文庫書き下ろしのミステリー小説『 世界でいちばん透きとおった物語 』(新潮社)が快進撃を続けている。2023年5月の発売後、動画メディアでの紹介をきっかけにヒットの波に乗り、25万部を突破。帯には「紙の書籍でしか不可能」や「ネタバレ厳禁」がうたわれ、期待値の高さに応える巧みな仕掛けが、既読者のクチコミを呼び、未読者の好奇心をかき立てた。電子化時代に大胆な「紙のトリック」を打ち出した著者に、創作の背景を聞いた。[日経クロストレンド 2023年9月6日付の記事を転載。一部情報を更新]
「透きとおる」小説はいかにして生まれたのか
──2023年5月に刊行された『世界でいちばん透きとおった物語』(新潮文庫nex)は「電子書籍化絶対不可能」「ネタバレ厳禁」などを打ち出して注目作となり、既に25万部超となっています。
発売直後の売れ行きは、実はあまり良くはなかったんです。新潮社の営業部も書店も、作品をかなり推してくれてはいたのですが、当初はじわじわと売れているという程度でした。それが数週間ほどたった頃に、動画メディアで紹介されたのをきっかけに、連鎖的にクチコミが広がって火が付いたように売れ始め、一気に重版がかかった。
──「ラストに鳥肌が立った」「確かにこれは紙の本でしか不可能」といった、ネタバレを避けた読書体験の衝撃だけが広がっていったのも、未読者の好奇心をかき立てました。
「ネタバレ厳禁」や「電子書籍化不可能」は、あくまで本書を書くために選んだトリックによる必然で、構想や執筆の段階では、そうしたマーケティング的な効果を狙っていたわけではないんです。帯には「未読の人には、絶対に本書のトリックを明かさないでください」とありますが、実際にネット上の感想を見ていても、ネタバレ禁止については、みなさん本当に固く守っていただいていて、気遣いがありがたかったですね。
──「衝撃のラストにあなたの見る世界は『透きとおる』。」というキャッチコピーは、読了者にも納得感が高く秀逸でした。
実は本作で一番苦労をしたポイントは、この「透きとおる」という作品全体を貫く強いイメージを見つけることでした。ミステリーでは、トリックは物語と組み合わさって初めて「アイデア」と呼べる。僕にとっては、大枠のトリックそのものよりも、この「透きとおる」を思いつけたことが、本書で最も胸を張れる点なんです。なので、読み終えた方から「本当に透きとおりました!」と言ってもらえるのが、最高にうれしい瞬間です。
作品の原点となった少年時代の衝撃の読書体験
──本作は、杉井さんが今までの読書体験の中でも最大の衝撃を受けたという「ある小説」にインスパイアされて書かれたことを公言されています。改めて、その一冊との出合いについて教えてください。
読んだのは中学生の頃ですね。僕の父はSFやミステリーの愛好家で、実家の書架にはこのジャンルの小説が豊富にそろっていました。その一冊は、父に薦められたというわけでもなく、偶然に手に取って読み始めたんです。作品の冒頭にはある注意書きがあり、ミステリーを読み慣れている人や、この作家の作風を既に知っている人なら、途中で仕掛けに勘付くかもしれません。でも中学生だった僕は、完全に予備知識ゼロの状態で読んだので、ラストで本当にぶったまげました。本を読んで驚いたという点では、この一冊に勝る経験はいまだにありません。
──少年時代の読書体験が、長い年月を経て本書につながったのですね。
あのような衝撃的な読後感をもたらす小説を、いつか自分も書いてみたいという思いは以前からありました。それが、22年の春ごろにふと、軸となるトリックのアイデアが浮かんできたんです。正直、作品として形にするのは相当大変そうだとは思ったのですが、「いつか準備ができたら書こう」などと考えていたら一生書けないので、「よし、やるか!」と勢いでネタを練り始めた。プロットが固まってからは意外とスムーズでした。
