優秀なAI(人工知能)が仕事を代替してくれるなら、人間に残された仕事は人間から好かれること――つまり「会食」ではないか。タワマン文学の旗手で兼業作家の麻布競馬場さんは、会食の重要性が増す一方で、健康のために減酒する方法はないか、模索します。そして自主的に「ステルス減酒キャンペーン」に取り組んだ結果、意外な成果にたどり着きます。(編集部より)

ついに日頃の業務でもAIが活用されるようになってきた。僕の拙いプロンプトでも、業界動向や法令に関するレポートがそれなりのクオリティで、かつ僅か数分で出力されるのだから、僕を含めサラリーマンはみな戦々恐々である。
とある友人は、あらゆるAI関連サービスに(なんと合計30万円も!)課金して1カ月使いまくった結果、こんな悟りに至ったという。
「ダメだ、将来の伸びしろを考えると、もう人間は業務効率という点でAIには勝てっこない。これからの人間に残された仕事は、人間から好かれることだけなんだ。ほら、同じ商品でも、せっかくなら感じのいい人から買いたいでしょ? だから俺は、これから会食の鬼になる。地方だろうが海外だろうが、どこにでも飛んで行って酒を飲み、あらゆるクライアントから愛される所存だよ」
なるほど。そういえば、クリエイティブディレクターの三浦崇宏さん率いるThe Breakthrough Company GOでは「行動量2倍」(クライアントとの対面数、提案数、企画数、そして会食数をぜんぶ2倍にして頑張る)というユニークな目標を掲げていたし、大手広告代理店出身の著者が最大月28回という驚異的な会食経験を注ぎ込んだ『ビジネス会食 完全攻略マニュアル』(yuuu著、ダイヤモンド社)がベストセラーとなったうえ、著者が総合商社などの新入社員研修に招かれて会食論を大いに語った(そしてその場で著書が飛ぶように売れた!)というニュースも記憶に新しい。
AI時代に大事なのは人間力、という曖昧なスローガンにおける「人間力」とはつまり、業務と関係なさそうで実は大いに関係のある、こういう「会食力」のことを言うのかもしれない。
会食につきもののお酒とどう付き合うか
ただ、肝臓の機嫌が気になるお年頃である。
30代も中盤に差し掛かり、出版業界ではまだまだ若手のひよっこ扱いだが、一般社会においては紛(まご)うことなき中堅(または中年)である。まだまだ若手だ、まだまだ20代の延長戦だというつもりでお酒を飲んでいると、明らかにあの頃よりも二日酔いになりやすくなったし、健康診断の数値も平気で基準値越えの赤字だらけになってしまう。
かつては「適量のお酒は体に良い」だなんて話もあったが、最近はそれを真っ向から否定するように「少量でもお酒は体に悪い」という研究成果が続々と上がってきている。そういう趨勢の中で「お酒を一切やめます」と宣言する知人も増えたし、そもそも最近の20代の中には「お酒は飲んだことないし、これからも飲まないつもりです」というスタンスの人も多い。
AI時代において、会食の重要性はますます増してくる。一方で、会食につきもののお酒とどう付き合うかは、最新の研究も踏まえて考え直すべきだろう。
かくいう僕も会食漬けの日々を送っている。サラリーマンとして出なければならない会食もあるし、作家業のほうでも「打ち合わせ」「顔合わせ」「フィールドワーク」とかいう様々な名前の会食もあるから、ひどいときは週8回も会食が入っていた。そして、会食に行くたび、僕は当たり前のようにビールやワイン、日本酒や紹興酒を頼んでは片っ端から飲み干し、「今日の料理にはブルゴーニュが合いますね」だなんて分かったようなことを言っていた。
酒は大人の嗜(たしな)みだ。いい大人なんだから、酒くらい飲んで当然だ。ガキじゃないんだから、お茶やジュースだなんてとんでもない! 飲み会とは読んで字のごとく、酒を飲むためのものだ。飲めば飲むほど楽しいし、気持ちも緩む。そうなって初めて、本音で話して打ち解けられるというものだ―― お恥ずかしいことに、そういう古くてマッチョで、ともすれば深刻なハラスメントを生じさせかねない価値観は、いつの間にか僕の中にも確かに存在していたのだ。
