想定外でありつつも、それが起こることにより非常に強い衝撃を人々に与える事象を「ブラック・スワン(黒い白鳥)」と呼びます。これは、ビジネスでは非常に厄介なことです。このことを解説した名著『 ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質(上)(下) 』(ナシーム・ニコラス・タレブ著/望月衛訳/ダイヤモンド社)を、ボストン コンサルティング グループ(BCG)の佐々木靖さんが読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。
黒色のスワンの発見
不確実性とリスクへの人の関わり方について書かれた本書は、優れた意思決定を実践していく上で重要な示唆を与えてくれます。著者のナシーム・ニコラス・タレブはレバノン出身の研究者で、デリバティブトレーダーとして金融の実務に携わった経験もあります。不確実性の高い世界で経験を積んだ著者の論は人間行動の深い洞察に基づいており、理論を超えて極めて実践的です。
スワン(白鳥)は白色。長い間、人々は経験からそう認識してきました。ところが17世紀、オーストラリア大陸でヨーロッパ人たちによって黒色のスワンが発見されたのです。当時、この事象は人々に大きな驚きをもって迎えられたようです。
本書では、このような想定外でありつつも、それが起こることにより非常に強い衝撃を人々に与える事象を「ブラック・スワン(黒い白鳥)」と呼びます。ブラック・スワンはビジネスの世界では非常に厄介な事象です。近年のグローバル化やテクノロジーの進展は、世の中の不確実性をますます高めています。
本書は2008年の世界金融危機発生前に出版されましたが、著者は米国での9.11の悲劇、過去の金融危機の具体例を示しながら、ブラック・スワンが出現しやすい環境に私たちの世界は移行しており、その影響はかつてなく大きくなっていると警鐘を鳴らします。
タレブはブラック・スワンの発生が私たちの経済活動に負の影響を生み出す要因として、私たちが生来持つ「考え方」の癖を指摘します。私たちはどうしてもこれまでの経験と知識の範囲内で考えがちです。自分たちが無知であることを認識することなく納得できることだけに集中し、都合のよい解釈を後付けで加え、結果として本質にたどりつくことのない作業を繰り返すと言うのです。
ブラック・スワンを上手に飼いならしてしていくためには、このような考え方の癖を理解することから始める必要があります。
七面鳥は感謝祭を想定していない
日々の仕事で多忙を極める読者にとって、タレブの言うブラック・スワン(想定外で大きなインパクトのある事象)に積極的に想いを巡らせる時間はなかなかとれないのが現実だと思います。
ただ、本書で指摘されているような、私たちの考え方に関する癖を少しだけ理解、認識することで、日々の意思決定の質を大きく改善できると私は考えています。
タレブは「わかっていることよりわからないことのほうがずっと大事だ」と言います。人間は、わかったという幻想を絶えず持つ。世界はより複雑でランダムなのに、何が起こっているか自分にはわかっていると思い込んでいる。私たちは最初からわかっている、理解し見えている物事の一部に焦点を当て、それを目に見えない部分にまで一般化する。このような思考法は不確実性の高い世界では大きな負のインパクトをもたらすのです。
本書の中で興味深い事例として、感謝祭前後の七面鳥が取り上げられています。七面鳥は毎日エサをもらっています。七面鳥の立場に立つと、これが永遠に続く法則だと信じ込んでいる(と想像できます)。しかし実は、1000日にわたる過程の積み重ねも、次の1日についてはまったく何も教えてくれません。そして、感謝祭の直前に思いもしなかったことが七面鳥に起きます。
七面鳥にとってはまさにブラック・スワンです。しかし、鶏肉屋にとっては、それは想定された出来事なのです。
七面鳥を自分たちに置き換えて考えてみてください。私たちが手掛けるビジネスについて、私たちは本当にすべてをわかっているのでしょうか。私たちは「何がわかっていないか」を本当にわかっているのでしょうか。例えば、これまでの自社の業績、もしくは自分が担当する商品の業績が大きく伸びてきたとします。そのことを説明する主たる要因については理解できているかもしれません。しかし、私たちが理解できていない、認識できていない想定外の事象が発生したら、七面鳥のようにブラック・スワンの悲劇に陥ることにならないでしょうか。
フセイン逮捕、勝手な後講釈
私たちは、すでに起こった出来事を、車のバックミラーを見るがごとく、後付けで私たちにとって都合よく解釈します。タレブは、過去についての誤った理解が私たちの世界観や将来予測を形成することを「講釈の誤り」と呼び、その負の影響を指摘しています。
私たちは常に自分の周囲の様々な出来事を解明しようとする試みから、必然的に講釈の誤りを生み出します。起こらなかった無数の出来事よりも、最近起きた目立つ出来事が、因果関係をつくり上げる後講釈の題材になります。私たちは根拠の薄い説明をつけて、それが真実だと自分をだましているのです。
本書の中で、次のような事例が示されています。2003年12月、サダム・フセインが隠れ家で逮捕されました。この日の午前中、米国債価格は上昇。投資家は安全な投資先としての米国債を物色していました。最初のニュースのヘッドラインでは「米国債価格は上昇中。フセインの逮捕はテロ抑止につながらない見通し」と出ます。
ところが、その30分後には国債価格が下落したことに伴い、今度は「米国債価格は下落。フセイン逮捕の影響でリスク資産に魅力」とのニュースのフリップが流れるのです。同じフセイン逮捕という事実であるにもかかわらず、ニュースの送り手は材料に都合のよい勝手な後講釈を付け加えることで、材料を欲している市場の参加者の欲望を満たそうとしたのです。
これに類似した後講釈の例が、日々無数に私たちの周囲で発生しています。私たちは本当のところ何も知らない。ただ、都合のよい後講釈が必要以上の自信過剰を生み、それがブラック・スワンへの対処を誤らせてしまう。本書の中でタレブはそう分析するのです。
ポーターら巨匠の代表作から、近年ベストセラーになった注目作まで、戦略論やマーケティングに関して必ず押さえておくべき名著の内容を、第一線の経営学者やコンサルタントが独自の事例分析を交えながら読み解きます。
日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2640円(税込み)