ありがたいことに若い方にも多く読んでいただき、「この本で初めて小説を1冊読み切った」と言ってくれる中高生の読者もいました。本作が最初の一冊になったのが読書人生にとって幸福かどうかは分かりませんが(笑)、かつての僕がそうだったように、これをきっかけにミステリーを好きになってくれたら、読書体験のバトンがつながったようでうれしいですね。
文芸編集者を探偵役にしたミステリー小説は希少
──本作の大筋は、ある大御所ミステリー作家の死をきっかけに、その落胤(らくいん)である主人公の青年が、父の最後の作品とされる「世界でいちばん透きとおった物語」の遺稿の行方と内容を探っていくというもの。作中には出版・文芸の世界を取り巻く人間模様が、実在の出版社などをモデルに描かれています。
実は編集者が謎解きの探偵役をするミステリー作品を、以前から書いてみたかったんです。ミステリー作品では、作家は探偵役としても助手役としてもよく出てくるので、編集者が探偵役の作品も既にありそうに思うでしょう? 探してみると、不思議なほどないんです。たぶんミステリーの作家たちは、文芸編集者が超多忙だと身をもって知っているので、謎解きなどをやっている暇はないと考えたのかもしれません(笑)。具体的な企画はまだですが、「編集者探偵」はできれば今後もシリーズとして続けてみたいですね。
──今までにもミステリー要素のある作品を多く発表されていますが、このジャンルとの出合いや思い入れはどのようなものでしょう。
思えば、小学校の学級文庫には、モーリス・ルブランの「ルパン」シリーズや、江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズなどがずらりとそろっていて、片っ端から読んでいました。「少年探偵団」シリーズは、基本的には荒唐無稽な冒険小説が多いのですが、『地獄の道化師』など、10冊に1冊くらいトラウマ級の恐ろしいホラーミステリーが交ざっていて、震え上がりながらも好きでした。
中学生になると、父の本棚にあったハヤカワ文庫の海外SFや、創元推理文庫の翻訳ミステリーを読むようになりました。SFでもミステリー要素の強いアイザック・アシモフの作品が好きだったので、そうした少年時代の読書経験が、素地になっているのかもしれません。
──ミステリーに取り組む際、プロットやトリックを考える独自の方法論はあるのですか?
そもそも僕は、自分がミステリーを書けるとは全く思っていなかったんです。ミステリーを好んで読んできただけに、執筆には特殊能力が必要だと分かっていた。その前提は今もありつつ、七転八倒して試行錯誤を繰り返し、自分なりに「ミステリー」の条件をのみ込めたことで、一つ山を越えられたと思っています。
ミステリーに必要な要素は2つあります。まずは「驚かせる」、そして「納得させる」。この2つを両立できて初めて成立する。驚かせるだけなら、読者の想像の範囲外のことを書けばいいだけなので、難しくないんです。でも、その驚きに至るまでをロジカルにつなげて、「なるほど!」と納得感のカタルシスまでたどり着くのが、ミステリー作家の仕事。自分なりにそう定義できたことで、なんとか「ミステリーらしきもの」を書けるようになりました。
「村上春樹の文体」で書き続ける理由
──乾いた魅力のある杉井さんの文体の持ち味は、どのように確立されたのですか。
意外にもほとんど指摘されたことがないのですが、僕の文体は実は村上春樹さんのコピーです。デビュー2作目以降、ミステリーからラブコメまで様々なジャンルで、村上春樹の文体で村上春樹が書きそうにないことを描くスタイルをずっと貫いてきました。
たぶん僕の作品を長く読んでくれている読者が思う「杉井光の作風」というのは、「ちょっと根暗な感じの男の子の語りによる一人称の小説で、男の子はあまりガツガツしていないけれど、女の子と出会って何となくいい感じになる」というもの。このように特徴を因数分解すると、実は村上春樹作品と共通する要素に収れんされるんです(笑)
──影響を受けたきっかけは?
