「界隈(かいわい)」の内側で起きていることを観察してみると、立派な経済の流れが見えてくる。(1)ちょっとした共通体験 →(2)内輪ノリとしての盛り上がり →(3)外部へのじわじわ拡散 →(4)気づけば市場が動いている。界隈からヒット商品が生まれ、市場が拡大していくメカニズムについて、日経プレミアシリーズ『界隈経済圏 「平成女児」「風呂キャンセル」から「伊能忠敬」「皇居ラン」まで』(牧口松二著)からの抜粋で解説していく。

誕生から成長に至る4つのステップ

 ここでは界隈経済圏の形成メカニズム、つまり誕生から成長に至るプロセスを整理してみます。そこにはだいたい4つのステップがあります。

  • (1)きっかけの瞬間:どんな瞬間に界隈が生まれるか?
  • (2)内輪の熱狂:どこで商品やサービスと結びつくか?
  • (3)熱の拡散:どんなふうに人を巻き込んでいくか?
  • (4)市場シフト:どうやって「経済圏」が広がっていくか?

図表 界隈経済圏の形成
図表 界隈経済圏の形成/(出所)『界隈経済圏』(牧口松二著)
(出所)『界隈経済圏』(牧口松二著)
画像のクリックで拡大表示

ステップ(1)きっかけの瞬間

 界隈の始まりは、大げさなものではありません。「仕事帰りのエレベーター前」や「布団の中でスマホをいじっている夜中1時」みたいな、生活の片隅のようなところでタネがまかれ、ひっそりと芽を出していきます。

 例えば、誰かがぽろっと「これ、平成女児って感じしない?」とつぶやく。あるいは、「最近、アプリの地図を塗って歩いているんだよね」とつぶやくと、「それ、ほぼ伊能忠敬じゃん」とちゃかされる。そんなアドリブ的な一言が、小さな共通体験に「名前」を与える瞬間になります。「あ、今のフレーズ、ちょっとしっくりくるな」と思った人の頭の中に、見えないフォルダが1個ポンとできるイメージです。

 この「名前がつく瞬間」が、界隈のタネまきにあたります。それなりの人たちが共通して思っていること・体験してきたことなどを「○○っぽいよね」「それ、まさに××界隈」と指させるラベルが生まれます。バラバラだった体験や感情が、少しずつ同じ箱に放り込まれ始めます。

 本人たちに自覚はなくても、「なんとなく似たもの同士」を集める磁石が、そっと置かれた状態です。

 もちろん、このタネがすべて芽を出すわけではありません。その場のノリだけで忘れられてしまって、翌日には誰も使っていない「名前」も山ほどあるでしょう。それでも、ときどき「妙にしっくりくる名前」が生き残ります。数人が使い回し始め、「あ、それわかる」「その表現、いいね」と小さく共感が重なっていく。そうして初めて、界隈としての芽が、土の中から顔を出します。

ステップ(2)内輪の熱狂

 界隈が生まれると、次に起きるのは「内輪ノリ」の熟成です。ここから先は、よくあるファンマーケティング的な「ブランドを中心にファンが集まる」構図とは、向きが逆になります。あくまで主役は、界隈の人たちの価値観や笑いのツボ、生活スタイルであって、商品やサービスはそのノリを支える「道具」ポジションに回されるのです。

 このフェーズでは「ナラティブ」=それぞれの人が自分の言葉で語る体験談が大事になります。「昨日こんなことがあってさ」「これ、界隈っぽくない?」といった日常会話レベルのつぶやきが、タイムラインのあちこちにポコポコと生まれては流れていきます。

 例えば、「残業でクタクタだけど、この○○を飲むと、もう一度だけ人類を信じられる」みたいなポストが出てきて、それに「わかる」「それ界隈の公式ドリンク」といったリプライがつく。誰も「公式」だなんて決めていないのに、そうしたナラティブの応酬=それぞれの人が自分の言葉で語る体験談を通じて、「界隈の世界観にぴったりくるアイテム」が、少しずつ浮かび上がっていきます。

 重要なのは、最初から商品の宣伝があるわけではないという点です。ファンマーケティングでは、ブランド側が「この世界観、好きな人は集まって!」と旗を振り、そこにファンが集まります。一方、界隈では先に「この感じ、好きな人たち」がゆるく集まり、その輪の中で「このノリを一番気持ちよく支えてくれる道具って、これじゃない?」と自然に選抜が行われていきます。

 こうして、「あのリュックがあると界隈っぽい」「そのスタンプを使ってると、同じ穴のムジナ感が出る」といった合図が増えていきます。すると、新しく入ってきた人も、「とりあえずあれを買っておけば、界隈の住民票がもらえそうだ」と理解し始めます。界隈の人々が勝手に「うちの必需品リスト」を作成していくイメージです。

 このようにして、内輪ノリの中で交わされる無数のナラティブの中から、商品やサービスが「界隈御用達アイテム」としてじわじわ位置づけられていきます。ブランドが旗を振った結果としてファンが生まれるのではなく、先に小さな人間関係と笑いの文脈があって、そのすき間をぴったり埋める形でアイテムが選ばれる。ここに、界隈経済圏ならではの、静かだけれど強力なメカニズムが動いているのです。

