TBSテレビの報道記者から転身して、2013年にひとり出版社「小さい書房」を立ち上げた安永則子さん。これまでに刊行した本は13冊と、年1冊ほどのゆっくりした刊行ペースながら、書店と読者から息の長い支持を得ています。「小さい書房編」の最終回は、発売1カ月で重版を決めた『くじら図書館』の話から、「自分が好きな本」を軸に書店や読者とのつながりを大切にする安永さんの本作りの姿勢について伺いました。
1回目「
小さい書房 安永則子 異業種からの挑戦『絵本作りはテレビに似ている』
」
2回目「
テレビ局を辞めて出版社設立、「小さい書房」安永則子が作りたい本
」から読む
ファンタジーの中にリアルな感触がある『くじら図書館』
『 くじら図書館 』(ジドルー 作/ユディット・ファニステンダール 絵/川野夏実 訳)は、小さい書房から刊行された初めての翻訳本です。発売から1カ月で重版となりましたね。
小さな版元ですが、実は企画の持ち込みの話は多くいただきます。でも、私はゼロからものを作ることに醍醐味を感じているので、これまで持ち込みは受け付けてきませんでした。一方、1人で働いていて一番怖いのは視野が狭くなることです。そこで、1年に一度は「まだやったことのないことをやる」と自分に課していて、『くじら図書館』を刊行した年はまだ何も挑戦できていないタイミングでした。
そんなとき、オランダ在住の翻訳者・川野夏実さんからいくつかの海外作品の紹介と「これを訳したい」という熱意のこもったメールが届きました。基本的に持ち込みはお断りしていることを伝えたのですが、添付されていた資料の中で唯一『くじら図書館』が目に留まったのです。本文を確認したら、半分の仮訳にもかかわらず、すごく心を打たれました。本当に感動したんですね。翻訳本は権利交渉や契約などの手続きが面倒で、私のやりたいことではなかったのですが、この本は「自分でやってしまうな」と思いました。


『くじら図書館』のどんなところにひかれたのですか?
大きなクジラの体の中に図書館があるというファンタジーで、現実ではありえない設定なのですが、どこかリアルな社会に置き換えられる感触があるんです。小さい書房の本作りで大切にしているのは、どんな内容にせよ、私たちの生活に当てはめて考えられる、自分ごととして捉えられる物語であることです。それにピタッとはまりました。『くじら図書館』はイラストレーターも訳者も日本ではまだ有名とはいえないかもしれませんが、心を打つ素晴らしい作品です。だったらなおさら日本でも世に出したいと思ったし、たまたまご縁をいただいたのが私なら、その役割から逃げるべきではないと思いました。版元の小さい書房も無名だけれど、こんなにすてきな作品がありますよと言いたくて。
結果として『くじら図書館』は2025年5月の刊行から1カ月で重版を決めました。グラフィックノベルというジャンルは日本での認知度は低いのですが、絵本のように読めるという魅力を打ち出したことで図書館からの注文も予想以上に集まりました。
翻訳本を刊行する面白さに気づけたのですね。
そうですね。『くじら図書館』を出すまでは、すでに世の中にある作品に自分がどう関わるのかイメージが湧いていませんでした。この本は世界8カ国で翻訳されていて、オランダ語圏のコミックに贈られるWilly Vandersteen賞も受賞しています。もうすでに存在していて、最初から編集することができないなら、私がやる意味はあるのかと考えていました。ただ、実際にやってみると、単に外国語を日本語に置き換えるだけではない。ゼロからの創作ではないのに、私自身がこんなに感動させてもらえるのかと驚きました。作品を紹介してくれた川野さんに本当に感謝しています。
もうからないなら、インスタントラーメンを食べればいい
安永さんは1人で出版社を立ち上げるとき、 夏葉社の島田潤一郎さん に話を聞きにいったのですよね。
そうですね1人分の食いぶちを稼げるかどうかが、ひとり出版社を立ち上げる際の1つの判断基準でした。それで、当時すでにひとり出版社として知られていた島田さんに話を聞きに行きました。また、『 ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏 』(岩田博著/無明舎出版)という本も読んで、岩田さんや島田さんのようにひとり出版社を続けている方がいるのだから、自分もできるはずだと思えたし、続けられるように努力しなければいけないと考えました。
それでも、小さい書房設立から5年間は赤字だったと聞きました。
はい。もう真っ赤っかです。本を作って販売しても、その売り上げが私の元に入ってくるのは約7カ月後です。ですから、最初の本の制作費は印刷代から著者への印税まですべて持ち出しです。どんな本を作りたいかによっても経費は大きく変わってきます。ハードカバーの絵本と並製本なら、後者のほうが手頃な価格で挑戦しやすい。いろんな方の話を聞いても、結局は自分の作りたい本によって経費も異なるので、ある程度アバウトに構えていないと本作りに集中できません。

基本的に小さな出版社は3〜5年かけて増刷を目指すのがセオリーのようですが。
小さい書房はセオリーを気にするほどもうかっていないので、数年後黒字になればいいという感覚でやってきました。私は、本作りに集中したいんですね。ですから「お金が尽きたらインスタントラーメンを食べて暮らせばいい」と、そんな気持ちで始めました。
とはいえ、生活に必要な分は稼ぎたいという気持ちはありませんか?
