「経営は成果がすべて」。14年半にわたり連続増益を達成したすご腕経営者、ハロルド・ジェニーンの強烈なメッセージが次々に飛び出すベストセラー 『プロフェッショナルマネジャー』 (ハロルド・ジェニーン、アルヴィン・モスコー著/田中融二訳/プレジデント社)を、楠木建・一橋ビジネススクール教授が読み解きます。連載第2回は経営者の役割について。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 から抜粋してお届け。
経営とは成果以外の何物でもない
本書の原題はずばり “Managing”。経営とは成果をもたらすことであり、マネジャーとは成果をたたき出す人間である。これが著者であるハロルド・ジェニーンの信念でした。
仕事についてはドライでプラグマティック。彼にとって、経営とは成果以外の何物でもありません。経営論とは突き詰めれば3行で終わると喝破しています。「本を読むときは、初めから終わりへと読む。ビジネスの経営はそれとは逆だ。終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ」
この本は「やろう!」と題された最終章をこんな言葉で締めくくっています。「言葉は言葉、説明は説明、約束は約束……何もとりたてて言うべきことはない。だが、実績は実在であり、実績のみが実在である――これがビジネスの不易の大原則だと私は思う。実績のみが君の自信、能力、そして勇気の最良の尺度だ。実績のみが君自身として成長する自由を君に与えてくれる。覚えておきたまえ――実績こそ君の実在だ。他のことはどうでもいい」
真実を突いた言葉です。芸能人のようなスター経営者にスポットライトが当たる昨今、「セレブ」になりたいだけで経営者を目指す輩がいます。しかし、著者の言う「優れた経営者」は地味な存在で成果がすべて。スポットライトが当たるのは成果であって、本人ではありません。経営者というのは「割に合わない」仕事だと考えた方がよい、と彼は言い切ります。
著者は58四半期連続増益という偉業を成し遂げた名経営者でした。にもかかわらず、この本には驚くほど「自慢話」がありません。理論なんかで経営はできない。優れた経営にアメリカも日本もない。誰かの成功事例や、学校で習った知識が役に立つような甘いものではない。国も時代も超えた本質をつかみ取ってほしいという思いだけでジェニーンはこの本を書いたに違いありません。
自慢でもなく、記録でもなく
もちろん僕は直接お目にかかったことはありませんが、ハロルド・ジェニーンは一見して「いい人」では決してなかったと思います。はっきり言えば、お世辞も言い訳も一切通用しない、経営の裏も表も知り尽くした、とにかく「おっかないジジイ」というイメージです。
僕は経営者の評伝や自伝、回想録を人よりずいぶん多く読んでいる方だと思いますが、これほど無私な本にはお目にかかったことがありません。自慢でもなく、記録でもなく、懐古でもなく、自分の経験を凝縮した経営の教科書としてこの本を書いています。怖いけれども偉いジジイです。
本書の素晴らしいところの一つに、エピソードがとても豊かなことが挙げられます。本質的な経営の原理原則であるほど、ともすると当たり前の話として受け流されてしまいがちです。よほど文脈の部分を手抜きなく丁寧に説明しないことには人の心に響きません。その点、これでもかというほどきっちり文脈を押さえた上で諄々(じゅんじゅん)と問いかけ、語りかける本書の記述のスタイルは、類書にはない迫力で五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染みわたります。
これは僕の推測ですが、ジェニーンは在籍中からITTのマネジャーや社員にこういうスタイルで、具体的なエピソードを豊富に交えて、仕事とは何か、経営とは何かについての彼の考えを言って聞かせていたのではないでしょうか。「いいかお前ら、そこに座ってよく聞け。経営ってものはな……」というように。
エグゼクティブの机
