大手プロフェッショナルサービスファームのPwC Japanグループは、サステナビリティ事業を注力分野の一つと捉え、サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)に特化した専門組織も置いています。同グループのサステナビリティ部門を統括する磯貝友紀さんに、部下や後輩にお薦めしている本を聞きました。挙げられたのは、ビジネス書ではなく、アリストテレスによる哲学の本やチェコスロバキアの作家の小説。なぜそのような本を選んだのでしょうか?

「人としてどう生きていくか」を考える

 私はPwC Japanグループで、サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンスでリード・パートナーを務めています。PwC Japanグループは幅広い領域をカバーするプロフェッショナルサービスファームですが、特にサステナビリティ分野のビジネスの重要性から、こうした組織を設立して注力しています。

 今やサステナビリティはESG(環境・社会・企業統治)経営において、重要かつ複雑な課題になっています。経営層の方々は、サステナビリティを巡るリスクや事業機会を見据えて、長期的に戦略を考え、資源配分をしていかなくてはならないですし、戦略を実行に移すためには、人事制度やITシステムの変更も必要となります。

 サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンスでは、そうした課題にPwC Japanグループの戦略部門やコンサルティング、監査、税務といった各専門分野の知見を生かした複合的なサービスを提供しています。

サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンスのリード・パートナーを務める磯貝さん
サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンスのリード・パートナーを務める磯貝さん
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 今回ご紹介する本は、いわゆるビジネス書ではなく、哲学分野やそれに関連した小説です。この選書の理由は、もともと私が西洋哲学を学んでいたということに加え、10年にわたる海外生活の後、日本に戻ってきて、多くのビジネスパーソンが「豊かな人生」を送れているのか、疑問を感じることが多くあったからです。

 人は仕事以外も含めた総体として、「豊かな人生」「意味ある人生」を送ることが大切です。私は、チームの皆さんにぜひ、「豊かな人間」として成長し、充実した人生を送ってもらいたいと思っています。そのためには、ビジネスのHowを追求するような本ではなく、より根源的に、幸せとは何か、「よい」とは何か、人間とは何か、生きるとは何か、そうしたことを問いかけるような本を読んでほしいと思います。

 他方で、私たちは、多くの時間を仕事に使っています。仕事に意味を見いだせなければ、人生の大半を無駄にしているという気持ちになってしまうでしょう。そう考えると「仕事」と「個の豊かさ」に断絶があってはいけないと思います。

 それは会社にとっても重要なことです。会社というのは、何か目的があり、皆で同じ方向を向いて価値を創造し、その対価を分け合う集団です。そこには企業人として果たす責務がありますが、それが個人の人生や豊かさと断絶していると「やらされ感満載」の仕事になってしまいます。会社のパーパス(存在意義)と個人のパーパスが一致し、同じ方向を向くことができたときこそ、個人の力を存分に発揮でき、企業も個人もWin-Winの関係になるはずです。

 PwCのパーパスは「Build trust in society and solve important problems ──社会における信頼を構築し、重要な課題を解決する」というものです。まさにサステナビリティの部門は、私たちの最も重要な社会課題を解決し、クライアントや社会からの信頼構築を行う、パーパスを体現するチームであると思います。多くのチームメンバーが、個人のパーパスとPwCのパーパスが重なる分野で、すでにやりがいをもって仕事に当たっていますが、彼らがもっともっと人間として豊かに育っていくことが、彼らの人生にとっても、会社の健全な成長にとっても重要なことだと信じています。

人間についてすべて言い尽くされた1冊

 「豊かな人生」とは何かを考えるときに役立つのが、アリストテレスの『 ニコマコス倫理学 』(上・下巻/高田三郎訳/岩波文庫)です。実はこの本、学生時代に課題で読んだときはさっぱり意味が分からず、「何これ、つまんない」と思ったのですが(笑)、3年ほど前に読み返したら「すべて言い尽くされている!」と感激しました。

