本に関わる人たちが一丸となって読書の秋を盛り上げる、読書推進キャンペーン「本との新しい出会い、はじまる。BOOK MEETS NEXT 2025」が2025年10月25日から始まり、11月23日まで開催された。それに先立って10月24日にオープニングイベントが開かれ、会場の紀伊國屋ホール(東京・新宿)は本好きの老若男女が集まり満席となった。今回は、歌人の俵万智(たわら・まち)さんと、動物言語学者で『僕には鳥の言葉がわかる』の著者・鈴木俊貴さんのスペシャルトークショーの後編をお届けする。
すぐに答えを得られるのは幸せなこと?
動物言語学者・鈴木俊貴さん(以下、鈴木) 僕は俵さんの近著『生きる言葉』(新潮新書)に共感するところがたくさんありました。その1つが、息子さんと石垣島に行かれたときのこと。息子さんに、今はゲームの中のマリオじゃなくて、自分自身がマリオになって自然の中で遊んでごらん、と声をかけられたんですよね。僕は、それはすごく大切なことなのに、現代社会ではかなり軽く見られているのではないか、と思うんです。
僕は小学校や中学校で講演をやるとき、虫捕りをやったことがある子に挙手してもらうんですが、やったことがある子は15%未満です。つまり、大半が虫捕りをやったことがない。僕の場合、鳥だけでなく虫も好きだから、放課後は林に行ってそのときどきの“旬の虫”を探すのが日課でした。今の子たちも大差ないと思いきや、親御さんが土に触っちゃいけない、と言う人もいるらしいんです。
歌人・俵万智さん(以下、俵) 親御さんは衛生面を気にして、土に触っちゃいけない、と言われるんでしょうが、子どもの成長の機会を奪っていると思うと、なんとも残念な気持ちになりますね。自分で虫や土に触って、これはなんだろう? どうなってるんだろう? と疑問に思う体験をぜひしてほしい。今は、分からないことがあればAI(人工知能)が何でもすぐに答えてくれる時代ですが、実体験に勝る学びはありません。
鈴木 AIはとても便利なものですが、うまく付き合わないと、情報を効率的に得ることや答えをすぐ得られることだけが、自分にとっての幸せだと思い込んでしまう危うさがありますよね。
東京大学准教授、動物言語学者
俵 小学校の教員の方に聞いた話ですが、最近はAIに読書感想文を書かせる子がいるんですって。やたら立派な感想文が出てくるからすぐ分かるそうですが、子どもたちはいかにバレないようにするか、ということに工夫を凝らすとか(笑)。
教員は、別に立派な感想文が欲しいわけではないんですね。私も、国語の教員をしていた経験があるので分かります。読んだ本を読みっぱなしにしないで、どこが面白かったかな、どこに一番感動したかな、と内容を振り返って味わい直してほしいんです。それを、つたなくていいから自分の言葉で記すことで、自分はこういうふうに感じるのか、と気づきがあったり、記憶として定着したりする。その過程こそ、読書感想文を書く意味なんです。それをAIにやらせてしまうのは、ものすごくもったいないことだと思います。
短歌は自由 時には57577の定型をはみ出して
俵 短歌をものすごく早く、たくさん作るAIもあるんですよ。短歌も、過程があってこそ詠(よ)む意味があるわけですから、それをAIにさせるのは、歌の醍醐味を味わってないことになります。短歌は、日々のいろんな経験の中で、自分が心を揺らしたものは何だろう、と味わい直しながら言葉を探していくものですから。
鈴木 僕は、俵さんの子育て歌集『たんぽぽの日々』(小学館)の「さくらさくら さくら咲き初め咲き終わり なにもなかったような公園」という歌がすごく好きで。「さくらさくら」って、いきなり字余りスタートですよね。でも、繰り返したほうが春が来た高揚感が伝わって、桜が咲いている情景が思い浮かぶ。かと思ったら、咲き終わるまでが早い。まさに桜の花の命そのもので、本当に、なんて美しい歌なんでしょう!
俵 定型の57577のリズムはとても力をくれるものですが、時には技法として、はみ出したり、またがったりしてもOKです。この歌は、結局、何もなかったような状態に戻った公園を描いています。でも、これを読んだ人の頭の中には、桜が咲き誇って散りゆく様が浮かぶと思います。
そんなふうに、心に浮かぶものも描くことができるのが、短歌の、あるいは言葉の面白いところかなと思います。ぜひ、鈴木さんにも短歌を作ってもらいたいなぁ。動物言語学者の鈴木さんにしか詠めない世界があると思うので。
歌人
鈴木 実は、ひそかに“生き物短歌”ができるかもと思ってまして。一首、いいですか?
俵 なんと、すでに作られてましたか!
鈴木 夏の終わりに、アブラゼミがひっくり返っていたのを見てパッとひらめいた歌です。「アブラゼミ ひっくり返って 落ちている もう鳴けないね いやメスだから」。アブラゼミがひっくり返っているのを見た男女がいて、女の子が「もう鳴けないね」と言うんですが、そのセミはメスで、そもそも鳴かないことを知っている男の子が「いやメスだから」と言う、と。
俵 漫才のノリツッコミみたいな軽妙さが、ユニークな鈴木さんらしくて、とてもいいですね。
読みやすい文章は「音」の響きがいい
俵 私が聞きたかったのは、鈴木さんの著書『僕には鳥の言葉がわかる』(小学館)は一般書で、ふだん書かれている論文とは性質がまったく異なりますよね。論文の読者は主に研究者で、データに基づいて、客観的かつ論理的に書くと思います。一方、一般書の場合はいろんな人に、いろんな受け取り方をして楽しんでもらうものです。具体的に、どんな点に気をつけて書かれましたか?
鈴木 難しい専門用語をはじめ、グラフや表も見るのが苦痛な人がいるだろうから、使わないようにしました。図解して伝えたいことは、自作のイラストで解説しました。中学生でも読めることを意識しましたが、実際は小学生にもたくさん読んでもらっています。小学3年生の子から、「僕はフクロウの研究者になりたい」と書かれた感想文をもらいました。
あと、気をつけたことは、「音」です。読みやすい文章というのは、音の響きがいいと思うんです。僕はそれを、俵さんのエッセイや論評で学びました。俵さんの文章はまるで短歌のように音の響きがよくて、心地よさを感じるほどに読みやすいんですよね。それに少しでも近づけるように、僕も自分の原稿を何度も音読して確認しました。
俵 私は鈴木さんの著書を読んで、シジュウカラからすごく学ぶことがあるな、と思いました。シジュウカラは、基本的に自分と仲間の命を守って、生きるために言葉を使いますよね。だから、言葉が良質なコミュニケーション手段になっている。人間にとっての言葉も、本来はそういうことのためにあったはずだよな、と。でも、今の人間は誹謗(ひぼう)中傷をしたり、発言者の本意ではない切り取り方をして陥れようとしたりして、本来の言葉の使い方ではない場面を頻繁に見かけます。
今は、かつてないほどに、eメールやSNS(交流サイト)で文章を書いて他者とコミュニケーションする時代ですよね。ネット上では、会ったことがない人同士でやり取りするのがもはや当たり前。だからこそ、言葉を大切に使って“言葉の足腰”を鍛えたい。気を抜くと、人は言葉に使われてしまいますから。
取材・文/茅島奈緒深 構成/白石賢(日経BOOKSユニット) 撮影/尾関祐治



