2024年12月26日、慶應義塾大学SFCで、政府・新型コロナウイルス感染症対策分科会元会長の尾身茂さんの「認知心理学」特別講義が開催されました。主催は、認知心理学者の今井むつみさん。今井さんが感銘を受けた尾身さんの著書『1100日間の葛藤』(日経BP)、そして 対談 の末に実現した、尾身さんの「特別講義」を、今井さんの「認知心理学」の最終講義をまとめた新刊『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』(日経BP)の刊行を記念してお届けします。特別講義で尾身さんが語ったご自身の人生と、新型コロナへの対応の際の意思決定のあり方とは。前編は「人生」についてです。
これから社会に出るみなさんへ
みなさんはこれから、大学を卒業して、いろいろな道を切り開いていくわけです。それぞれの分野で、単に偉くなるとかお金持ちになるとかではなく、新しい道を開発し、課題を乗り越えていくのだと思います。社会の問題、科学の問題、工学の問題、医学の問題、どんなものでもかまわない。私はみなさんに、真剣に何かに取り組み、それを一歩前に進めるリーダーになってほしいと願っています。
みなさんが卒業後社会で活躍する上で、どのような人になってほしいと私が考えているのか。それを説明するために、まず、私がどのように自分の仕事を決めたのかをお話ししましょう。
私は今、医師ですが、実は高校3年まで、医者になろうと思ったことは全くありません。医師は、真面目な人がやる職業だと感じていたからです。中学時代、高校時代と、将来の希望が、みんなあるよね。私はどちらかというと、理科系の勉強に興味がなかった。そういう才能がなかったんですね。
中学では生徒会長をしていました。数学は好きではなかったですね。今私は75歳だから、学生のみなさんとは半世紀以上違います。私の青年時代は、今のトランプ大統領の国、アメリカのドルが、「1ドル=360円」。豊かさが全然違った。
そういう時代だったので、私は将来、外交官や商事会社、場合によってはジャーナリストになったりして、海外でいろいろな人と話そうと思った。そのためFEN(Far East Network)という英語の放送を、中学2年生のときから聞き始めました。英語を勉強して、外国に行きたい。当時外国が、夢の国だと思っていたんですね。英語がどのようなものか知りたい、という好奇心もありました。
ある日、アナウンサーの声が、普段と違うことがありました。緊張している感じが分かった。
「ケネディ……テキサス、ダラス……アサシネイテッド。ケネディ……テキサス、ダラス……アサシネイテッド……」
アサシネイテッド(assassinated)は中学生だから分からなかったけど、尋常じゃないことが起きたことだけは分かりました。それはケネディが「暗殺された」というニュースだったんです。暗殺、ビックリしました。当時はまだ、日本のラジオでは放送されていなかった。もちろん、一部のジャーナリストは知っていたと思うけど、「市民の中で、一番早く知ったんだ」と思いました。
高校3年生の1年間、アメリカに留学しました。各都道府県から100人くらいをアメリカに派遣するという制度があった。それで、高校3年を留年することにした。1967年の9月から1年間、アメリカに行きました。とにかく「アメリカを見たい」という気持ちが強かったからです。
楽しかったですね。あんなに楽しい1年はなかった。日本で通っていた高校が男子校だったから、ということもあるかもしれません。男子校ではフォークダンスもなかったし、それまでに女子の手を握ったというのは、おふくろだけ。それが突然、ダンスパーティーとかに行かされるわけ。女性との距離が今までにないほど近い。ドキドキするわけだよね。この1年間は、本当に良い思い出ばかりです。
東大入試が中止。外交官の夢も諦め、本に救いを求める
