テレビの報道記者を辞めて、ひとり出版社「小さい書房」を立ち上げた安永則子さん。安永さんの本作りは、作家を待つのではなく、自ら物語の種を見つけて企画を立ち上げるスタイルです。社会を変えるといった大きな理想を掲げるのではなく、読む人の心に小さな「考えるきっかけ」を残すような本作りを大切にしていると言います。「小さい書房編」第2回は、安永さんの本作りの舞台裏と、ゆっくりと熟成させていく企画の育て方を伺いました。
1回目「
小さい書房 安永則子 異業種からの挑戦『絵本作りはテレビに似ている』
」から読む
現役で働いている人の声を聞きたかった
『 大人のOB訪問 』(小さい書房編)は絵のないインタビュー集で、絵本が中心の小さい書房としては珍しい書籍ですね。
この本で私がこだわったのは、現役で働いている人に話を聞くことです。仕事が好きで追求し続けている人たちが、その職業に就いたからこそ見えている社会の姿や世の中で気がついたことを語ってもらいたくて作りました。とはいえ、現役で働いている方にインタビューをするのは簡単ではありませんでした。相手にとって私のインタビューに答えるメリットはほとんどないし、身元が特定されないように気をつける必要があります。それでも、社会が少しでも良くなってほしいという思いからインタビューに応じてくださる方がいました。その姿勢に、本当に頭下がりました。
『大人のOB訪問』は、医師や教師、食品メーカー勤務など、私たちの身近な職業の方に話を聞いています。知らないよりは知っていたほうが社会の潤滑油になれそうな、相手の立場を少しは理解できそうな本を作りたかったのです。例えば、同書の第2巻に登場する宅配便の配達員は「1件の荷物にかけられる時間は2〜3分」と教えてくれました。今は多くの人がネット通販で買い物をしますが、配達する側の気持ちを知ることで、不在にしないように気をつけようという気持ちになる人がいるかもしれません。読者全員が行動を変えるのは難しくても、数人でも他人に意識を向けてくれたら、軋んだ社会が、少しは滑らかになるような気がするんです。

小さい書房の出版活動は、社会を良くしていくことを意識しているのでしょうか。
そんなふうには考えていません。小さい書房のコンセプトは「考えるきっかけになる一冊」なので、どこか違和感があることを物語の種にして企画を立てるのは全ての刊行物に共通していますが、その根底にあるのは、私自身が面白いと思いながら仕事をすることです。結果的に自分が作った本が、社会の潤滑油のような役割を果たすこともあれば、うれしいとは思います。
自分で企画を提案する編集スタイル
安永さんの本作りの手法を教えてください。
出版業界に入ったとき、私には有名な作家との人脈がありませんでした。人気作家の前には原稿を待つ編集者の長い行列がある。本を出すまでに3〜5年待つことも珍しくないことを知って、私が行列の最後尾に並んでも順番が回ってくる保証はないと気づいたのです。ひとり出版社を立ち上げたばかりで時間的に余裕がなかったこともあって、作家を待つのではなく、自分で企画を提案するスタイルでいくしかないと考えました。
企画提案するにしても、相手は小さい書房の名前も私自身のことも知らないので、まずは「怪しい者ではありません」と伝えるところから始めます。そして、どんな本を作りたいのか、テーマ・仮タイトル・物語の種を記載してA4用紙1枚の企画書にまとめます。それを見てもらって、興味がなければ最初の段階で断ってもらう。それがお互いにとって良いと思うのです。実際に企画が通れば、少なくとも1年半はやり取りをすることになりますから。
企画はどんなふうに立てるのですか?
作家には、これまでの仕事の延長ではなくて、少し幅を広げるような企画の提案をすることが多いです。例えば児童書の絵本を書いていた方に、大人も読めるような絵本を提案することもあります。大手出版社と比べたら、宣伝力は象とアリくらい違いますから、作家のやりたい企画がすでにあるのなら大手から出したほうがいい。小さい書房の本は、作家が思いつかないような企画を持って行くことに意味があると思っています。作家にとっても、自分の新しい一面を試せる場になればいい。
もちろん作品を作るのはあくまで作家なので、私の企画案はたたき台でしかありません。例えば、『 せかいいちの いちご 』(林木林 作/庄野ナホコ 絵)は、私からの提案時は、主人公のシロクマはオスでした。実際に物語が作られていくうちに、作家の林さんが「女の子のほうが展開しやすいのでは?」と提案してくださって、メスに変わりました。こういった化学変化が起きて、作品が生まれる過程がこの仕事の醍醐味だと感じます。
「物語の種」は、どうやって生まれるのでしょう。
私は器用なタイプではないので、やりたい企画が多くあるわけではありません。自分が経験したことや、長く心にとどまり続ける何かから生まれます。普段から「これは物語の種になる」と意識しているわけではないけれど、数年間心に残っていたアイデアが「形になる」と感じたときに企画書にまとめます。中には、3〜4年前から頭の片隅にあったことが、今になって提案に至ることもあります。
雑務に追われずに経験を積み重ねながらじっくり企画を練り上げていくのは、編集者として理想的な働き方だと感じます。
大手出版社は年間に多くの本を出して事業を回していますが、小さい書房は年に1冊のペースで刊行しています。私は「本当に作りたい」と思えるアイデアが醸成されないと、企画書が書けません。企画書作りに丸1年かけるわけではありませんが、時代の変化を感じながら日々の暮らしで気づいたことなど、自分の中にアイデアをためていくんです。それに、作りたい本の企画がゆっくりとしか出てこないのは、ひとり出版社には合っているかもしれません。1年で数冊刊行しようとすれば、それだけ制作費もかかるし、従業員を雇用したらお給料を払うのに十分な稼ぎが必要で、自分のやりたくない仕事でもこなさないといけない。ひとり出版社なら、利益が少ないなりのシンプルな生活をすればいいと思っています。

個展の1枚から絵本になった『満ちている』
『 満ちている 』(ただあやの 作・絵)は、どんなふうに生まれたのですか?
ただあやのさんの個展で銀食器と黄色い花の絵が目にとまって、この絵を主人公にした絵本を作りたいと思いました。話を聞くと、以前絵本を作ろうとしたけれど、大人向けの作風では難しさを感じたということでした。そこで「小さい書房から、ただあやのさんらしさを失わない絵本を出しませんか」とお誘いしました。

これはティーカップが主人公の絵本で、ただあやのさんが下絵で描いたカップの中のウサギや蝶のモチーフから物語が広がりました。特に、彼女が提案した「月を見るシーン」を見たときに、この絵本は静けさをまとう、心に染み入るすごい絵本になると感じたのです。
『満ちている』というタイトルにも強い思い入れがあります。私が最初につけた仮タイトルは、子ども向けを意識したものでした。その後、装丁に入った段階で、デザイナーの中嶋香織さんから、もっと作品にふさわしいタイトルがあるのでは? と助言を受けて何度かやりとりを重ね、最終的に『満ちている』というタイトルになりました。中嶋さんの言葉がなければ、ここまで完成度の高い絵本にはならなかったと思います。ひとり出版社ではありますが、作品は私一人で作るものではありません。一緒に作っているみなさんの意見を取り入れながら、方向性のかじを取るのが編集者の私の役割で、みんなで作り上げていく過程がなにより楽しいのです。
取材・文/石川歩 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