西武ホールディングス(HD)に2013年、再び危機が訪れる。それまで二人三脚で経営再建を進めていた大株主の米ファンド、サーベラスが、敵対的TOB(株式公開買い付け)を仕掛けてきたのだ。後藤高志・西武HD社長はグループの結束を呼びかけ、会社を見事に守り抜いた。大勢が決した後、後藤社長の口から出た言葉は、意外にも勝利宣言ではなく、互いをたたえ合う「ノーサイド」だった。後藤社長と、帝京大学ラグビー部前監督で 『逆境を楽しむ力 心の琴線にアプローチする岩出式「人を動かす心理術」の極意』 (日経BP)の著者である岩出雅之氏との対談後編は、敵対的TOBという逆境をラグビー精神でどう乗り越え、成長のチャンスにつなげたかです。(写真:鈴木愛子)

(対談前編から読む)

昨日の味方が最大の敵に

岩出雅之氏(以下、岩出):私は帝京大学ラグビー部監督に1996年に就任し、大学選手権で優勝するまで13年かかりました。後藤社長は、西武グループの経営再建に着手してどのくらいで、手応えを感じましたか?

後藤高志氏(以下、後藤):僕は2005年2月に銀行から西武グループに来て、 2006年に経営改革を実行し、みんなのベクトルが同じ方向に向いていると実感できたのは、2013年ですね。だから、8年ぐらいかかりました。

後藤高志(ごとう・たかし)氏  西武ホールディングス社長。1949年東京都生まれ。72年東京大学経済学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行。97年、同行で起きた総会屋利益供与事件で、混乱の収拾と真相解明に尽力した改革派「4人組」のひとり。その後、みずほコーポレート銀行副頭取などを歴任後、2005年に有価証券報告書虚偽記載で上場廃止となった西武鉄道に転じて社長に就任し、再建に携わる。東大時代にラグビー部でウイングとして活躍した。
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後藤高志(ごとう・たかし)氏  西武ホールディングス社長。1949年東京都生まれ。72年東京大学経済学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入行。97年、同行で起きた総会屋利益供与事件で、混乱の収拾と真相解明に尽力した改革派「4人組」のひとり。その後、みずほコーポレート銀行副頭取などを歴任後、2005年に有価証券報告書虚偽記載で上場廃止となった西武鉄道に転じて社長に就任し、再建に携わる。東大時代にラグビー部でウイングとして活躍した。

岩出:実感できるきっかけは何かあったのですか?

後藤:実は2013年というのは大変な年で、最大株主のサーベラスとの間で緊張が高まったんです。彼らはファンドですから、当然、西武HDを株式上場させて、投資した資金をエグジット(投資回収)させることを考えます。

 我々も早期に株式上場したいと考えていたので、その意味では、同じ方向を向いていました。だからこそサーベラスに株主になってもらったのですが、上場へのアプローチ方法が僕たちとは大きく異なりました。

 上場に関して我々は「フェア」にこだわった。当時、僕が関係者によく言ったのは、ゴルフに例えると、ティーからフェアウエーに球を打って、そこからオンさせなくてはいけない。上場関連の様々な法規、会社法や金融商品取引法、あるいは東京証券取引所の規則などに抵触することはOBで、当然ダメ。サーベラスもそれは同じです。

 けれども、違法ではないが、グレーな部分というのがある。ゴルフに例えれば、ラフの部分の扱いです。サーベラスは「ラフは全然問題ない」と言うが、こちらは「ラフはグレーな部分に当たり、フェアウエーじゃないとダメだ」と言い返す。我々は2004年に西武鉄道が上場廃止になって多くの方に迷惑をかけたから、コンプライアンスに関しては一点の曇りもないよう徹頭徹尾こだわった。解釈が分かれるようなグレーなやり方には同意できないとはっきり言いました。

 それで大論争になって、最終的に2013年3月、サーベラスは西武HDの株の買い増しを宣言した。つまり、敵対的TOBを仕掛けてきたのです。しかし、2013年6月の株主総会で、サーベラスの株主提案(8人の取締役就任案)は大差で否決されました。

岩出:サーベラスに対して、どのように防衛したのですか?

