経営は「アート」であり、「サイエンス」ではない――。14年半にわたり連続増益を達成したすご腕経営者、ハロルド・ジェニーンの強烈なメッセージが次々に飛び出すベストセラー 『プロフェッショナルマネジャー』 (ハロルド・ジェニーン、アルヴィン・モスコー著/田中融二訳/プレジデント社)を、楠木建・一橋ビジネススクール教授が読み解きます。連載第1回は経営理論について。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 から抜粋。

苛烈なメッセージが次々に

 著者はハロルド・ジェニーン。邦訳の副題は「58四半期連続増益の男」です。1959年にITTという企業の社長兼最高経営責任者に就いた彼は、副題にあるように14年半にわたり、連続増益という成果を出したすご腕経営者です。当時のITTはM&Aを通じ、エイビス・レンタカーやシェラトン・ホテルなど350社を傘下に収め、巨大コングロマリットに成長しました。

 本書は40年近く前に書かれた本です。往時の巨大企業ITTもすでに存在しません(同社はジェニーンの引退後に解体)。「コングロマリット」という経営形態も今や時代遅れの感があります。

 しかし、「経営」という仕事の本質は今も昔も変わりません。一流の「経営の教科書」としての本書の価値は古びていません。率直かつ苛烈なメッセージが、プロの経営者の肉声として、次々と飛び出します。「経営」という仕事を志す人に、自信をもってお薦めできる本です。本書を読めば、経営とはどういう仕事か、経営者の持つべき覚悟とは何か、自分が経営という仕事に向いているかどうか、たちまちにして分かるでしょう。

経営の本質は今も昔も変わらない(metamorworks/shutterstock.com)
経営の本質は今も昔も変わらない(metamorworks/shutterstock.com)
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 ジェニーンが強調しているのは、経営は「アート」であり、「サイエンス」ではないということです。彼は皮肉たっぷりに言います。「趣味や服装の流行のように、次々に現れては消える『最新の経営理論』を当てにしていては、経営なんかできるわけがない。どんな理論も複雑な問題を一挙に解決してくれるということはありえない」

 経営者が直面する問題は、単に複雑なだけではありません。それぞれの会社の成り立ちや実情に影響を受けるものであり、しかも前例のない1回限りのものです。単純な公式で解けるわけがありません。自然科学などとは異なり、「こうやったらこうなる」という法則はそもそも経営には存在しないのです。

 本書が経営書として傑出しているのは、「アートとしての経営」の教科書であるということにあります。

「セオリー・俺」とは何か

 ジェニーンはアートとしての経営を正面から見据えた経営者です。本書の最初に出てくる「セオリーG」という話でいきなり主張が全開になります。要するに「セオリーなんかじゃ経営できない」というのがジェニーンの言いたいことです。

 セオリーGのGは、ジェニーン(Geneen)のG。つまり「セオリー・俺」ということです。これにはちょっとした背景の説明がいります。

 ご存じの方も多いと思いますが、全盛期の半ばにダグラス・マクレガーという高名な経営学者がいました。彼が提唱した「セオリーX・セオリーY」は一世を風靡(ふうび)した「経営理論」です。

 簡単に言えば、前者は「人は本来サボりたい生き物である」という性悪説の経営で、後者は「人は本来すすんで仕事したい生き物である」という性善説の経営です。マクレガーの「セオリーX・セオリーY」は、「セオリー」というよりは、経営の前提となる人間観の違いを捉えた洞察として理解するのが適切でしょう。

 XとYのどちらに人間観を置くかによって、あるべき経営はまるで変わってきます。20世紀前半まではセオリーXを前提とする経営が支配的だった。しかしこれは過去のもので、これからはセオリーYの立場に立った経営が求められる。これが当時のマクレガーの主張でした。

「セオリーZ」の登場

 ところが、しばらくたつと、これにかぶせる形で「セオリーZ」というのが出てきました。1970年代の日本的経営ブームの流れと重なってベストセラーとなったウィリアム・オオウチ(日系3世のアメリカの経営学者)の『セオリーZ』です。

 今の新興国のように、当時の日本経済は伸び盛りでした。自動車、カメラ、テレビなどが怒涛(どとう)のようにアメリカに輸出されました。それまでは低コスト・低価格の象徴だった「メイド・イン・ジャパン」が、その優れた品質を武器に、「ハイテク分野」でも米国市場を席巻します。元気いっぱい、青春真っただ中の日本企業からの挑戦を受けて、米国企業はタジタジとなりました。