日本に帰ってきたら、同級生の半分は大学生。私はアメリカで英語は勉強していたものの、数学なんかやらなかった。3月の試験に向けて半年間頑張って勉強して、東京大学に行こうと思っていたんです。でも、東大は「学園紛争」のために、入試自体がなくなってしまいました。それで、慶應大学の法学部に入ったんですね。それは外交官になろうと思ったからです。
みなさん若いけど、学園紛争は分かるよね。これは「権力を潰そう」という学生の運動です。今考えると異常に思えるかもしれませんが、当時はそれが当たり前だった。ですから外交官という職業も、「なってはいけない職業」という雰囲気でね。外交官は権力者だから、外交官になったら、「人民の敵」と言われてしまうと当時は本気で思いました。それで、私は外交官を諦めました。
そこで、悩み始めた。自分がやりたいことができないからです。それを本で解決しようと、学校に行かず、毎日本屋に行っていました。あの頃の本屋さんには、人生に関する本が多かった。「人生とは」「哲学とは」とかね。
そこで、『わが歩みし精神医学の道』(みすず書房)という本に出合いました。内村鑑三の息子の内村祐之さんの本です。東大の精神科の教授で、退官した後に、医者としての人生を書いた本でした。この本を読んで、「1年間勉強して、医学部を受けよう」と思ったのです。外交官になれないという悩みを救ってくれる道が医学だと。
もちろんリスクはあります。もう20代でしたし、化学も数Ⅲもやっていないから、医学部受験をしても、受かるかは分からない。でも、そこで決めたわけです。それが正しかったかどうかは分からないけど、人生は常にそういうものだと思います。
みなさんはプランを立てれば、スーッといくと思うかもしれません。でも、人生はそうはいかない。予期せぬ事が起きる。そのときにどうするか。やはり決断が必要です。別に論理的なものでなくていい。その人自身の決断です。人に相談してもいいのですが、誰も決めてはくれません。
うまくいくかも分からない。でも「やりたい」と思ったほうに忠実に進むかどうか。
そう考えたとき、私は医学に進もうと思った。もちろん、私と同じような状況になったときに、あなたがそうするかは分からない。これはその人自身のDNAとか、育ちとか、環境とかによるかもしれません。その都度、決めるしかありません。その人自身が、決めるしかないのです。
医者を経て、外交官の夢が再燃
そうして医者として9年間働きましたが、やはり外交官になりたいという気持ちがどこかに残っていました。医者は楽しかったのですが、「一生の仕事ではないな」と思うようになった。もちろん、医者は大事な仕事です。患者さんに寄り添うことも大切です。でも私は、「社会に寄り添いたい」と思った。これは私の個性です。
それで39歳のとき、かなり迷ったけれども、医者をやめてWHO(World Health Organization、世界保健機関)に入りました。これはいうなれば、「医者の外交官」です。
職業の選択についての2回目の悩みは、20代の頃に外交官か医者かと悩んだときよりも意図的なものでした。自分の意思決定のありようを、今でもよく覚えています。
「結婚して、子どもも2人いる。このままだと生活は安定。将来的には医長、部長などが見えてくる。これをあと何十年もするのかと考えると心は躍らないが、家族に迷惑をかけることはない」
一方、WHOに行くということは、新しい国際機関でうまくやっていけるかは分からない。でも、外交官のような仕事ができる。これはジレンマです。
それでもWHOに行こうと決めた一番の理由は、「WHOに行くということを諦めて医者を続けたら、一生後悔するだろう」と考えたからです。もちろんWHOに入れば、困難はある。そういう不安は当然ある。ただ、その場合は、課題が出たらその課題に取り組めばいい。例えば英語が下手なら、英語を勉強すればいい。
だけど後悔というのは、ずっと引きずるわけだよね。あれをしておけばよかった、一歩踏み出せなかった、という思いを最後まで頭の中に持ち続けなくてはいけない。それだけは絶対やるまい、という意識があった。人生は長いからね。WHOへ転職することで、39歳で人生がちょっと横にずれる。不安だし、リスクもある。
