「起業家精神は大企業の哲学とは相反している」。14年半にわたり連続増益を達成したすご腕経営者、ハロルド・ジェニーンの強烈なメッセージが次々に飛び出すベストセラー 『プロフェッショナルマネジャー』 (ハロルド・ジェニーン、アルヴィン・モスコー著/田中融二訳/プレジデント社)を、楠木建・一橋ビジネススクール教授が読み解きます。連載第3回は経営者の言葉について。 『ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕』 から抜粋。

小さなリスクしか許されない

 著者のハロルド・ジェニーンは地に足が着きまくっている超リアリストです。英語で言う「ハンズオン」、現場主義、実務主義に徹しています。本書には自分のアタマで考え抜いたこと、自らの経験に照らし合わせて100%納得できることしか書いてありません。

 こうした著者の真骨頂が出ているところを本書から拾ってみましょう。何かというと「求む! 社内起業家」といった言葉を口にする経営者は多いものです。しかし、ジェニーンは大企業の経営には起業家精神は必要ない、と喝破しています。

 大きなリスクを取って一発当てる仕事と、何百万、何十万ドルという資産を託され、大企業を動かす仕事とはその性格や求められる資質、能力が根本的に異なります。大企業の経営者は一つの試みに会社を賭けることはできません。起業家精神は大企業の哲学とは相反している、というのがジェニーンの考えです。

 起業家は革新的で独立独歩で、大きな報酬のために常識的な限界以上のリスクを進んで冒します。一方、大企業の経営者は比較的小さな報酬のために、斬新的な、比較的小さなリスクを冒すことしか許されない、と彼は言います。大企業を率いて、着実に成果を出す経営者としては、そこに評価がかかっているというわけです。

 「起業家精神が大切だ」とか「シリコンバレーに学べ」というようなことをジェニーンは決して口にしません。それどころか、自らが経営を主導したITTのマネジャーには、起業家精神にあふれた人は必要ないとまで言い切っています。

起業家精神は大企業の哲学とは相反している(Chaay_Tee/shutterstock.com)
起業家精神は大企業の哲学とは相反している(Chaay_Tee/shutterstock.com)
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 以上、ジェニーンの思考様式の一例を紹介しましたが、起業家精神の重要性はその企業や経営スタイル次第です。強調したいのは、ジェニーンの思考と行動における、率直さです。その時々の美辞麗句に左右されず、リアリズムで成果との因果関係を突き詰める。経営にとって極めて大切なことだと思います。

フワフワした「かけ声」はいらない

 ハロルド・ジェニーンは言葉にこだわる人で、この辺にも彼のリアリストぶりが色濃く出ています。経営者が言葉を発する以上、それは会社や経営のリアルな実体をきちんと表していなければならない、という考え方です。

 ジェニーンが退任してから、ITT内で「創造的マネジメントに対するハロルド・S・ジェニーン賞」という制度が設けられました。これは、社員30万人のうち創造的な働きをした人を5、6人表彰して賞金を出すというものでした。

 ここでもジェニーンは受賞者について「創造的ではあるが、起業家的と呼ぶのは至当でない」と念押ししています。「なぜこれほど優秀な人たちが、何もかも独力でやって、利益を一人占めにしようとせず、会社のために富を創造することができたのか」という問いを立てた上で、ジェニーンは、それは何よりもパーソナリティの問題だと答えています。

 ほとんどの会社員は、会社が与えてくれる挑戦と報酬に満足している。必要とあらば残業もするだろう。しかし、過大なリスクをものともせず、独力で事業を起こして成功したりすることには、そもそもITTの多くの人はあまり関心がないし、また関心を持つべきでもない、というのがジェニーンのスタンスです。

 確かにITTのような巨大なコングロマリットであるにもかかわらず、多くの人が起業家的なパーソナリティとモチベーションを持って仕事をしたとしたら、企業としての成果はおぼつかないでしょう。

