最近、ちょっと休憩しようとカフェを探しても、どこも満席で入れないということはありませんか? この「カフェ難民問題」への対策として、タワマン文学の旗手で兼業作家の麻布競馬場さんは、「美術館の年パス(年間パスポート)を買う」という方法を提案します。(編集部より)

カフェを利用しなくなって久しい。たとえば六本木で予定のない時間が1時間あれば、とりあえずスタバにでも入ってアイスコーヒーを飲みつつスマホで読書を、だなんて考えてしまうが、今や六本木でカフェの空席を見つけることはマッチングアプリで真実の愛を見つけるのと同じくらい難しく、実質的に不可能だ。
かといって、買うつもりもないのにミッドタウンの無印良品をうろつき、座り心地を試すフリをして売り物のソファに腰掛けたりするのも気が引ける。資本主義の世界において、金を払わない客でいることは居心地が悪い。カフェであれば、せめて数百円の「居場所代」を支払うから気持ちが多少は楽になるのだが……
今ここにあるカフェ難民問題
そうだ、僕たちが真に求めているものは、安心して存在できる居場所なのだ。カフェに入りたいのは、喉がカラカラに乾いているせいでも、もう立っていられないほど足が疲れているせいでもない。誰かに咎(とが)められることも、誰かに対して申し訳なさを感じることもなく、ただ安心して時間を潰せる場所が都市に欲しい――そんなニーズに数百円の対価で叶(かな)えてくれる場所がカフェだったはずなのに。不要不急の外出・移動自粛、だなんてスローガンがすっかり過去のものとなり、スーツケースを引きずるインバウンド旅行客が街にあふれている今日においては、「一億総カフェ難民」時代とでも呼びたくなるほどに需給バランスが崩壊してしまっているようだ。
もちろん、そういう不均衡をビジネスチャンスとして捉えてリバランスを図ってくれるのが資本主義のいいところだが、明日になれば急に問題が解決するというものでもない。今ここにあるカフェ難民問題を、個々人の創意工夫で乗り切っていかねばならない。そこで僕が提案するのが「美術館の年パス」だ。
2010年の春、僕は大学進学のため上京した。一人暮らしのために借りたアパートの最寄り駅は東急東横線の新丸子駅(川崎市中原区)だったし、そこから通う大学は慶應の日吉キャンパス(横浜市港北区)だったから、正式には上京と呼べるか怪しいが、とにかく僕はその日から東京のあちこちに足を運ぶようになった。
その中のひとつに六本木があった。中目黒で日比谷線に乗り換えればアクセスも良好だったし、何より六本木には本屋と映画館、そしてお気に入りの森美術館があった。地方都市の県立美術館というのはどういうわけか「印象派の巨匠展」みたいなのが多いから、現代アートを中心とした森美術館の展示は僕にとってあまりに新鮮で、知的好奇心を激しく駆り立ててくれる存在だった。
年パスで六本木が「自分の街」に
そのうち、僕は年間パスポート、通称年パスの存在を知るようになる。通常は1回の入場で1,500円がかかるところ、5,250円の年パスを買えば美術館と展望台に1年間入り放題なのだという(金額はいずれも当時)。企画展は年に3つほど開催されるから、全ての企画展を観に行って、その中でもお気に入りのものをもう一度リピートすれば元が取れる計算だ。大学生にとって小さくない出費ではあったが、まぁ物は試しに1年だけ……と年パスを買ってみることにした。
その日から、六本木を歩くときの気分が変わった。まるでそこが、自分の街であるかのような不思議な感覚があったのだ。
本を買い込んで、映画も1本観て、さて次の予定まで1時間あるとなったときに、まず思い浮かぶのが「森美術館に行く」という選択肢だ。今やっている企画展は既に一度行っていたが、全部で20分ほどあるという映像作品は時間の都合で一部しか観られていなかった。これから美術館に移動して、薄暗い展示室で映像をボンヤリと眺めて、このあいだ気に入った作品も改めて眺めてみて、展望台から夕暮れどきの東京の街並みを眺めていれば、あっという間に1時間が過ぎている。本屋や映画館なら渋谷や横浜にもあるが、僕は六本木で背伸びして過ごすそんな時間が好きで、暇さえあれば六本木方面に繰り出すようになっていった。
つまり、年パスを買うことで、渋谷や横浜と比べるとハードルの高い大人の街・六本木に、大学生の自分ごときが居場所を購入できたような気分になったのだ。もちろん、そのための支払額は数千円にすぎないし、心の底から美術を愛する人からすれば「美術館をカフェ代わりに使うんじゃない」と顔を真っ赤にして怒りたくなるかもしれない。しかし、僕はこの体験のおかげで美術館という場所が好きになって、今では美術館目当てで日本のあちこちへ出かけるようになったし、恵比寿の写真美術館や白金台の庭園美術館の年パスも購入するようになった。初心者を排除することなく、美術館を開かれた場所にしてくれる運営者の皆さまには頭が上がらないし、そういう寛容さこそがジャンルを長期的に活性化するためのベストプラクティスである気がする。
突起や傾斜によって長時間の滞在を拒絶する什器(じゅうき)、いわゆる「排除アート」や「意地悪ベンチ」に代表されるように、都市はますます不寛容となり、誰もが安心して時間を潰せる場所は年々減っている感覚がある。そのうえ、お金を払えば手に入る居場所すらも枯渇しつつある状況だ。そもそも対価を支払わなければ居場所のない都市でいいのか、という大きな議論と向き合うことと、幾らかのお金と引き換えに今日を心地よく過ごすためのハックを行うことは市民の姿勢として両立していいはずだ。
東京に十分な数のベンチとカフェができるまでの間、あなたもよく行く街の美術館の年パスを買ってみてはどうだろうか。
[日経ビジネス電子版 2025年2月7日付の記事を転載]