「この人のこの作品のためなら頑張れる、無理ができると思えることは大事です」 ――水鈴社代表の篠原一朗さんが編集者として大切にしてきた言葉だ。水鈴社に寄稿する作家やアーティストたちとの関係は、長い時間をかけ築き上げてきた信頼関係が生み出すものだ。インタビュー3回目は、本屋大賞2026にノミネートされた水鈴社の2作品と、お薦めの本などについて聞いた。
「この人のためなら頑張れる」が源泉
前回(第2回)、作家の方と培ってきた関係があるというお話でしたが、お二人とお付き合いは長いのですか?
篠原 瀬尾まいこさんは本屋大賞受賞作である『 そして、バトンは渡された 』(文春文庫)よりさらに前からのお付き合いで、これまでに何冊も本を作らせていただきました。夏川草介さんには『スピノザの診察室』ではじめて作品をお書きいただきましたが、15年前に執筆の依頼をして以来、本が出るたびに感想をお送りするなどのやりとりを続けていましたから、仕事が始まった時にはもう関係性はできていました。お二人とも、とにかく人間性も尊敬できる作家です。
水鈴社にご寄稿くださっている方々は、作品も人柄も素敵な人ばかりです。作家もミュージシャンも、みなさんさまざまな個性をお持ちですが、「この人のこの作品のためなら頑張れる、無理ができる」と思えることは大事です。それはもちろん、御しやすいというわけではありません。
水鈴社で出た作品が僕らは大好きで、当面はこのまま仕事をしていくつもりですが、会社がどうなっていくのかは、自分でも分かりません。今年の春からは、『デザインの引き出し』編集長の津田淳子と、長年の友人である柿内芳文という僕が尊敬していた編集者二人が新たに水鈴社に加わってくれました。今後は、まったく違うジャンルの作品も刊行していくことになると思います。

水鈴社代表取締役
これからは新しい作家と、新しい形の関係性を作っていくということですか?
篠原 我々は新しい会社ですが、同じ人、組織とだけ仕事をしていたら、すぐに古い会社になってしまいます。そこは意識して新しい才能とも出会うようにしていますし、そういった方とも関係性を築いていくようにしていきたいです。
どうやって新しい才能を見つけるのですか?
篠原 常にアンテナを張っておくようにはしています。あとは、きちんと仕事をしていれば、出会うべくして出会えるのではないかと思っています。異業種交流会みたいなもので仕事相手が見つかることはほとんどない。いい仕事をしていれば、「水鈴社と仕事してもいい、仕事をしてみたい」と言ってくださる方が少しずつ出てきてくださるのではないかと。それが遠回りのようで近道だと感じています。
僕はよく「走りながら考えよう」とスタッフに言っていて、朝令暮改も多くて迷惑をかけていると思うのですが、立ち止まって考えている暇はないですし、どうせ考えた通りにいくわけではないので、時と場合に応じて水のように形や温度を変えていけばいい。こうあろうという具体的な最終形はなくても、やっていくうちにどんどん変わっていけばいいと思っています。
これから出版を通じてやってみたいことはありますか?