後藤:社内外に対して、当社の主張の正当性を真正面から正々堂々と説明し、その理解を得ることができました。

 株主総会を前にした2013年4月から5月にかけて、西武鉄道の車内に、普段は見慣れない中吊り広告を出しました。「このたびのサーベラス・グループによる当社の株式公開買い付け及び取締役・監査役の推薦に当社は反対しております。(中略)引き続き当社をご支援賜りたくよろしくお願いいたします」

 これは、社員たちが自分たちで考えてやってくれたことです。鉄道広告ではなかなか見られないことだと思います。

 僕自身は、グループ内のいろいろな企業やホテル、営業所を飛び回って、自分たちの考え方を説明し、状況を共有して心を一つにしました。あのとき、本当にグループが一丸になったと実感できました。大株主からのTOBは、ものすごく大きなピンチでしたが、それがグループの結束を強化するチャンスになり、全従業員が本当に一致団結して、我々と一緒になって戦ってくれて、その後、西武グループは大きく生まれ変わりました。そして、翌2014年4月23日、西武ホールディングスは上場しました。

岩出雅之(いわで・まさゆき)氏  帝京大学スポーツ局長、スポーツ医科学センター教授。1958年和歌山県新宮市生まれ。76年和歌山県立新宮高校卒業、80年日本体育大学卒業。教員となり、滋賀県教育委員会、公立中学、高校に勤務。96年より帝京大学ラグビー部監督。2009年度全国大学ラグビーフットボール選手権大会で初優勝。以来、17年度まで9連覇を記録。21年度に同大会で優勝しV10を達成。現在は、帝京大学スポーツ局長として、同大学のスポーツ全般を統括する。
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岩出雅之(いわで・まさゆき)氏  帝京大学スポーツ局長、スポーツ医科学センター教授。1958年和歌山県新宮市生まれ。76年和歌山県立新宮高校卒業、80年日本体育大学卒業。教員となり、滋賀県教育委員会、公立中学、高校に勤務。96年より帝京大学ラグビー部監督。2009年度全国大学ラグビーフットボール選手権大会で初優勝。以来、17年度まで9連覇を記録。21年度に同大会で優勝しV10を達成。現在は、帝京大学スポーツ局長として、同大学のスポーツ全般を統括する。

「ノーサイドの精神」で相手をたたえる

岩出:その後、サーベラスとも和解したと聞いていますが。

後藤:上場したとき、マスコミからコメントを求められました。おそらく、「サーベラスを打ち負かした」というコメントを期待していたのだと思う。けれども、僕はその期待に反して、次のように言いました。

 2006年、サーベラスは私たちの会社が非常に厳しい信用状況にある中で、約1000億円の増資を引き受けてくれた。その恩は忘れません。その後、緊張が高まったことがあったけれども、サーベラスがサポートしてくれたからこそ、上場にこぎ着けられたと感謝しています。

 その後、サーベラスのCEO(最高経営責任者)が来日し、当時、所沢にあった本社に来ていただきました。しっかりと握手をして、「これでノーサイドです。私は昔、ラグビーをやっていたからノーサイドという言葉が好きなんです」と伝えました。その後、サーベラスは、西武HDの持ち株をいい形ですべて売却し、資本関係はなくなりましたが、そのときに握手したCEOとは今もお付き合いしています。

岩出:まさに後藤社長の真っ向勝負とフェアを重視するラグビー精神がぐっと感じられる話ですね。逆境をきっかけに、組織の末端の毛細血管までしっかり血が通う、一体感のあるグループに生まれ変わった。西武グループの社員たちも、TOBを人ごとではなく自分事として捉え、今の自分に何ができるかを考えて行動した。だから、ピンチをチャンスに変えることができたのですね。

後藤:上意下達の指示待ち人間ではなく、社員一人ひとりがしっかりと考えて、判断できる組織は強い。

 僕は「一隅を照らす」という言葉が好きで、帝京大ラグビー部では、そういう人たちに対する目配りがされている。これが強さの秘訣の一つであり、「岩出イズム」だと思います。帝京大ラグビー部には約130人の部員がいて、試合に先発で出られるのはたった15人。ベンチに入れるメンバーを含めても23人です。でも、23人で戦っているのではなくて、「苦しいときは、スタンドにいる仲間の顔を見ろ」と岩出さんは指導している。1軍の試合には出られないけれど、陰でサポートしてくれている部員に感謝しながら、選手たちは試合をする。こういう組織は強いですよ。

 また、ラグビー部の監督が部員に対して「ラグビーばかりやっていたらダメだよ」とは、なかなか言えないですよ。けれども、岩出さんは平気で言う。

岩出:学生には将来がありますから。

後藤:30代、40代で管理職になったときの自分の姿を思い浮かべ、それをもう一つの近未来の目標にしなさいと指導している。さらに、学生が社会に出た後を見据えて、学生のうちにリーダーの予行演習をしておこうと考えておられる。これはすごいことですよ。