だから、人を雇っていないんです。スタッフを抱えて誰かの人生を預かる立場になれば、絶対に今のような本作りはできません。私は1人の個人事業主として出版を始めて、最初に手元資金として約600万円を通帳に入れました。もちろん、残高が減っていく怖さはありましたが、出て行くお金が少なければ、そこまでびくびくする必要もありません。残高がなくなったら、アルバイトをしようと思っていました。
設立当初からもうけの少ない業種であることは分かっていたので、多くの収益を見込めないのは織り込み済みでした。それでも、たまたまロングセラーが生まれなければ手元資金は底をついていたと思いますので、私のやり方を他の人におすすめは、全くできません。
確かに、出版は利益率の低いビジネスです。
そうですね。大きく収益を上げたいなら、ひとり出版社をやることはおすすめしません。それでも私は著者に「ひとり出版社から出したから売れなかった」と感じてほしくはないです。本を出したからにはきちんと売りたいという気持ちでやっています。
1人で出版社をやっていて、販促営業をする時間はあるのですか?
そもそも私は編集だけをしていたい人間なので、営業はそんなにやっていないです。ただ、本屋さんと、その先にいる読者を大切にしたいとは思います。本がしっかり生き残っていくためには、ある程度のコストを本の価格に転嫁しないといけない時代だと認識しています。一方で、読書から人が遠ざからないために手に取りやすい価格に抑えたいという思いも強くあります。私の中でこの2つの気持ちがせめぎ合っている状態ですが、1人で出版社をやっている分、ある程度は市場原理を意識した価格設定を実現できていると感じています。大手出版社のように、「利益率○%以上を確保する」といった緻密な計算ではなく、「自分が買うなら、いくらまで払うかな」という感覚を大切にしながら本の価格を決めています。
小さい書房は、書店でのトークイベントや原画展を開催されていますよね。
読者がリアル書店で本を買うきっかけをつくるために、書店でトークイベントや原画展をしています。書店に利益をもたらすことは版元の使命だし、積極的にやっていかないといけないことだと思っているので。
本は1冊売って数百円の利益という利益率の低いビジネスなので、気軽に出張に行けるわけではありません。設立から5年間は出張する余裕がなかったし、今でも潤沢な利益が安定して出ているわけではないのですが、お世話になっている書店員の皆さんに直接会ってみたいんです。書店から依頼があればトークイベントを開催して、編集の立場から製作の裏話や著者の思いを伝えます。本作りの過程の話を予想以上にお客さんが喜んでくれてうれしいです。このような体験とセットで本を届けていくことが、書店で本を買う人を増やすためには必要だと思っています。
原画展も、本を知ってもらうための宣伝活動の1つとして捉えています。正直なところ、原画展単体での利益は期待できません。ただ、小さい書房のように年に1冊しか本を出さない版元の本は、日々出版される多くの本に埋もれてしまいます。各地で原画展を開催することで、もう一度小さい書房の本を思い出してもらって、サイン本などを通じて本を知る人を増やすことにつながればいいと思っています。
安永さんは、最近の書店をどう見ていますか?
本に関わるビジネスは、書店も出版社も本当に利幅が小さいです。厳しい状況の中で、小さい書房のような発行点数の少ない版元の本を、限られた棚に置き続けてくださる書店があることが本当にありがたいです。だからこそ、小さい書房の本が書店にとって迷惑な存在にならないように、私にできることがあれば何でもしていきたいのです。
それに、私はこれまで出した13冊すべての本が好きです。自分が好きな本でなければ、誰かにすすめられませんよね。好きだから発行から何年たっていても大切にするし、原画展などを通じて小さい書房の既刊本を思い出してもらえるように活動を続けています。
取材・文/石川歩 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/木村輝