 アメリカから見た日本企業のマネジメントの「不思議な特徴」は、いつの間にか「日本的経営」として注目されるようになりました。チームワークを支える和の精神、所属する企業への従業員のコミットメントと一体感、毎日朝礼で社歌を歌う、職場全員で旅行、秋には家族も一緒に運動会、会社は「家」であり組織は「家族」。

 隔世の感がありますが、当時のアメリカ人やアメリカ企業にとって、こうした特徴を持つ「日本的経営」は「経営のベスト・プラクティス」として認識されていました。

1970年代以降、日本から自動車、カメラ、テレビなどがアメリカへ大量に輸出された(写真はイメージ。CAPTAINHOOK/shutterstock.com)
1970年代以降、日本から自動車、カメラ、テレビなどがアメリカへ大量に輸出された(写真はイメージ。CAPTAINHOOK/shutterstock.com)
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 今から考えれば、当時の「日本的経営礼賛論」には、日本企業が文化的、時代的文脈の中で自然にやっていたことが、普遍的に有効な経営モデルとして安易に強調されすぎていたという面があります。しかし、当時の日本企業(特に製造業)の勢いを考えれば、セオリーZにはそれなりの説得力がありました。

 ジェニーンがこの本を書いていた頃は、「セオリーZ」に象徴されるような、日本的な経営が大はやりでした。家族主義的な経営、終身雇用、バランスのとれた経営者の教育、労使協調などを通じて、従業員に国や家族に対するのと同様の忠誠心を会社に対して持たせる。こうした精神的インフラがあるから、不断の品質改善が進む。みんなせっせと働く。

 これに対して、その頃のアメリカは「セオリーZ」の正反対だとされ、問題視されていました。短期雇用が基本で、職業の専門化が進み、個人的な忠誠が優先して、会社への忠誠心が犠牲になっている。こんな対比がまことしやかに論じられたものでした。

礼賛された「日本的経営」の虚実

 こうした当時の論調に対するジェニーンのリアクションは実に明快です。「思いやりのあるバラ色の日本の職場と、寒々としてストレスに満ちたアメリカの職場」という対比は単純すぎる。仮にその通りだったとしても、アメリカには個人の自由と機会の平等の伝統がある。これを温情主義や謙譲、無私といった日本に固有の価値と本当に交換したいと思うアメリカ人がどれだけいるだろうか。

 確かに日本には優れた点が多々ある。だから日本は産業の発展と繁栄を成し遂げた。しかし、日本人の価値観は何世紀にもわたって培われた文化的文脈の中で、他にはありようのない発展の仕方で形成されたものだ。アメリカの価値観もまたしかり。自己の能力に応じて学び、成長し、稼ぐ自由こそがアメリカを支えてきた価値観であり、それのどこがいけないのか、とジェニーンは言い切っています。

 100%賛成です。これは良いか悪いかの問題というよりも、「社会の持ち味」の違いにすぎません。マネジメントの手法やツールは選べます。しかし、持ち味は選べません。その時点で目を引く「ベストプラクティス」にとかく目を向けがちなのですが、本当の経営者はどうやっても変えられない「持ち味」の方を重視するものです。

 その後の日本の成り行きも似たり寄ったりでした。1990年代になると、「セオリーZ」はどこへやら、バブルがはじけて日本的経営はもうダメだ、お先真っ暗だ、それに比べてアメリカの経営はなんと優れていることかという論調が幅を利かせました。実際に、アメリカのまねをして「経営革新」をした企業も後を絶ちませんでした。

 それでどうなったでしょうか。セオリーGでジェニーンが指摘していることを裏返せば、そのまま近年の日本の経営の迷走ぶりを反省するいい材料になります。

 ジェニーンはさらに議論を進めます。セオリーZだの日本的経営だのと言っても、それはアメリカから日本へ出かけていった観察者たちが、グループ討論とか、社歌の合唱とか、工場の笑顔といった表層的なものを見て、「オーマイガッ! これこそ日本的経営の秘密だ!」などと興奮しているだけなのではないか。実務の意思決定の部分では、日本もアメリカも同じ企業経営、さして違わないはずだ。品質管理、生産計画、市場調査、財務管理といった部分で、日米の実務家がやることはほとんど変わらないはずだ、というのがジェニーンの醒(さ)めた見解です。

 「経営理論」は信用しないにしても、非常に客観的でロジカルなものの見方をする人だということがよく分かります。流行の「理論」に惑わされることなく、本質を見よというシンプルなメッセージに僕は大いに感動をおぼえました。

『プロフェッショナルマネジャー』の名言
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