岩出:ラグビーはそんなに長くできるスポーツではないのに、ワールドカップで盛り上がったこともあって、プロを志向する学生が増えています。でも、希望しても全員がプロになれるわけではないし、選手を引退した後のことも意識しておく必要があります。大学選手権で優勝しても、社会に出たら役に立ちませんから。

後藤:岩出さんの本の中で、人の育て方のところも、とても共感しました。僕のやり方は、顕在化している能力の1割増しぐらいの負荷をかけてチャレンジさせる。岩出さんの本にも同じような数字が出ていましたね。

岩出:はい。スキルに見合った最適難度のことにチャレンジしたとき、人は「フロー状態」に入り、持っている能力を存分に発揮しやすくなります。その最適難度というのは、今できていることよりもレベルが1~2割上のことです。レベルが高すぎると「不安」になり、低すぎると「退屈」に陥り、持っている能力を十分に発揮できません。でも、難しいのは、指導者やリーダーがその人の潜在能力を見極めることです。それには課題やチャレンジを与える人の深い「観察」と「洞察」が必要です。ここがとても難しいところです。

コロナ禍を機に30年先を見据えた経営改革

岩出:TOBの危機を無事乗り越えたわけですが、今度は新型コロナウィルス感染拡大の悪影響が待ち受けていました。

後藤:2020年からのコロナ禍は、僕が過去に経験したどの困難よりも業績に与える影響が厳しいです。2020年1月に新規感染者が増加し始め、3月から5月にかけては電車からもホテルからもお客様がいなくなってしまった。コロナ禍の影響を最も受けたその頃、西武鉄道は、コロナ前に比べて乗車率が4割ぐらい。プリンスホテルに至っては、特に都心の稼働率は、コロナ前は80%から90%くらいあったのが、数%に激減しました。

 僕は「この状況は最低でも2年は続く」と直感で思った。だから、まずはコストを徹底的に削減し、損益分岐点を下げるよう指示しました。そして、ピンチを生かして経営改革を断行する。その計画を「西武グループ中期経営計画(2021~2023年度)」として、昨年5月に公表しました。

 我々が打ち出したのは、アセットライトという戦略です。具体的には、プリンスホテルから資産を切り離し、うち31事業所をGICというシンガポールの政府系ファンドに売却し、残りをグループ企業の不動産管理会社である西武リアルティソリューションズに移すというものです。

 今年4月から、プリンスホテルは「西武・プリンスホテルズワールドワイド」と商号を変更し、資産を持たずに、ホテルの運営に特化する会社になりました。GICに売却した事業所も含め、運営は引き続き、西武・プリンスホテルズワールドワイドが担います。これからは運営に特化することで、クオリティーを向上させブランド力を高め、現在、国内外で86カ所あるホテルを、今後おおむね10年で250カ所に増やしていきます。

 こうした改革は、今回のコロナ危機がなければ絶対できなかったことです。僕はコロナ禍に背中を押されたと思っています。

岩出:コロナ禍をピンチではなく、機会として捉え、場当たり的な危機対応ではなく、将来の持続的成長を考えて手を打ったわけですね。

後藤:はい。10年先、20年先、30年先を見据えた経営改革です。

「岩出さんの『逆境を楽しむ力』を読んで、参考になるところに付箋を貼っていったら、途中で付箋だらけになってしまって」と後藤社長。「この本の全編にあふれているのは、学生に対する愛情ですよ」
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「岩出さんの『逆境を楽しむ力』を読んで、参考になるところに付箋を貼っていったら、途中で付箋だらけになってしまって」と後藤社長。「この本の全編にあふれているのは、学生に対する愛情ですよ」
最強集団を築き上げた「心理学的手法」とは

 「学生ラグビーの最強集団」である帝京大学ラグビー部。その強さの秘訣は、26年間、監督を務めてきた岩出雅之氏のチームビルディング術とモチベーションマネジメント力にあります。
 心理的安全性、成長マインドセット、ナッジ、心理バイアス、フロー、自己肯定感、OODA(ウーダ)ループ、マズローの欲求5段階説、ハーズバーグの2要因理論、内発的動機(ときには脳科学も)――。これらの手法を、ラグビー部の組織運営や人材育成、組織文化の形成に次々と取り入れ、実際に大きな成果を出しています。岩出氏が常勝集団を築き上げたノウハウを、ビジネスリーダーや経営者向けに、実践的かつ分かりやすく解説しました。

岩出雅之(著)、日経BP、1870円(税込み)