日本で医療を受けたいという中国人が多く来日するようになり、医療通訳の需要が高まっている。医療通訳の講座で資格を取得し、電話通訳や手術の立ち会いまで様々な業務を請け負う。中国の医師の労働環境が良くないことから、日中双方の医師免許を持った中国人医師も増えてきているという。日経プレミアシリーズ『中国人は日本で何をしているのか』(中島恵著)から、その実情を抜粋・再構成して紹介する。
高額でも日本の医療を望む中国人
医療通訳の学校はどのようなところで、どのような中国人が医療通訳を目指して勉強しているのか。私は東京・大久保にある日中医療観光協会を訪ねた。同協会は日中の医療に関係するさまざまな事業、活動を行い、その一環として医療通訳養成講座を実施している。
取材した土曜日は20人ほどの受講生が集まり、講座が開かれる日だった。雑居ビルの細い階段を上ると、営業課長の林拓哉さんが応じてくれた。林さんは福建省福清市の出身。16歳で来日し、複数の仕事を経て同協会に就職した。
林さんによると、同協会の前身は民間企業で、中国人富裕層を対象に観光アテンドなどを行っていた。「爆買い」ブームだった2016年頃、中国から観光だけでなく、「人間ドックを受診したい」「日本で病気を治療したい」という問い合わせが急増したことから、18年に非営利の一般社団法人に変更、医療関係の事業に注力することにした。
「最も多くの患者が来日したのは新型コロナウイルス禍前の18~19年頃で、1カ月に100人くらい来たと思います。20年からのコロナ禍で99%の人が来られなくなりましたが、収束後に必ず復活する医療ツーリズムで、最も必要とされるのは医療通訳だと判断しました。相当な需要があると見込み、医療通訳の養成講座を設置することにしたのです」(林さん)
21年に同協会が開始した医療通訳講座は約2カ月のコースで、授業料は18万8000円。対面とオンラインの両方あるが、オンラインのみの場合は若干安くなる。授業は土日の午前11時から午後4時半まで。受講者は20~60代で、30~40代の女性が多い。子どもの手が少し離れ、仕事を再開したいと考えている人が中心だ。
私も教室の後方から授業を見学させてもらったが、受講生は皆熱心にメモを取っていた。講座では、さまざまな病名やその特徴、治療方法、医師からの想定説明などについて、日本語、中国語の表現やポイントなどを学ぶ。
講師は日本人、中国人、日中ハーフの現役の医師だ。日中双方の医師免許を持つ人、日本語と中国語のバイリンガルもいる。同協会が独自に作成したテキストと、日本医療教育財団の「医療通訳育成カリキュラム」を使用している。講座の後半では模擬授業も行う。
林さんによれば、日本で医療を受けたい人のうち、最も多いのはがん患者、次いで指定難病患者で、再生医療、パーキンソン病なども多いそうだ。日本のリハビリ施設、理学療法士などのレベルは世界的に非常に高く、高額な費用を厭(いと)わない中国人が非常に多いという。
中国から医療滞在ビザで来日した場合は、治療費、入院費などすべて自費で、仲介会社や医療通訳の支払いも加えると数千万円かかることがある。医療機関は治療計画を立て、概算を見積もって先払い制を取るところ、その都度払いのところなどがあるようだ。
同協会経由での医療通訳のギャラの相場(1時間あたり)は、電話通訳は2200円、人間ドックと美容整形は3300円、手術の立ち会いは7700円で交通費などが加わる。通訳のレベルやその他の条件によって、これより高くなることもある。
林さんが知る限り、このような育成講座は同協会を含めて3社ほどが運営している。そのうちの別の1社は、私が以前の著書で紹介したことがある日本医通佳日(東京・豊島区)だ。
同協会は国際臨床医学会(ICM)が認める日本医療教育財団に登録している。ICMは他に通訳品質評議会、日本医療通訳協会も認可している。大学病院などが人材を採用する際、これらに認められた資格を持つ医療通訳を採用している。
激務なのに給料が安い中国の医師
林さんによると、近年、日本の医師免許を取得したい中国人医師が増えているという。「コロナ禍をきっかけに、中国の医療体制や労働環境に疑問を感じ、給料に不満を抱く医師が急増しました。彼らは海外で医師として働きたいと考えますが、今の情勢ではアメリカには行きにくい。そこで日本を目指す医師が増えたのです」
中国の医学部は基本的に5年制だ。その後、2年間研修を行い、病院などに就職する。研修中の給料は3000~5000元(約6万6000~約11万円)、就職後は6000~1万元(約13万2000~約22万円)程度。一方、上海では有名大卒(文系)の初任給は1万元(約22万円)以上、理系の修士は2万元(約45万円)以上からのことも多く、医師はかなり給料が安い。しかも、中国でも大病院の医師は日本同様に激務だ。
「中国の医師は、2~3分で1人の患者を診なければならないというくらい忙しいです。その点、仕事量は減るのに給料は高くなるので、日本で働くことを希望する人が多いのです」(林さん)

私自身も何度も中国の病院に足を運び、診察室前の混乱を見て知っているだけに、来日したい医師の気持ちは理解できる。しかも、中国では、医師は患者から逆恨みされたりすることがよくあるが、日本では基本的に医師はリスペクトされる存在だという点も異なる。
中国人が日本の医師免許を取得する場合、いくつかのルートがあり、詳細は省くが、まず日本語の習得は大前提だ。その上で、厚生労働省に受験資格認定申請を行う。
申請の審査結果により、(1)そのまま本試験の受験資格を得られる、(2)医師国家試験予備試験を受ける、(3)その両方とも受験資格が認められない、に分かれ、多くは(2)で、予備試験に合格したら、1年以上の臨床研修を行い、その後、本試験の受験資格を得ることになる。
予備試験は外国の医学部を卒業した人が対象で、模擬患者を相手に、日本語で実技試験を行う。林さんによると、中国では冷たい聴診器はそのまま使うが、日本では自分の手で少し温めてから使うなど、細かい点で違いがある。そうした動作も模擬試験の採点対象となる。
また、日本語診療能力調査という試験もある。日本の医療機関で働くには、日本国内の医学部で学んだ人と同等の医学知識と日本語力が求められるということだ。そのため同協会では同調査の対策テキストを独自に作成し、そのための授業も行っている。
林さんによると、日本で医師免許を取得した中国人が、これから受験に臨む医師から授業料を取って、アルバイトで教えている例がかなりあるそうだ。
中島恵著/日本経済新聞出版/990円(税込み)