お酒は大好きだが、周囲の素晴らしい人々と長く働き、長く書き続けるためにも、資本である体とモラルある言動はきちんと守っていかねばならない。しかし、深く刷り込まれた飲酒価値観をすんなり変えることは簡単ではない。急にお酒を飲まなくなることで自分だけ浮いてしまったり、周囲に対して要らぬ配慮をさせたりすることは本望ではないし、会食の意義や楽しさを削ってしまうかもしれない。それに、下っ端として参加した会食で、目立つ形で飲酒量を減らそうものなら、上席の飲酒至上主義者から「酒飲まないと場の空気が悪くなるだろ」などと過激なことを言われることもあり得なくはない(さすがに気にしすぎだろう、と思われるだろうが、残念なことに世の中にはそういう人たちがまだ結構いるのだ)。
ステルス減酒キャンペーン
完全禁酒までは行かずとも、物理的にも心理的にも無理なく、可能であればこっそり飲酒量を減らすことはできないだろうか? そこでこの春、僕はとあるキャンペーンを個人的にスタートした。名付けて「ステルス減酒キャンペーン」である。
手伝ってくれたのは、とある港区おじさんだ。仮にNさんと呼ぼう。経営者である彼は港区界隈(かいわい)、特にメディア界隈で顔が利く人で、まるで営業代理店のごとく僕のことを各所に売り込んでくれるという大変ありがたい人だ。Nさんとは普段からよく飲みに行っているし、彼は僕が大酒飲みだということを知っている。
その日の会食も、Nさんがとある業界人に僕を売り込んでくれた結果、実際に仕事が決まったということで、顔合わせ兼打ち合わせといった趣の会食がセットされたのだった。参加者はNさんと僕、それから今回お付き合いさせてもらうことになったクライアントの方の3名。会場は、恵比寿ガーデンプレイスにほど近いイタリア料理店だ。
Nさんには、事前にこう伝えておいた。
「すみません、最近こんなキャンペーンをやっておりまして。今日の会で、僕が発明した『ステルス減酒』を試させてください」
おおいいじゃん、何だかよく分からないけど酒なんか飲んでもいいことないよ、とNさんは笑った。港区おじさんの中でもNさんがとびきり特殊なのは、毎日のように会食をやっているというのに、お酒を一滴も飲まないということだ。彼の存在そのものが、会食の成否にアルコールの有無がさほど影響を与えないことを証明しているようなものだし、普段からお酒を飲まない彼が取り仕切る会食は、僕が考案した「ステルス減酒」の公式戦デビューの場として相応(ふさわ)しいだろうと考えたのだ。
ほかの人の飲むペースも落ちていく
そこに至るまでに、僕はいくつかの思考実験と試行錯誤を経ていた。
減酒にはいくつかの道がある。飲酒量とは会食回数×1回あたりの飲酒量によって算定されるのだから、(1)会食回数を減らす、(2)1回あたりの飲酒量を減らす、という2つのアプローチだ。だが、会食というのは空から降ってくるものだ。一介の雇われ人(作家だって受託業者みたいなものだ)では(1)のほうはなかなかコントロールできないし、会食回数を減らせば会食のメリットは丸ごと失われることになる。そうなると、やはり(2)が有力だ。
ということで、(2)を試してみた。大酒飲み仲間である友人たちとの飲み会で、こっそり自分だけお酒を飲む量を減らしてみたのだ。試しに、同席者が2杯飲むペースに合わせて自分は1杯飲む、を目標に飲酒量をコントロールしてみたところ、飲み会は相変わらず盛り上がっているし、自分自身の満足度も普段と変わらないことに気付いた。普段から適量飲酒を心掛けている人は「当たり前だろう」と呆(あき)れるかもしれないが、大学生の頃から旧来型のマッチョな飲み会をずっとやってきた身としては、なかなか新鮮な発見だったのだ。
そして、もうひとつ意外な、そして大きな発見があった。僕のお酒を飲むペースが落ちると、他の人のペースも顕著に落ちてゆくのだ。飲み会の最後に種明かしをしてみると、同席者たちは「全然意識してなかった」と驚いていた。同じことを5件ほどの飲み会で試してみたところ、どの飲み会でも同じ現象が発生したから、それなりに再現性があるといえるだろう。