 要するに、「言葉が軽い」人はリアリズムに欠けるわけで、経営者としては不適格だということです。にもかかわらず、フワフワした「かけ声」で経営しようとする人が今も昔も大勢います。

 例えば、「イノベーション」。「イノベーションが大切だ」「今こそイノベーションを!」というかけ声は後を絶たないのですが、この言葉の意味をリアリズムで突き詰めている人は決して多くないと思います。「イノベーション」という言葉を、単に「何か新しいことをやればいいことが起きる」程度の意味合いでしか使っていない人が少なくないのではないでしょうか。

「言葉が軽い」人はリアリズムに欠け、経営者としては不適格(metamorworks/shutterstock.com)
「言葉が軽い」人はリアリズムに欠け、経営者としては不適格(metamorworks/shutterstock.com)
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 そもそもの定義からして、「イノベーション」は「進歩」とは異なる概念です。昔から「進歩」という言葉なり概念があったにもかかわらず、「イノベーション」という新しい概念が生まれたのは、それが「進歩」とは違う現象を捉えようとする言葉だからです。

 品質や性能がよくなる、機能が向上する、こうした現象は進歩であって、イノベーションではありません。仮に新しい技術が開発できたとしても、それがもたらす結果が既存の評価基準に沿って物事を「よりよくする」だけであれば、イノベーションではないのです。

成功事例の「つまみ食い」はしない

 経済学者のシュンペーターは、イノベーションの本質を「非連続性」にあると考えました。後にドラッカーが定義したように、イノベーションとは「従来のパフォーマンスを評価する次元自体が変わること」なのです。ここにイノベーションの非連続性があります。

 具体的な例で言えば、ソニーのウォークマンやアップルのiPodは、いずれも言葉の性格の意味でイノベーションでした。これらの製品が実現した価値の本質は、製品が小型軽量になったことでも音質が向上したことでもありません。それまでの「音楽の楽しみ方」を根本的に変えたということにイノベーションの正体があります。

 ここまで世の中にインパクトを与え、人々の生活を変え、社会を変えてこそのイノベーションなのですが、「今こそイノベーションを!」と口では言いながら、そこまで意識して、本腰を据えて取り組んでいる経営者は少ないでしょう。ジェニーンはこの種の経営者が陥りがちな罠に繰り返し警鐘を鳴らしています。

 リアリズムが大切だといっても、それは「具体性を重視する」ということではありません。個別具体の事柄ばかりを追いかけていると、かえってジェニーンが批判するフワフワした経営になりがちです。

 例えば、「ベストプラクティスを取り入れよう」という姿勢です。新聞や雑誌、書籍を読むと様々な企業の「ベストプラクティス」についての情報は容易に手に入ります。イノベーションの話の続きで言えば、「オープン・イノベーション」。素人はこういう話に弱いもので、ある会社でオープン・イノベーションへの具体的な取り組みが華々しい成功を収めていることを知ると、すぐに「よし、これからはオープン・イノベーションだ! うちでもさっそく取り入れよう」と同じことをしようとします。

 しかし、こうした「つまみ食い」は成果につながらないことがほとんどです。ジェニーンが本書で繰り返し強調しているように(例えば、当時の「日本的経営ブーム」に対するジェニーンのさめた見解は 連載第1回 でお話ししました)、個別具体の施策はその会社や事業の文脈に置かれて初めて意味を持つものです。他社で成功した「ベストプラクティス」であっても、自分の会社、自分の事業、自分の仕事の総体の中に根を下ろさなければ、現実の成果にはつながりません。

 星野リゾートの代表である星野佳路さんは、様々な経営書を読み込んでいる勉強熱心な経営者として有名です。星野さんはこう言っています。「ある経営モデルを自社に取り入れるのであれば、丸ごと全部取り入れなければ意味がない。つまみ食いは禁物だ」。部分的にしか取り入れられないものは、むしろ端から取り入れない方がよいという考え方です。これもまた、経営におけるリアリズムの重要性を物語るエピソードです。

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