「豊かな人生」とは何かを考えるときに役立つというアリストテレスの『ニコマコス倫理学』
「豊かな人生」とは何かを考えるときに役立つというアリストテレスの『ニコマコス倫理学』
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 この本では、「人生の目的は幸福に生きること」と説いています。そして「幸福とはよく生きることである」「よく生きることは、卓越性を生きること」だとも言っています。卓越性とは自分の能力や才能を最大限に発揮し、社会や周囲に還元していく生き方です。

 西洋哲学の歴史は、物事を要素に分解した上で、その分解された要素を使って世界を説明することに力点を置いてきました。しかし、分解された要素で説明すると、その中からこぼれ落ちてしまうものが多くあります。デカルトのように、精神と物質を要素分解してしまうと、「我思う、故に我在り」とは言えても、それ以外の事柄、例えば、他者の存在や、物の存在を前提にできなくなる。そのつじつまを合わせようと、スピノザやカントなど、多くの哲学者が知恵を絞りますが、どれも「生きることの総体」を描き切ることはできません。

 その中で、何度も実存主義が復興するわけですが、実はアリストテレスは紀元前にすでに、(要素分解することなく)「生きることの総体」を描き切っていました。私自身も学生時代から様々なキャリアを積み、豊かさとは何かと悩んだのですが、何周も回った末に、その答えが本書に書いてあったのです。それは、「今ここにある1人の人間の現実存在(=実存)として、よく生きる」ということです。実は仏教の教えなども言っていることは同じで、知の長い歴史の中で、迷い子になっていたのは近代哲学だけなのではないかとも思ってしまいます。

クラシック音楽にも通じる「美しい物語」

 人生の目的は幸福である、幸福とはよりよく生きることである──とすると、「『よい』とはどういうことか」といった疑問が湧き上がってきます。その問いに「『よい』とは相対的なものだ」という絶対的相対主義の視座を与えてくれるのが、ミラン・クンデラの『 不滅 』(菅野昭正訳/集英社文庫)です。私はこの本が大好きで、もう60回ほど読み返していますが、読むたびに新しい発見があります。

磯貝さんが60回ほど読んだという『不滅』
磯貝さんが60回ほど読んだという『不滅』
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 クンデラはチェコスロバキアの民主化運動、プラハの春への弾圧で迫害され、フランスに亡命した作家。ソ連による独裁主義に対し、知の力で抵抗した人でもあります。『不滅』は、18世紀と現在、そして空想の死後の世界と3つの世界を行きつ戻りつしながら物語が展開します。まるで同じモチーフが何回も繰り返されながらクライマックスを迎えるクラシック音楽のようでもあり、とても美しい物語です。

 クンデラは、本書を通じて「不滅」つまり「永遠に記憶される名声」と、「その名声を求める人々の自我」の「滑稽さ」をあぶり出し、それをアイロニックな笑いに変えてしまいます。前提には、ソ連に支配された独裁主義の中で、「不滅」を求めてイデオロギーを振り回す党幹部や、政権が変われば、平気で昨日までと異なる正義を信じ、他人にも押し付けてくる民衆、というクンデラの経験があるのでしょう。そして、こうした滑稽な正義と増殖する自我は、独裁政権下だけでなく、様々な歴史の中にも、芸術の世界の中にも、そして、私たちの日常にも形を変えて存在しています。

 こうした正義や自我は、滑稽であるうちはかわいいものですが、ある点を超えると暴力となります。思考が何かに固定されて周りが見えなくなったとき、「あ、今の自分は滑稽だな」と笑い飛ばすメタ認知能力が重要になります。コンサルタントの皆さんは「強烈な自我」を持っている人が多いですよね(笑)。この強烈な自我をメタ認知して笑い飛ばせるくらいになると、本当にかっこいい、そして社会の役に立つコンサルタントになれるのではないでしょうか。

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取材・文/三浦香代子 写真/品田裕美