でも後悔しない選択をしようと思った。
「得手に帆を揚げる」という生き方
今、私は39歳だったと言ったけどね、これには面白い話があるんです。
私の好きな言葉に、「40(歳)前に試行錯誤しないのはバカ。40過ぎて試行錯誤するのもバカ」というものがあります。
40というのは一つの比喩で、「若い頃」という意味だね。若い頃は失敗も許されるし冒険も許される。臆病になって「これしか嫌だ」と言うのはバカだと。一方で、40を過ぎても試行錯誤するのはバカだと。「人生の前半でいろいろなことを試し、後半は自分が何者かを知る時期だ」という意味で、私はこの言葉が好きです。
学生時代というのは、いろいろなことを試して、自分が何者かを知る時期です。大学の中で、できることをたくさんしておく。先生に怒られても、それくらいは許されます。何度も試行錯誤できるのは、特権です。学生時代に、いろいろなことを経験してください。
みなさんは今、自分のことを分かっていると思っているかもしれないけれど、本当の自分というのは、分かっていないものです。なぜかと言えば、本当の社会に出ていないから。責任がないからね。進学して、親に迷惑をかけない責任があるくらいですよね。社会に出れば、本当の責任が出てきます。
ただ、社会に出てから分かるのでは遅いこともあるので、学生のうちにいろいろなことを試す。友達をつくる、議論をする、本を読む。本を読まないのは、人生の、青春の特権を放棄することです。「いいね」だけをしているなんて、みなさんはそんなことはないと思うけど、やめてほしいな。若い頃に悩み、試行錯誤しないと。真剣に、だよ。そうじゃないと、「立つ塔」がグラグラしてしまいます。もちろんうまくいかないこともある。クラブ活動だって、恋愛だってそうです。人はそれぞれ違うからです。
人にはそれぞれ個性があり、顔も背丈も考え方も違います。私には2人の孫がいるけれども、彼らを見ていても、それは感じます。生まれたときから違う。人間というのはそれぞれ持って生まれた気質がある。人間は平等かもしれないけれど、「平等」と「同じ」ということは、違うんですね。
私が好きな評論の神様、小林秀雄さんも同じようなことを言っていました。最初から個性が違うと。
これまで75年も生きてきて、たくさんの知人、友人、先輩、後輩と出会ってきた中で、ぜひみなさんに伝えたいことは、「得手に帆を揚げろ」ということ。
ヨットに乗って航海しているとする。そのとき、どっちの方向に行くか迷うことがある。そのとき、人間は考えるんです。風向きがどうとか、雨が降りそうだとか。
すぐ結論が出ればいいけれども、迷ってすぐに結論が出ないこともある。合理的に考えて結論が出ればそれでいいけど、そういうときだけではない。
みなさんはこれから慶應大学を卒業するわけだけど、頭がいいから、偏差値が高いから、慶應大学を出たから世の中でうまく生きていけるとは限らない。
そういうとき、迷ったときは、それぞれ自分の得意技や好きなことに目を向けることです。「自分の好きな方向に行け」ということ。それぞれ自分の得意技、好きなことです。自分の好きな方向に行けということ。
それはなぜかというと、好きなことをやっても苦労が必ずあるから。苦労のない人生を送ろうというのは絶対に無理。順風満帆な人でも、苦労がなくスーッと何でもいくなんていう人は見たことがない。
どんなに自分が好きな仕事を選んでも苦労はある。困難はある。しかし好きなことだったら、困難に耐えられる。
嫌いなことに困難は嫌ですよね。耐えられない。私の友人で、かっこいいからと刑事を選んだ人がいるけど、向いていなくて苦労した人がいます。
得手に帆を揚げろ。
得手というのはただ好きだということではなく、どういうことをやると充実感が得られるか。大変なこともあるけど、それを乗り越えたときの喜びを感じられるかどうか。そういうことです。得手に帆を揚げろ。それがみなさんに、今伝えたいことです。
(構成=黒坂真由子)
尾身茂著/日経BP/1980円(税込み)
今井むつみ著/日本経済新聞出版/990円(税込み)