高校を卒業後、売れないバンドマンをしながらフリーター生活をしていた頃、本当にお金がなくて、当時の僕の部屋には本と呼べるものは『ノルウェイの森 』の上下巻しかなかった。なので、ひたすら繰り返し読んでいました。僕はこの作品を、世界で最も再読に耐えうる小説じゃないかと思っているんです。どんなときにも、どんなふうにも読める。僕にとって村上春樹とは、そういう作家です。
また、村上春樹さんは同じ主人公を繰り返し描き続けているとよく言われますが、僕も同様に、一貫して線の細いタイプの主人公を描き続けてきました。小説の登場人物においては「細いは太いを兼ねる」という持論があります。主人公をタフな人物に設定すると無理が出る物語は比較的多いのですが、線の細い主人公で書けない物語はほぼない。ラブコメはもちろん書けますし、ハードボイルドも書ける。万能なんです。多感な時期に出合ったこともあるのかもしれませんが、僕にとっては最も自然と作品が生み出せる主人公像であり、語り方なんです。
「自分ならこうしたい」が創作の原動力に
──自身の創作活動の原点はどこにあると思いますか?
元をたどれば、やはり小中学校時代の読書体験だと思います。小学校の小さな図書館の本などはすべて読破していました。父の本棚が充実していたのも大きかった。休み時間は教室で本を読んでいる子供でした。小説の創作論は色々とありますが、僕の実感としては「よく読む」が最も効率的だし、他に方法はないとすら思います。音楽やダンスやスポーツとは違い、小説の執筆にはフィジカルトレーニングの要素がない。作家の考えた言葉がそのまま書かれているので、読み続けていれば必ず書き方も分かるはずなんです。
小説に限らず昔から漠然と、自分は「何かを作る」という世界で生きていくのだろうという感覚はありました。企業に毎日出勤したり、真面目に働いたりしている未来は想像ができなかった。最初の創作はゲームでした。中学時代はパソコンでゲームを 作って投稿していましたし、ゲームブックやテーブルトークRPGがはやったときには、シナリオを作ったりもしました。
──実際に小説を書き始めたのは?
本格的に書き始めたのは、高校を卒業してからです。高校時代は音楽にどっぷりとはまって、読書からはすっかり遠ざかっていました。当時はバンドでプロになろうと本気で思っていた。そんな中、高校で同じ部活だったある女の子が、卒業後に小説を書き始めたんです。彼女は金井美恵子さんに傾倒した純文学的な作風で、投稿先も「文學界」でした。
ずぶの素人だった僕は彼女の作品を読んで、「僕が書いた方が100倍は面白い作品になるぞ」と思った(笑)。彼女に触発されて書き始め、ライトノベルの新人賞に投稿したら、なんと1作目で最終選考に残ったんです。けれど受賞には至らず、出版社からは何の連絡もなく、担当編集者も付かなかった。
振り返ると、この微妙なさじ加減の成功がよかったのだと思います。ほどよく手応えは残しつつ、天狗になるほどのチャンスは与えられなかった。万が一、1作目で受賞して本を出していたら、右も左も分からずに早々に潰れていたと思います。そこで一度立ち止まって試行錯誤し続けたことが、職業作家としての今につながっている。
──昔からあったという「何かを作りたい」と杉井さんを突き動かす原動力は何でしょう?
最初の投稿作がそうだったように、小説に限らずどんなジャンルの作品でも、何かを読んだり見たり聞いたりしたときに「自分だったらもっとこうしたい!」というアイデアが必ず湧いてくる。そこに僕の原動力があるように思います。逆に言えば、他者の作品で満足できる人は、この仕事を選ばないのかもしれない。アイデアは無限に湧いてきます。本当に自分が読みたい作品は、自分が書くしかないんです。
(写真/髙山 透)





