大手プロフェッショナルサービスファームのPwC Japanグループで、サステナビリティ部門を統括する磯貝友紀さんが、部下や後輩にお薦めしている本を紹介する2回目。磯貝さんは、いい仕事をするためには、個人として豊かに生きる、よりよく生きることが必要だと説きます。そのために役立つ本として、ミヒャエル・エンデの児童書や平野啓一郎さんの小説を挙げます。
生きる上で「希望」となるもの
前回「 PwC 『よりよく生きる』ための道を示す、60回読んだ小説 」は「人生とは何か」「よりよく生きるとはどういうことか」を考える2冊についてお話ししました。今回はその続きとなる3冊をご紹介したいと思います。
前回ご紹介したミラン・クンデラの『 不滅 』(菅野昭正訳/集英社文庫)では、「世界には絶対的にいいことも、悪いこともない」「私たちの存在自体も絶対的なものではない」と示していますが、そうすると私たちは何をよりどころに生きていけばいいのか──という迷いが生じます。そのときに希望を与えてくれるのがミヒャエル・エンデの『 はてしない物語 』(上田真而子、佐藤真理子訳/岩波書店)です。
児童書の傑作として知られている本書ですが、私は大人が読んでも深い感銘を受ける、自我を巡る旅の話だと思います。物語は、いじめられっ子の少年が自分の読んでいる本に吸い込まれるところから始まります。少年は物語の中で、かつて自分が夢見ていた、勇敢で、自信に満ちあふれ、友人に囲まれた理想的な人物へと成長していきます。しかし、その後に傲慢さや猜疑(さいぎ)心、嫉妬が生まれ、気づいたときには世界は「虚無」に飲み込まれ、すべてを失ってしまいます。
無になったところから、「誰でもよいから誰かと共にいたい」、そして「自分を愛してくれる誰かと共にいたい」、さらに「愛されるだけではなく、自分も誰かを愛したい」と望みが進化していくのですが、最後の「具体的な誰かへの愛」が、少年を本の世界から現実に引き戻すことになります。自我が肥大し、はじけて虚無になり、そこから他者への愛を学ぶという壮大なストーリーが、ミヒャエル・エンデの類いまれなる想像力によって美しく幻想的に描かれています。
私たちの世界には「絶対的なもの」はないかもしれませんが、「自分にとっての大切な誰か」を思いながら生活していますよね。その人がいるから、世界がよいものであってほしいと願います。例えば、「地球を救う」という抽象的な概念は、具体的な「他者への愛」があって成り立つものだと思いますし、その誰かのために私たちは生きているのではないでしょうか。
ミラン・クンデラの言う絶対的相対主義の前でも、「具体的な誰かへの愛」は私の存在を、実存の世界、他者との関わりの中に再び引き戻してくれます。そこから再び、絶対的相対主義の中での「よい」とは何か、を探求する旅が始まります。
愛した人の本当の姿とは?
続いてご紹介する平野啓一郎さんの『 本心 』(文芸春秋)も、自我(アイデンティティ)について深く洞察された1冊です。平野さんは「分人主義」(「中心に1つだけ『本当の自分』を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを『本当の自分』だと捉える」考え方)を提唱され、驚くような想像力で様々に「分人主義」の本質を浮かび上がらせる小説を書いています。本書では、ある青年が「自由死」で亡くなった母親をAI(人工知能)で復活させ、なぜ死を選んだのかを解き明かそうとします。そして、母と交流のあった母の友人や老作家から「本当の母の姿」を探っていきます。
今の社会で私たちは、「確固たるアイデンティティを持たねば」「それによって自分自身を証明しなければ」という強迫観念に追い詰められてはいないでしょうか。それに対し、平野さんの分人主義では、アイデンティティは確固たる核や一枚岩のものではなく、色とりどりの風船が寄せ集められたようなものとして描かれています。他者との関係性の中で、あるときは風船の1つが大きくなったり、しぼんだり、色が変わったり、変化しながら動いていく流動的なものなのです。