ステップ(3)熱の拡散

 界隈の住人(界隈民)は、「世の中を変えよう」なんて大それたことは考えていません。せいぜい「今日も生き延びたので、とりあえずこのネタで笑っておくか」くらいのテンションです。タイムラインの片隅で、身内だけがわかる言い回しや、界隈特有のハッシュタグを投げ合いながら、「わかる人だけわかればいいよね」とニヤニヤしている。それは、世界を動かすムーブメントというより、深夜のグループチャットに近い、こじんまりとした安心圏です。

 ところが、その内輪ノリがあまりに楽しそうだと、外側の人間が「なんか知らないけど、あそこだけ異様に盛り上がってない?」と気になり始めます。そこで登場するのが、コンテンツとメディアです。

 界隈民が、自分たちのネタをまとめたnoteを書いたり、解説つきのスレッドを立てたり、「界隈あるある」を漫画にしたり、ショート動画で再現してみたりする。あるいは、第三者のライターや編集者が「最近、X(旧Twitter)でこんな不思議な界隈が生まれている」という記事を書くこともあります。「いやいや、そんな大したものじゃ……」と言いつつ、取材にはちゃっかり答える界隈民、というお決まりの流れが発生します。

 こうして生まれたコンテンツは、界隈の外側の人にとっての「翻訳装置」になります。もともとの内輪ノリは、専門用語と暗黙知だらけで、初見の人には何を笑っているのかさっぱりわかりません。それを、「平成の小学生文化を、今っぽく楽しみ直している人たち」「歩数計アプリを、冒険ゲームとして遊んでいる人たち」といったわかりやすいタグに変換してくれるのが、解説記事や動画といったコンテンツなのです。

 その結果、「自分は界隈の人間ではないけれど、なんとなく雰囲気はわかる」「ちょっとだけのぞき見してみたい」という人たちが増え、界隈の周りにうっすらと見物客の輪ができていきます。

 さらに、この段階まで来ると、マスメディアや企業も「なんだか話題らしい」と気づき始めます。テレビの特集で界隈がちらっと紹介されたり、雑誌のトレンド欄に小さく載ったり、コラボ企画として商品化の話が持ちかけられたりする。

 もちろん、界隈民の中には「ついにうちも地上波デビューか」と盛り上がる人もいれば、「もう終わったな」と斜に構える人もいます。いずれにせよ、ここまで来ると内輪ノリはすでに界隈の外側へじわじわにじみ出ています。

 本人たちはただ「いつものノリ」を続けているだけなのに、その断片がコンテンツやメディアに拾われ、気づけば社会の情報流通の中に組み込まれてしまう。これが、ステップ(3)「熱の拡散」で起きていることの正体です。

ステップ(4)市場シフト

 最後のステップは、「市場シフト」です。ここまで来ると、「あの界隈って、そもそもどこから始まったんだっけ?」というくらい、界隈発のノリが日常の風景に溶け込んでいます。もはや一部のマニアの会話ではなく、「まあ今はそういうものだよね」と、特に説明もされずに受け入れられている状態です。

 具体的には、売り場や広告、商品設計の「前提」が少しずつズレていきます。コンビニの棚に、いつの間にか「平成レトロ風お菓子」が当たり前の顔をして並び始める。アプリを開くと、「今日はこのルートを征服しました、おめでとうございます」とゲーム口調で褒めてくる。バスの中吊り広告に「今日は風呂キャンセルしてもいい日です」と書いてあっても、誰も驚かない。こうした「ちょっと前なら企画会議で却下されていたであろう発想」が、普通に通るようになっているのが、市場シフトのサインです。

界隈発の商品がコンビニの棚に並ぶことも(写真はイメージ)(写真:oka/stock.adobe.com)
界隈発の商品がコンビニの棚に並ぶことも(写真はイメージ)(写真:oka/stock.adobe.com)
画像のクリックで拡大表示

 面白いのは、この時点では、企業側も生活者側も、「界隈の影響でこうなりました」とはあまり自覚していないことです。企業は「最近こういうテイストが受けるらしい」「若い人の間でこういうニーズがあるらしい」とリサーチをもとに企画しているつもりですし、生活者も「気づいたらこういう商品が増えたから、なんとなく選んでいるだけ」と感じています。

 けれど、その「テイスト」や「ニーズ」の源流をたどると、小さな界隈の内輪ノリに行き着く。つまり、市場は界隈に感化された形で少しずつ姿を変えているのに、そのこと自体はきれいに忘れられている、というわけです。

 こうして、界隈経済圏が発信した価値観は、「一部のオタクの趣味」から、「みんなの当たり前」へと静かに昇格していきます。最初はごく限られた人たちの笑い話だったものが、数年後にはビジネス書で「新トレンド」として紹介される。マーケターがあとから「Z世代のインサイト」と言語化する頃には、元の界隈はすでに次のネタで盛り上がっているかもしれません。

 市場シフトは、そのくらい地味で、そのくらい後からしか気づけない、じわじわ型の変化なのです。

「界隈」を経済圏として捉え、そこでの市場開拓を成功させるポイントを解説。界隈経済圏の形成メカニズム、従来のコミュニティとの共通点と相違点、商品やサービスが「界隈の必須アイテム」へと押し上げられていく流れ、界隈経済圏の攻略法などを事例とともに紹介する。

牧口松二著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)