今回の「探訪!ひとり出版社」は、2014年の創業以来、一人で出版社「共和国」を運営してきた下平尾直(しもひらお・なおし)さんに話を聞いていきます。「共和国編」の1回目は、共和国というインパクトのある社名を付けた理由、はやりを追わないマニアックな企画作りなど、下平尾さんの出版哲学を伺います。

一人でやっているけれど“共和国”

共和国という社名にはインパクトがあります。下平尾さんが別のインタビューで「特に共和制を目指すために作ったわけではない」とお話しされているのを見ましたが、強いイメージを喚起する版元名ですよね。

 共和国という社名にした理由はいくつかあります。人に聞かれるたびにその場その場で、毎回違うことを説明してきました。今の感覚にいちばん近い答えを挙げるなら、「ユーモアで付けた」ですね。「共和国なのに株式会社共和国」「一人で、独裁制でやっているのに共和国」というギャップが面白くて。僕は主観的にはいわゆる左翼ではあるけれど、既存の「主義」や「イズム」に自分を委ねる語り方が苦手です。それでも、権威や権力に対しては反体制的な姿勢でいたいということです。

「共和国という版元名はユーモアで付けました」という下平尾直さん
「共和国という版元名はユーモアで付けました」という下平尾直さん

 共和国では、基本的に人を幸せにしない本は出さないようにしています。本というのは、本来読んで人を幸せにするものだと思うから。人間の豊かな感性をアップデートしたいから、出版を続けているのでしょうね。ですから、反体制的な本ばかり出しているわけではなく、基本的にはなんでも出します。映画史やミツバチの写真集も出版してきました。ただ、差別は絶対に許されないし、差別の再生産でしかないヘイト本を作るようなことはしません。例えば永山則夫さんのような犯罪者(1968年に4人を殺害し逮捕。1997年に死刑執行)であっても、優れた小説を書いているなら作品集も作ります。

2014年に共和国を創業して、11年間一人で出版社を切り盛りしてきて、どんなことを感じていますか。

 実は、ひとり出版社という感覚はあまりなくて。自分でできることは自分でやって、デザインや書店との取引、決算のように専門性が必要な部分は、それぞれのプロにお願いしています。開業当初から資金がなくて自宅を事務所にしたのですが、やってみたら自宅でも普通に仕事が回った。コロナ禍でリモートワークが一般化した時期に、多くの人が「自宅でも仕事はできるんだ」と実感したと思うのですが、共和国の場合は最初からそうしていただけなんです。

 たまたま一人で出版社を立ち上げることになっただけで、もしどこか別の業種の会社や組織に属していたとしても、結局は今のように一人でできることは一人で進めていたかもしれませんね。

 とはいえ、周りからひとり出版社と見られるのは当然です。今回の連載に声をかけてもらえるような機会も増えて、ありがたいです。最近はひとり出版社や独立系出版社というくくりでいろんな動きがはやっているようですが、本を作って世に出すという意味では、大手や中小はじめ他の出版社と同じ仕事なので、ひとり出版社であることを強調するつもりはないんです。一人で仕事をすることになったのはたまたまです。そういうくくりでまとまることより、自社を他社とどうやって差別化するかを考えてしまいます。

“日本で未発見の価値”をすくい上げたい

世の中で話題になっていないことを本のテーマとして選ぶリスクはありませんか?

 自分がしたいことをするために作った出版社なので、それをリスクと思ったことはないですし、「今ブームだから乗っておこう」と考えたこともないですね。一人しかいないので、自分でできることしかできないですから。

 例えば、SNSでたぬきの動画が人気になったせいか、『たぬきの本 里山から街角まで』(村田哲郎+中村沙絵+南宗明+上保利樹+萩野〔文〕賢一著)がよく売れ、3刷になりました。でも、23年の刊行当初、たぬきはニッチな題材でした。本書は信楽焼のたぬきの窯を分析したり、保護した子だぬきを育ててみたり、日本たぬき学会の新旧会長の対談を載せたりと、かなりディープな内容です。共和国の守備範囲とは少し異なるのですが、マニアックさに引かれて出版しました。もちろん、資金が潤沢にあるわけではないので、自転車操業もいいところというのが実情ですよ。

『たぬきの本 里山から街角まで』(村田哲郎・中村沙絵・南宗明・上保利樹・萩野〔文〕賢一著)
『たぬきの本 里山から街角まで』(村田哲郎+中村沙絵+南宗明+上保利樹+萩野〔文〕賢一著)

下平尾さんの著書『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)で、「その書き手の最初の単著と呼べるような本を出したい」と語っていました。