『はてしない物語』で、私は他者への愛が生きるための根底にあると言いましたが、平野さんが示そうとしているのは、実はその愛する人も他者との関係性の中で刻々と変わっていくということ。平野さんは「愛する人の他者性」という言葉で表現していますが、自分が見ている相手の風船の色は、その人が違う人に見せている何色もの風船のうちの1色にすぎないかもしれない。自分は自分だけに見せられている風船を愛しているのか、それとも風船の総体を愛しているのか──根源的に「愛するとはどういうことか」を深く洞察した1冊です。
日本の昔の私小説によくあったパターンとは違い、この本は、「相手を完全に理解できないから愛せない」といった救いのない内容ではありません。愛する人の中の他者性を理解した上で、それでもなお、人は他者と関係し、愛し、生き続けていく、そんな人間に対する著者の優しいまなざしが感じられます。
分断した社会の行く先を読む1冊
最後はフランシス・フクヤマさんの『 IDENTITY(アイデンティティ) 尊厳の欲求と憤りの政治 』(山田文訳/朝日新聞出版)です。この本は、年に2回ほど会い、今お互いが読んでいる本を紹介し合う読書友達に教えてもらいました。
フランシス・フクヤマさんは日系アメリカ人の思想家ですが、分断された社会について言及し続けている人です。現代の社会は個人の確固たるアイデンティティを有する個が集まり、集団となり、対立を生み出しています。分かりやすい例で言うと、「自分の信仰する宗教以外は認めない」「相反する政治思想は受け入れない」といったことです。
本書は、古代ギリシャ時代から現代まで歴史的にアイデンティティの概念を検証することで、アイデンティティという概念が実は確固としたものではなく「個」と「社会」の間を揺れ動き、変化し続けてきた概念であることを示しています。
平野啓一郎さんの分人主義と、フランシス・フクヤマさんの作品は、人とは固定的なものではなく、「個」と「社会」とが影響を与えながら変化し続けていくものであることを示しています。
前回述べた最初の問いに戻りたいと思います。アリストテレスの言う「よく生きる」とは何なのか。クンデラの言うように、「絶対的な正しさ」という支柱を失ってしまった現代において、それは「具体的な誰かへの愛」によって実存社会に結び付けられた私たちが、一歩ずつ、他者との関係性の中で再構築していかなくてはならないものです。
一人ひとりから紡ぎ出される糸と、それによって織られる布をイメージしていただくと分かりやすいかもしれません。私という実存が様々な他者と関わり合うことによって、私が紡ぎ出す糸の風合いや色が変わり、相手の糸の風合いや色合いを変え、そしてそれらが織りなす社会全体の絵模様を変えていく。これは、個人対個人でも、集合体(企業や国)対個人でも、集合体対集合体でも言えることです。
混迷し、分断が深まる社会の中で、対立する正義や主張であっても実存を生きる私たちの対話によって変わることができる。その変化の可能性が、私たちに残された希望です。
「よく生きる」とは、「よりよく生き続ける」ということ。そのことによって、他者に影響を与え、また、自身が変化することを恐れないこと。忘れてはならないのは、「よりよく生き続ける」ことが、実存の営みの中で、ふとした弾みに硬直化し、「絶対的正義の押しつけ」に陥ってしまう可能性があるということ。そんなとき、ミラン・クンデラの「笑い」が、その淵から私たちを引き戻してくれるでしょう。
キャリア戦略より大事なもの
今の若い世代は、「5年後、10年後を見据えてキャリアプランを立てなくてはいけない」という、キャリア戦略への圧力を以前よりも強く受けているように感じます。私も若手から、「磯貝さんはどうやってキャリアを構築してきたのですか」とよく質問されるのですが、実は「こういうキャリアを積もう」と思い描いてきたことはありません。それよりも大事にしていたのは「ぶれない軸」です。昔から社会に貢献したい、よりよく生きたい、という思いを持ち続けていたところ、偶然の機会が重なり合い、今のキャリアに結び付きました。
ぜひ若い世代には、小手先のキャリア戦略ではなく、「自分が大切にする軸」を持って、「豊かに生きること」を考えてほしいと思っています。そのときに、前回と今回ご紹介した5冊が役立つかもしれません。私もすでに20冊ぐらい『不滅』を同僚や後輩などにプレゼントしています。
取材・文/三浦香代子 写真/品田裕美