篠原 2020年7月に水鈴社を設立して、最初の作品である瀬尾まいこさんの『夜明けのすべて』が映画化され、ベルリン国際映画祭の正式招待作品になり、自分も同行させていただいたんです。世界と僕らの仕事が地続きだということを実感できて、とても良い経験でした。今、日本のコンテンツは世界で注目されています。海外にも届くようなコンテンツを送り出して、日本の作家、アーティストの魅力を世界に届けていけたらいいなと思っています。
エンタメの姿をした哲学書
本屋大賞4位となった夏川草介さんの『エピクロスの処方箋』と、7位の瀬尾まいこさん『ありか』について教えてください。
篠原 『 エピクロスの処方箋 』は『 スピノザの診察室 』の続編ですが、単体で読んでも物語世界に入っていける本です。大学病院で将来を嘱望されながらも、妹を亡くし、甥を引き取ったことをきっかけに地域の病院で内科医として働く雄町哲郎が生と死とに向き合う姿、言動を通して、夏川さんが医師として20年間医療現場にいらっしゃる中で考えてこられたことがここに集約されています。エンタメの姿をした哲学書とも言えますが、とにかく読んでいて面白い本です。読んだときに、こういうふうに生きられたらいいなとか、自分にとって幸せとはなんだろうと考えるきっかけになり得る本になったと思います。
水鈴社の最初の作品でもある瀬尾まいこさんの『 夜明けのすべて がすごくいい結果になり、それだけに、次に何を書いていただけばいいのか僕も悩んだし、瀬尾さんも迷われたのではないかと思います。
ある日、瀬尾さんに「何か書店さんのためになるようなことをしたい、書店さんに恩返しをするにはどうしたらいいんだろう」と言われたことがあります。その時に「そんなの答えは一つしかなくて、瀬尾さんのすべてを注ぎ込んだような名作を書いていただくことです」と返したら、「そういうことじゃない」と叱られました(笑)。
それでエッセイ集『
そんなときは書店にどうぞ
』ができたのですが、瀬尾さんが「前に篠原さんに言われたことがずっと頭にあって、名作かはわかりませんが、私が今書けるすべてを、これまでの人生のすべてを注ぎ込んだ本を書きました」と書き添えて送ってくださったのが『
ありか
』です。
シングルマザーの美空と一人娘のひかり、そして義弟や美空の母、パートで働く先の同僚などとの変化に満ちた1年間の物語です。完全なフィクションですが、瀬尾さんの人生が色濃く投影された、瀬尾さんの作品群の中でもターニングポイントと言えるような作品だと思います。
さらに今年3月には、角田光代さんの最新作が出ました。
篠原 この角田光代さんの『 明日、あたらしい歌をうたう 』は、なぜ生きているのか分からないと思っていた人の日々が色づいた瞬間を描いた作品です。本人の人生を180度変えることはできないかもしれないですが、本を読んだことでちょっと気持ちが前向きに変わったり、少し世の中が温かく感じられたりすることはあると思っていて、この小説は、まさにそういう作品になりました。水鈴社からは、そんな作品を出し続けていきたいです。
最近、読んで面白かった本を教えてください。
篠原 去年読んで大好きだった本が、森絵都さんの『 デモクラシーのいろは 』(角川書店)です。戦後、GHQが始めた民主主義のレッスンをいやいや引き受けた教師が、4人の女生徒たちに授業をすることになり……と、聞くと難しい本に思われそうですが、ハラハラドキドキ、そしてキュンもある、超エンタメ小説です。適切なタイミングでこういう本に出会えたら、あまり本を読み慣れていない人にも読書が面白いものであることをわかってもらえるのではないかと思っています。
もう1冊は、上橋菜穂子さんの新刊『
神の蝶、舞う果て
』(講談社)。最も尊敬する作家のお一人で、上橋さんの物語を読むたびに背筋が伸びます。いつかお仕事をさせていただけたらと願うばかりですが、上橋さんは寡作な上にすでに多くの出版社との関係があり、今から水鈴社に新作をお書きいただくのはハードルが高いかもしれません。僕らは、次代の上橋さんとなり得る方を探していかなければならないと思っています。
水鈴社の使命の一つは、「本の面白さに気づいてもらえる最初の1冊を作る」ことだと考えていて、特に若い読者に、小説世界への扉となるような本を作っていきたいです。
そして最後に、一雫ライオンさんの『 六月の満月 』(流星舎)です。流星舎は、元同僚の編集者が最近興した出版社で、その最初の本です。応援というとおこがましいですが、「お互いに頑張ろうぜ」と思って注目しています。
取材・文/中城邦子、構成/市川史樹(日経BOOKプラス)、写真/鈴木愛子