そういう細やかなエピソードの中でもとりわけ秀逸なのが、本書に出てくる「エグゼクティブの机」の話です。
きれいな机のエグゼクティブと、散らかっている机のエグゼクティブ、どちらが仕事ができるか。ジェニーンに言わせると、机の上がきれいに片づいているエグゼクティブはダメ。机の上がきれいなのは、やるべき仕事をどんどん他の人に委譲してしまっているから、というわけです。
「エグゼクティブとしてすることになっている仕事を本当にやっているなら、彼の机の上は散らかっているのが当然」とジェニーンは言っています。「なぜなら、エグゼクティブの職業生活そのものが、〝散らかった(雑然とした)〞ものだからである」。ビジネスとは、前例のない、予想もできないことの連続であり、あらかじめ狙いを定めて取り組めるものではありません。
この意味で、経営者の仕事は担当者のそれとはまるで違います。担当者であれば、自分の仕事の領分が組織的な分業の体系によってあらかじめ決められている。これに対して、自分の仕事はここからここまで、と区切れないのが経営者の仕事です。必要とあらばあらゆることに突っ込んでいかなければなりません。要するに、「担当がないのが経営者の仕事」なのです。
自分の目と頭で見極める
ジェニーンが「経営は成果がすべて」というのは、彼の「狙撃方式」の経営に対する批判に明確に示されています。きっちり将来の計画を立てて、その通りに経営しようとするやり方を、ジェニーンは軽蔑的な意味を込めて「狙撃方式」と呼んでいます。
例えば、こういうのが狙撃方式です。これから何が一番重要になるか。それはエネルギー分野だ。だとしたら油性掘削事業が有望だろう。それをやっている会社のリストを作って比較検討し、一番いいX社を買収しよう……。
ところが交渉に乗り出してみると、他の会社の戦略家たちも同じ理由からX社に狙いを定めているものです。外的な機会を一通り調べるだけでは、みんなだいたい同じことを考えているわけです。その結果、買収価格はどんどんどんどんつり上がります。
よしんば買収できたとして、それを何年で回収できるのか? その間に石油不足という問題自体が片づいてしまったらどうなるのか? 要するに、経営というのは、誰にも等しく降りかかる機会を捉えるだけではダメで、達成すべき成果、最終的な出口を見極めて、そこから逆算して考えなくてはならないということです。
ジェニーンは対照的な事例として、ハイスクール出のトラック運転手が築いた工作機械の会社の話をしています。この運転手は、会社をつくり上げていく試行錯誤の中で、縁があったスクラップ集積場を安値で購入して多くの利益を上げました。
このくず置き場が稼ぐ1ドルも、石油掘削会社が稼ぐ1ドルも、同じ1ドルには変わりません。だとしたら投資に対するリターンが大きいのはどちらの方か? これを考えるのが、成果から逆算する経営です。
ジェニーンに言わせれば、このトラック運転手は、たまたま訪れた機会を捉え、誰も目をつけていなかったビジネスに参入したわけです。一方、きれいな机のエグゼクティブは、机上で最大の投資収益をもたらしそうな買収などの「ビッグ・イベント」にこだわるため、今そこにある潜在的な好機を見逃してしまいがちです。
要するに、いついかなるときでも商売の本筋を自分の目と頭で見極める姿勢こそが大切で、その姿勢をキープしようと思えば机の上はおのずと散らかってしまう。これが「エグゼクティブの机」の話でジェニーンが言っていることです。
ジェニーンは確かに厳しい人ですが、自分にも大いに厳しかった。その職業生活は徹底した自己献身に貫かれていました。自らを犠牲にしてでも成果を出すのが経営者です。経営者を目指す人が絶対に読むべき本だと僕が思うのは、本書がそうした経営者としての覚悟をストレートに問いかけているからです。
多くのビジネスパーソンが読み継ぐ不朽の名著を、第一級の経営学者やコンサルタントが解説。難解な本も大部の本も内容をコンパクトにまとめ、ポイントが短時間で身に付くお得な1冊です。
日本経済新聞社(編)/日本経済新聞出版/2640円(税込)