おそらく原理はこうだ。飲み会におけるお酒のペースとは、無意識のうちに共同して作り上げる一時的な規範のようなもので、その根っこにあるのは「他人と同じくらい飲むのがいい大人としての振る舞いだ」という日本人的な同質化意識だ。旧来型のマッチョな飲酒価値観を持つ我々は、隣の人がお代わりを頼むタイミングでつい「じゃあ、俺も」と言ってしまう。なぜなら、その場に相応しい量の酒をきちんと飲むのが「いい大人」としての正しい行為だと刷り込まれてきたから。つまり、みんな純粋に好きでお酒を飲んでいるわけではなく、場の空気に強制されて飲んでいる節が間違いなくあるのだ。
ただの友達同士の楽しい飲み会ですらこの調子なのだから、より強い規範意識や権力勾配が存在するビジネス会食においては、同じ現象がより苛烈な形で生じるに違いない。お酒が弱い友達が「なぜか会食では自分の飲酒ペースを崩してしまって潰れてしまう」と嘆いていたが、その背後にはこういう理屈があったのだろう。
「歩いて帰ろうよ」
自分自身が影のペースメーカーとなって、会全体の飲酒量を自然と減らす。周りも自然と減酒することになり、そうなると僕としてもひとりだけ浮くことなく、心置きなく減酒できる―― これこそが、旧来型の飲酒価値観をまだ捨てきれない僕が発明したステルス減酒であり、結論から言えば、その日の会食でも同手法は大きな効果を発揮した。普段は僕と同じくらいの酒飲みであるらしいクライアントの方も、Nさんと僕に引きずられる形でペースがずいぶん穏やかになっているようだった。それでも話は存分に弾み、決めるべきこともすべて決まり、会食の目的は十分すぎるほどに果たされたのだった。
そのうえ、最後のオマケにこんなこともあった。
「麻布くんも、家あっちのほうなんだ! 僕も同じ方向だよ。今日はタクシー乗らなくても帰れそうだし、差支(さしつか)えなければ歩いて帰ろうよ」
店を出たところで、クライアントの方からそんな申し出があった。僕は「ぜひ!」と応じて、そのあと20分ほどかけて彼の家の近くまで一緒に散歩した(『歩く マジで人生が変わる習慣』[池田光史著、NewsPicksパブリッシング]が刊行されてからというもの、港区では歩くという行為が大流行しているのだ)。夜風は心地よく、適度にアルコールが入っていることもあり、今後一緒に取り組む仕事について自由闊達なブレストを行うことができた。
もちろん、これは特殊な条件下でのみ成立する事例だとは思うが、お酒を飲みすぎないとこんなことだってできるのだ。
ステルス減酒キャンペーンを始めて早3カ月。僕は現在も減酒を継続している。
最近はステルス減酒だなんていう小賢(こざか)しい手を使わなくても、飲み会における自分の飲酒量を堂々かつ自由にコントロールできるようになった。きっと、例の飲酒価値観が少しずつ変質しているせいだろう。
株式会社yutoriの「ゆとりくん」こと同社の片石貴展社長が、最近Xで「なんとなく会食=良い料理っていう共通概念あるから思考停止的にそうなってて別に嬉(うれ)しいわけじゃないし太りたくないんだよなー」「今後は、一軒目サラダのお店とかにサクッと行ってそのあとバーで飲み直すスタイルを流行させよう!」と言っていた。彼は会食におけるお酒というよりカロリーについて言及しているが、旧来型の会食への異議申し立てという点で僕と志を同じくしているはずだ。そして、同じ考えを持つ人はゆとりくんと僕だけではないようで、リプライ欄を見れば多くの賛同の声が上がっている。若者が飲みニケーションの場に来ない、という声をよく聞くが、きっと彼らは会食を否定しているわけではない。もっと自由な、現代型にアップデートされた会食を求めているだけなのだ。
勤勉にして優秀なビジネスリーダーである読者の皆さまに問いたい。会食でお酒を飲む必要、本当にありますか? 皆さん、本当に好きでお酒を飲んでいますか?
人と人とを繋(つな)ぐものは、別にお酒や食事だけではないはずだ。会社が終わったあとにお茶をするでもよし、テニスをするでもよし、あるいは散歩をするでもよし…… 科学的ファクトを伴った健康意識の高まりを踏まえて、新しい会食の規範を作っていけないだろうか? そのファーストペンギン役に、ぜひ名乗りを上げていただけたら嬉しい限りだ。
[日経ビジネス電子版 2025年5月27日付の記事を転載]