世の中には、不確実性が引き起こす「ブラック・スワン」(想定外で大きなインパクトがある事象)の潜在的影響の大小により、2つの異なる世界観があります。そう解説する名著『 ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質(上)(下) 』(ナシーム・ニコラス・タレブ著/望月衛訳/ダイヤモンド社)を、ボストン コンサルティング グループ(BCG)の佐々木靖さんが読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。
2つの異なる世界観
『ブラック・スワン』の著者タレブは本書で、不確実性が引き起こす「ブラック・スワン」(想定外で大きなインパクトがある事象)の潜在的影響の大小により、2つの異なる世界観を提示しています。
第1の世界を「月並みの国」と呼びます。そこでは不確実性やランダム性は低く、事象は一定の法則(統計的なベル型カーブ等)に従って分布している。しばらく観察すればどうなっているかわかる、平等が強い世界。
第2の世界を「果ての国」と呼びます。不確実性が高く、事象はまったく予測不能。どうなっているか見極めるには長い時間がかかる。極端な勝者が総取りする不平等で埋め尽くされており、人々はブラック・スワンに大きく左右される。
私たちは「月並みの国」に住んでいると大変居心地よく感じます。一定の枠の中で将来を見通し、計画を立てることができるからです。偶然によって引き起こされる人々の間の格差は小さく、平等感に満ちています。
ところが、現実にはグローバリゼーションや技術進化等の要因が相まって、私たちの多くが不確実性の高い「果ての国」に移行しています。「果ての国」が「月並みの国」を席巻しつつあるともいえます。タレブは、ブラック・スワンの源が計り知れないほど増えていると分析します。本書執筆時点で、彼はグローバルレベルでの金融危機によって大銀行の収益が一夜にして吹き飛ぶ危険性も見通していました。
ビジネスを実践していく上で常に自分の周りの世界に疑問を持ち、自分なりの理性に基づいた世界観を構築することが極めて重要です。実際、優れた企業リーダーは常に外に目を向け、環境の変化に合わせて自社の組織を再調整しています。
行間を読み、複雑性に覆われて見えにくくなっている中で適切な思考実験をすることにより、自分自身の持つ前提を検証する。そうすることで、私たちはブラック・スワンに立ち向かうことが可能になるのです。
不確実性の世界における戦略策定
従来の企業における戦略策定のアプローチは、大まかには、比較的安定し予測可能な、タレブが「月並みの国」と呼ぶ世界観を前提としてきました。「月並みの国」であれば伝統的な優位性の源泉を追求し続けるのが最良の戦略となります。すなわち、優れた市場ポジションの確立や適切な組織能力の獲得により持続可能な競争優位を獲得することを目指します。そして、定期的に戦略を見直し、業界動向の分析や予測に基づいて方向性や組織体制を決定します。
しかし、近年はグローバリゼーション、新しい技術進化等が相まって事業環境の不確実性が増大しており、タレブのいう「果ての国」の要素が強くなっています。「果ての国」では従来の形の予測ではまったく通用しない局面が増えます。例えば、ネットやテクノロジーの業界では目まぐるしいペースで企業のシェアや取扱量が変動します。新興企業が大した前兆もなく、競争のベースを根本的に変える新たなプラットフォームを導入するようなことも頻繁に起こります。
このように「月並みの国」での戦いなのか「果ての国」での戦いなのかで、戦略策定のアプローチが大きく異なってきます。不確実性の高い「果ての国」において持続的な競争優位を築くためには、変化に迅速に対応する動的な組織能力が極めて重要になるのです。
読者の方々が活動している事業環境が「月並みの国」に近い世界なのか、それとも変化が激しく不確実性が高い「果ての国」に近い環境なのか、一度自分なりの分析を通じて世界観を構築することをお勧めします。
個人の職業選択のあり方
さて、事業環境の不確実性が高いか低いかは企業・組織レベルのみならず、個人のキャリアにも大きな影響を与えます。
タレブは自身がビジネススクールの学生だったとき、ある友人が職業選択に関して「最高でもあり最悪とも思える」アドバイスをくれたことを本書の中で回想しています。「稼ぎを何倍にも拡張できる」仕事、つまり働いた時間や仕事量に縛られて稼ぎが決まるわけではない仕事を選ぶ方が望ましいというのが、その友人のアドバイスでした。
何が「最高」だったのか。このアドバイスは後に、タレブの不確実性に基づく世界観を構築する上で役に立ったようです。
世の中の仕事は、(A)仕事の量と時間を増やさないと稼ぎが増えない仕事と、(B)仕事量を増やさなくても稼ぎを何倍にも増やせる仕事があります。(A)タイプの仕事の例は医師やコンサルタント、(B)タイプの仕事の例は投機家や音楽家です。
(B)タイプでは、うまくいけば成果が何桁単位で増えます。クオンツ系のトレーダーであれば100株も10万株も仕事量は同じになります。ひとつの判断によっててこ(レバレッジ)が効くように成果が増幅します。ただし注意が必要なのは、ここではブラック・スワンが大きく影響し、偶然性が重要になることです。
一方、(A)タイプでは稼ぎを何倍にも拡張することはできません。一定の時間で面倒をみることのできる患者やお客様には限りがあるからです。(A)タイプでの収入は、いい判断をするかどうかより、むしろ一生懸命に頑張り続けられるかで決まります。ここではブラック・スワンの影響は限定的になります。
この話における(B)タイプが「果ての国」、(A)タイプが「月並みの国」の着想につながるのです。
タレブには最悪の助言
一方、なぜそのアドバイスはタレブにとって最悪だったのでしょうか。
タレブはその後、トレーダーの仕事につきます。その経験から、稼ぎが何倍にもなるような仕事はうまくいけば素晴らしいが、そういう仕事は競争が激しく、格差が大きく広がり、偶然にものすごく振り回され、努力が成果に結び付かないと言います。一握りの勝者が大きなパイを奪ってしまう。それはタレブ個人にとって好ましい選択ではなかったようです(これは2007年の世界金融危機前の出来事です)。
賢明な読者はこの2つの職業タイプのどちらを選択するのがよいと考えるでしょうか。自らの職業選択を通じて不確実性とブラック・スワンの問題を真剣に考える、とても良い問いではないかと私は思います。
ポーターら巨匠の代表作から、近年ベストセラーになった注目作まで、戦略論やマーケティングに関して必ず押さえておくべき名著の内容を、第一線の経営学者やコンサルタントが独自の事例分析を交えながら読み解きます。
日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2640円(税込み)