシーンを見て、全身を雷に打たれたような衝撃を受け、思わず体が後ろにのけ反ってしまった。隣にいた妻から「どうしたの? 大丈夫?」と心配されました。

岩出:リアルにその時代に戻ったんですね。

後藤:完全に戻っていました。当時、特捜部が入ってきた時、私は本社の30階で会議をしていて、電話で知らせを受けました。

岩出:まさに修羅場をくぐってきたわけですね。

後藤:はっきり言って、あれだけの修羅場を経験したから、本当に怖いものがなくなってしまったという感じです。

岩出:学生も、致命傷にならなければ、ピンチに陥るのはよい経験だと思います。人生に本当に役立つ極意が得られるのはそこからですよ。

「根拠のない自信」は最強か?

後藤:僕は非常に楽観的な人間なんです。西武グループに来てからもいろいろなピンチがありました。

 岩出さんの著書『逆境を楽しむ力』の中に、「根拠のない自信は最強か?」という話が載っているんですが、思わず黄色の蛍光ペンで線を引きました。それほど、強く同意しています。実際、知人のジャーナリストからも「後藤さん、あなたはほんとに根拠のない楽観論者だね」と言われたことがあります。

岩出:本にも書いたのですが、私は、和歌山の県立新宮高校でラグビー部に所属していましたが、全国大会とは無縁の弱小チームでした。日本体育大学に進学してラグビー部に入ろうと思っていることを高校の仲間や先生に告げると、ほぼ全員が「やめとけ」「レギュラーにはなれないぞ」「きっと後悔するよ」と言って、私を思いとどまらせようとしました。

 でも、不思議なのですが、私は「日体大には全国から優秀な選手が集まっているかもしれないが、同じ人間がやることなんだから、頑張れば、何とかなるんじゃないか」と本気で思っていました。

 確かに、大学のラグビー部に入ってからの競争は激烈でした。私は体が大きいわけではなく、足も速くない。活路があるとすれば、タックルです。「とにかくタックルだけは、誰にも負けないようにしよう」と決意し、自分なりの練習方法を編み出し、徹底的に研究しました。

 そのかいあって、大学3年でレギュラーポジションを得ることができ、その年は大学選手権で優勝を果たすことができました。大学4年では主将となり、結果的には「根拠のない自信」が「無謀」といわれた選択を「成功体験」に変えてくれました。この経験から言えるのは、「同じ人間がやっていることなのだから、自分ができないことはない」ということです。

 人間の脳は基本的にネガティブ思考です。脳には古い脳と新しい脳があり、逆境や危機に対しては古い脳が素早く反応して、逃げようとする。しかも、この古い脳の力は強い。その部分をいかに制御できるかがポイントだと思います。

後藤:もちろん「危険から逃げよう」が考え方のベースになっているから、人間はこれだけ長い間、生き延びることができたのだと思います。しかし、生命の危機とは無縁のビジネスの世界では、それをブレークスルーしていかなければなりません。「いや、そうは言うけれど、こういうリスクはあるぞ」と、論理的に突き詰めようとすると、ネガティブな見方のほうに根拠があることが多い。けれども、そこを打破するのが、根拠のない自信であり、楽観論者なんですよ。

岩出:「根拠のない自信」というのは、本当は根拠があると思うんですよ。それはその人が積み重ねてきた経験や知見であり、「自己効力感(『自分ならできる』と思える心理状態のこと)」の高さです。後藤社長は第一勧銀時代に、反社会的勢力に真っ向から対峙し、乗り切ったという過去の経験があるから、多少先の見えないことでも、「何とか乗り切れる」「きっとうまくいく」と思えるようになったのではないですか。

後藤:それは大きいですよ、あの時の経験は。僕は2005年2月1日に、銀行を退任して西武グループに来て、最初の日に品川プリンスホテルで記者会見を開きました。メディアの方が150人くらい来られた。その時、「後藤さんの座右の銘はなんですか?」と質問があって、とっさに出たのが「朝の来ない夜はない」でした。どんなに漆黒の夜であっても必ず太陽は昇るんだという思いを込めました。

 西武グループに来た時、その前年の2004年に、当時の上場企業だった西武鉄道が上場廃止になった。大変な信用不安の中、グループの経営もガタガタでした。それまで西武グループは、金融機関から見て、本当に信用力の高い企業グループでした。それが総会屋への利益供与事件や有価証券報告書虚偽記載などが発覚して、あっという間におかしくなってしまった。すぐに誰かが西武グループに行って、その悪い流れに歯止めをかけないと倒産してしまう。それで、僕がその役目を担うことになりました。

 スピード感をもって、色々と経営改革をやって、2006年の3月27日に持ち株会社を中心にしたグループ再編が全部出来上がって、米国のファンドのサーベラスに約1000億円で、株式の約30%を引き受けてもらい、それ以外にも約300億の増資を引き受けてくれた先があり、約1300億円の生きたお金を元手に、経営改革を進めていきました。その過程では相当なピンチもありましたが、結局は、そのピンチがあったからこそ、西武グループの近代化が一気に進み、企業のガバナンスを構築することができたのです。

岩出:その後も、大きな試練がいくつも続きましたね。

後藤:はい。2008年秋にリーマン・ショックがあり、経営的には非常に厳しかったです。谷を経験して、ここでまたもう一段の経営改革を実行し、それが実ってこれからだという矢先の2011年3月、東日本大震災が起きました。あの時も本当に大変でした。3月11日から約半年間、それまでにない厳しい状況が続きましたが、秋以降、業績をV字回復させることができました。

 ところがその2年後の2013年、今度は大株主であるサーベラスとの間で緊張感が高まり、再び試練が訪れました。でも、この試練を経験して、西武グループの一体感が増し、私も再建の大きな手応えを感じられるようになりました。

後藤高志氏(左)と岩出雅之氏。経営とラグビーには共通点がたくさんあるという。
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後藤高志氏(左)と岩出雅之氏。経営とラグビーには共通点がたくさんあるという。

(後編に続く)

最強集団を築き上げた「心理学的手法」とは

 「学生ラグビーの最強集団」である帝京大学ラグビー部。その強さの秘訣は、26年間、監督を務めてきた岩出雅之氏のチームビルディング術とモチベーションマネジメント力にあります。
 心理的安全性、成長マインドセット、ナッジ、心理バイアス、フロー、自己肯定感、OODA(ウーダ)ループ、マズローの欲求5段階説、ハーズバーグの2要因理論、内発的動機(ときには脳科学も)――。これらの手法を、ラグビー部の組織運営や人材育成、組織文化の形成に次々と取り入れ、実際に大きな成果を出しています。岩出氏が常勝集団を築き上げたノウハウを、ビジネスリーダーや経営者向けに、実践的かつ分かりやすく解説しました。

岩出雅之(著)、日経BP、1870円(税込み)