 翻訳出版の例だと、2016年に出した『塹壕の戦争1914-1918』(タルディ著/藤原貞朗訳)と『汚れた戦争1914-1918』(タルディ+ヴェルネ著/藤原貞朗訳)は、第1次世界大戦を題材にしたフランスでは有名なコミックです。作者のタルディは、フランスでは日本でいえば手塚治虫のような国民的作家で、誰でも知っている存在なのに、日本ではまったく知られていませんでした。そういう状況を知ると、「これはうちで出さなければ」と思ってしまうんです。もちろん内容が素晴らしいものだということは前提ですよ。

 その意味では、2017年刊行の『夜明けの約束』(ロマン・ガリ著/岩津航訳)も同じです。日本ではあまり知られていない価値を届けたくて刊行した本ですね。作者のロマン・ガリはフランスでは伝説的な文豪としてよく知られていますが、日本では邦訳が何冊か出ていたのにすべて絶版で、ブレイクしないままでした。ちょうど同作の映画版(シャルロット・ゲンズブール+ピエール・ニネ主演『母との約束、250通の手紙』)が日本で公開されることになって、それに合わせてガリの『凧』(永田千奈訳)も刊行したんです。でも、2020年のコロナ禍が直撃して上映開始後に映画館が軒並み休館になり、この映画も1週間ほどで打ち切りになってしまいました。このときは残念でしたね。

20年後にも残る本を作りたい

自分の守備範囲から外れたジャンルまで意識的に手がけて、しかも一人で刊行していくとなると、相当な仕事量になりますよね。

 例えば、2021年に刊行した武田麟太郎の『蔓延する東京 都市底辺作品集』には、発表当時、掲載禁止になった作品を収録しています。国会図書館にもない雑誌を古本屋で探すなどして、自分で編集しました。こういう仕事は、時間もコストもかかりますが、いつまで待っても他版元から武田麟太郎の本が出ないので、自分で作りました。このように自分が編者になった本を、他にも何点か出版しています。

『蔓延する東京 都市底辺作品集』(武田麟太郎著)。Tの字が印象的なブックデザイン
『蔓延する東京 都市底辺作品集』(武田麟太郎著)。Tの字が印象的なブックデザイン

研究者のようですね。

 そもそもが研究者崩れなんです。7年かけて大学を卒業して、大学院も博士課程まで7年いましたから。この『蔓延する東京 都市底辺作品集』は、都心から周縁部にまん延していく不良住宅や工場街、貧困をテーマにした文学ですが、工業地帯や労働者を追ったルポルタージュや都市論の要素もあります。

 武田麟太郎という作家には大学院生時代からこだわってきたし、やっていて楽しいんですよね。この本に限らず、他の出版物でも、一つのジャンルに収まらず、隣接領域にまで踏み込んでいくような仕事をしたいといつも思っています。

私(ライター石川)は新刊書店「ROUTE BOOKS」の選書を担当していますが、共和国の本はどのジャンルの棚に置いたらいいか分からないところがあります。

 それは意図的にそうしているかもしれません。2014年に『食べること考えること』(藤原辰史著)を出した当時は、食と歴史と思想を組み合わせた人文書があまり出ていなかったので、書店営業に行っても「どの棚に置いたらいいのか分からない」とはよく言われました。それでも既存のジャンルに収まらない本に魅力を感じてしまいます。

『食べること考えること』(藤原辰史著)
『食べること考えること』(藤原辰史著)

今では、いろんな食文化の本が刊行されるようになりましたね。下平尾さんは共和国を11年続けてきて、読者や社会の変化をどう捉えていますか?

 正直なところ、政治や社会の劣化があまりにも早すぎて、そうした変化に追い付いていけない(笑)。ただ、Amazonが登場して本の購入方法が変化したことは、自分自身を一人の消費者として考えても、強く実感します。共和国の本もAmazonでの売り上げが3~4割になっていますしね。

 読者についていえば、10年ほど前から「神保町ブックフェスティバル」に出店したり、最近は「本の産直市」という書店での即売会にも積極的に参加したりしていますが、コロナ禍を境にお客さんの顔ぶれが変わった気がします。10年もたてば、学生だった人が社会人になったり家庭を持ったりして生活環境や消費行動が変化したこともあるのかもしれません。書物の魅力が別の媒体に取って代わられてきている側面もあるのかなと思います。

 社会や読者の変化は出版の現場にも影響します。だからといってそれらの変化に合わせて本の内容やテーマの方向性を変える、ということはあまり考えていません。デジタルメディアと違って、本という媒体は一度印刷・製本して世に出たら、印刷し直すか重版の機会でもないと、なかなか修正できません。だから居直るわけではないんですが、刊行する側ははやり廃りばかり追いかけて右往左往する必要はないと思うんです。

 ファッションでも黒っぽい服が何年かに一度は流行するように、はやり廃りのほうが一回りしてこちらに追い付いて来るかもしれません。今は必要とされなくても、10年後、20年後に「こんな本があったな」と言われるような、読み捨てにできない本を作る出版社があったっていいんじゃないかと。それもひとり出版社だからできることではないでしょうか。

取材・文/石川歩 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